一章 理術学習編

04話 三者面談

 僕は今、水理王すいりおうの執務室のソファに座っている。びょうさまはソファから少し離れた自分の机で書類を眺めている。


「で、御上おかみ。わしを呼ぶだけ呼んで用はないのですかな?」


 一方、僕はひとりの老人と向かい合ってお茶を飲んでいる。自分が理王の執務室でお茶を飲むときが来ようとは……。あ、よく考えたら毎日ごはん食べに来てる。


 来客用の高そうな茶器カップを持つ手が震えてしまうのは仕方ないことだと思う。僕が普段使っているお気に入りのマグカップに取り替えたい。というより自分の部屋に帰りたい。


 目の前のご老人。多分きっと絶対ものすごく強い。体に力がおさまりきっていない感じがする。加えて理王の前でこの堂々とした態度。一体何者なんだろう。

 そして、僕は何故この方の向かいに座らせられているのだろう。お茶に口をつけるが味を感じない。


「用ならもうお分かりでしょう?」


 びょうさまは書類から目を話さずに老人に返した。


「はて、何のことでございましょう。最近めっきり老いぼれてしまいましてな。世の中にうとくなりましたわ」


 ほっほっほっと笑っているが、こっちは笑えないくらいの威圧感を受けている。


「まだまだ元気な現役ですね」

「はて、年寄りをまだ前線で働かせるおつもりですかな」


 目がギラッと光った……ような気がした。怖くてそっちを見られないのだ。第一、その目は開いているのだろうか。でもこっちを見ている気がする。


「……あまりいじめるようなら考えますよ」

「はて何の事やら。あぁ、御上がこの年寄りを苛めるという話ですかな?」


 両者一歩も引かない。そもそも何の話をしているのだろう。


 びょうさまが「雫に会わせたい方がいる」と仰ったのは、三十分ほど前だったろうか。窓掃除を終えた僕は急いで執務室にやって来た。その時すでに、このソファに老人が座っていたのだ。


 淼さまに言われるまま向かいの席に座った。しかし、それから一言のやり取りもなかった。やっと会話が始まったと思ったら、お互い牽制けんせいしあうような会話をしている。


「『相手が動くのを待て』とあなたに教わったので」


 教わった……?


「やれやれ大変優秀なことじゃ。御上の勝ちじゃな。まあ、理王がこれくらいで譲歩じょうほするくらいでは世の理はおさまらん」


 ふっと老人の気配が変わった。体から溢れていた力の量が明らかに減ったのだ。それでもまだとてつもない力を感じる。でもそれは、先ほどまでのような威圧感ではなく、穏やかな柔らかな……そう、母上の流れに似ている。


「ほう、わしの力を華龍河かりゅうがわの流れと見たか。なるほどなるほど」


 と言いながらすっかり冷めているはずのお茶を一口啜すすった。お気に召さなかったのかすぐに口を離し、ふたをするように片手を被せる。手を離したときにはカップからは湯気が上がっていた。


 え、何で?

 いや、そんなことより今僕の考えを読まなかっただろうか。

 いやいや、そんなことより母を知っているのだろうか。


「……面白い子じゃの」


 この人何者なんだろう。


「何者か……か。御上おかみよ。わしが誰だかくらいは教えてやっておくべきだったのではないですかな?」

「来てからでいいと思いましたので」


 カリカリと何かを書き込んでいたびょうさまがやっと書類から顔をあげた。


「雫。この書類をそちらの禿爺はげじじいにお渡しして」

「あ、はい。かしこまりました」


 机から手が伸びているので、茶器を下ろしてすぐに書類を受けとりに行く。後ろの方からまだ禿げとらんというオーソドックスな突っ込みの声が聞こえる。確かにびょうさまより色の濃い銀髪はかなり豊かだと僕も思う。


「雫、その方は私の先……生だった方だよ」

「先生?」

「あぁ、理王即位前に色々叩き込んでくれた方だ」


 淼さまがさっきから敬語を使っているのはそのせいだったのか。でも時々恨みの言葉が入っている気がする。


「ほっほっほっ。いや優秀すぎて叩き甲斐があったというものですじゃ」


 それはどういうことだろうか。びょうさまはすごく嫌そうな顔をしている。でも、今度は特に言い返したりしないようだ。


「さて、どちらから自己紹介するべきかのぅ」


 淼さまの先生は、僕から書類を受け取りながら今度ははっきりと目を合わせてきた。


「あ、えーっと、僕は……僕から致します。僕は王館で住み込みで働いております、季位ディルの雫と申します。ご挨拶あいさつが遅くなり申し訳ありません」


 誰かにこんな風に自己紹介することなんてほとんどなかった。でも最低限の作法に倣って挨拶をする。位を添えて名の順に告げるのが一般的な作法だったはず。……多分。


「……素直なことよな。さて、わしはどこまで明かすべきでしょうか、御上」

「今は名だけで」

「そうじゃな」


 びょうさまとの会話を聞いていると短いやり取りの中でもちゃんと理解しあっているのがわかる。駆け引きみたいな会話が信頼関係の証なのだろう。ちょっとうらやましい。


「礼をもって返すべきだが御上に脅されたのでな、全ては証さぬが許してほしい。わしは海の波、れん。先ほど御上が仰ったように太子時代の御上の教育をしておった者じゃ」


 よろしくの~と言いながら、まだ湯気のたつ温かいお茶を一口ほどすすった。

 理王の先生になる人ってどんなにすごい人なんだろう。挨拶が済んだのでもう一度ソファに腰かける。


「礼儀を欠いた詫びとしてそなたの疑問に答えてやろう。まず、そなたの考えを読めることについてだが、そなたが茶に口をつけている間は考えを読めるであろうな。湯水に触れる大抵の者ならわしはその意思を読める」


 そうか。僕はさっきお茶に口をつけたまま怖くて固まっていたのか。冷えきったお茶だったから火傷しなくて良かった。ほっとしてまた一口冷たいお茶を飲んだ。


「……今のを聞いてまた目の前で茶を飲まれるとは思わなんだぞ。しかも火傷しなくて良かったじゃと……くくく」

「?」


 僕はまた何かおかしなことをしたのだろうか。


「それと、母御前ははごぜんのことじゃったな。母御ははごとは古くからの知り合いでな。最も母御は河、わしは海の漣じゃからの。頻繁には会わないが、なかなかに思慮深い方じゃったな。最後に会ったのは二〇〇年ほど前かの。ちょうど御上の戴冠式たいかんしきだったかのぅ」


 戴冠式に参列できるのは高位の精霊のみときいたことがある。母上は高位精霊だから出席したのだろう。

 ということは目の前のれんさまも高位精霊ということだ。さっき見せつけられた力からも強いだろうなぁと思っていた。やっぱりそうなのか。


「教えるのはそんなところかの」

「そのまま雫の教育をお願いします」

「確かに素直で良い子じゃが、御上よ、わしはもう後進の育成は終えたのじゃ。先の流没闘争りゅうぼつとうそうの折、大分力も使ったでな。小波さざなみにて余生を送りたいのじゃよ」


 僕の教育と言っただろうか。確かにびょうさまは僕に勉強してもらうと言っていたが、何の勉強だろう。新しい料理の作り方とか? それとも淼さまの先生だからもっと淼さまの好みを詳しく教えてくれるとか? 一人で想像していたら、話がこちらに飛んできた。


「そなたは確か池じゃったな」

「? えっと、水が湧いていたので分類的には泉です」

「そうか、泉の方じゃったか。わしのようにはっきりしない本体を持つ精霊が境界のきっちりした精霊に教えるのは難しいぞ。そなたも分かるであろう」


 僕に話しかけていたれんさまが、再びびょうさまに諭すように言った。


「分かるからこそ貴方に頼んでいるんです」

「矛盾であろうが。力の持ち方が異なる。それ相応の教え方が出来る者を探せばよかろう。そなたも分かりやすい講師を得た方がよかろう?」


 僕の教育をれんさまにさせたいびょうさま。必要以上に関わりたくないといった感じの漣さま。二人の間で話が平行線を辿っているようだ。


「えっ……と」

「雫はただ『一滴の雫』です。境界はありません」


 僕に振られた話をびょうさまが拾い上げた。何と答えて良いか分からなかったのでとても助かった。きっと瞬間的に見かねて助けてくれたのだろう。


「御上に聞いているのではありませぬ。今はそうでも元は泉。泉だった頃のはっきりした記憶があるじゃろう」


 今度は僕が返答しないと許されなさそうだ。正直に答えることにした。

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