詠目のカタリィと詠手のカナ

三谷一葉

ある日の傷心の詠み人

「決めたホゥ、君には世界中の物語を救う詠み人になってもらうホゥ!」

 あの時、断っておけば良かった。

 いきなり目の前に現れたフクロウのような謎のトリにそう宣言され、私の右手は人々の心の中にある物語を抜き取る「詠手ヨンデ」となった。

 私の仕事は詠手ヨンデで抜き取った物語を、それが必要な人の元へと届けること。

 最初は、まあ、良かった。

 カナ・ホンダと言えば自他共に認める文学少女。読む物が無くなると情緒不安定になる活字中毒だ。成人してから文学少女の名は返上したが、読書が趣味の活字中毒であることには変わらない。

 詠み人となってから、人の顔の横に小さな渦が見えるようになった。その渦の中に詠手ヨンデを突っ込めば、その人の心の中にある物語を小さな冊子の形にして抜き取ることができる。

 面白い物語。つまらない物語。楽しい物語。悲しい物語。

 多くの物語に触れた。活字中毒者にとってこれほど幸せなことはない。

 だが、問題がひとつあった。

 私、カナ・ホンダは根暗である。超インドア派である。他人と何かするよりも、出来る限り独りでいたいと思うタイプだ。

 つまり。

 …………他人に物語を届けるとか、無理。マジで無理。死にたい。



「あー、春だなあ」

 春の公園に、暖かな日差しが降り注いでいた。

 公園内は花見客で溢れている。大体は家族連れや若いカップル、友達グループなどだ。

 一人で公園にやって来て、ベンチでぼーっと日向ぼっこをする二十代女性。そんなの私ぐらいだろう。なんだか虚しくなってきた。

(まあ、どこにいたって虚しいのは変わんないけどね)


 先日、私はある女性に一篇の物語を届けた。根暗で超インドア派でコミュ障の私にしては、かなり頑張ったつもりである。

 しかし、当の女性は私が差し出した小説にちらりと視線を落とし、

「何これ、ゴミ?」

 そう言って受け取ってくれなかったのである。


 飯マズなのに自覚皆無の奥方をどうにかしてくれと訴えられたので、ちょうど手元にあった「カンタンお料理で世界を救う!? ミカの極旨異世界キッチン!」をお渡しした。異世界と言いつつ、丁寧な説明と絵入りのレシピが載っている、これから料理を始めようという方には超オススメの作品である。

 だが、よくよく考えてみれば、奥方は飯マズの自覚がないのだ。料理ができるつもりなのだ。だから「カンタンお料理」という文字が許せなかったのだろう。

 それにしたって、ゴミはないんじゃないかなあ、ゴミは。


「ええっと、ここがこうだから……」

 仕事の失敗を思い出して、ずぶずぶとネガティブの海に沈もうとしていたが、可愛らしい少年の声で引き戻された。

 柔らかそうなオレンジ色の髪の少年が、大きな地図を空色の瞳で睨みつけながら、何やらぶつぶつと呟いている。

 彼は地図をクルクルと回したかと思うと、右手の方に身体を向けながら、

「こっちが森林公園で」

 と、桜並木通りの方を見ながら呟き、次に反対の方に身体を向けて、

「こっちが桜並木通り」

 と、森林公園の方を見ながら宣言。くるりと私に背を向けて、

「ということは、フクロウ像はあっちだ!」

「待て待て待て待て。逆だ、逆」

 キリン像がある方向に向かって力強く歩き出した少年を、私は慌てて引き止めた。

 少年が振り返る。その時、彼の顔の横に渦が見えた。

 渦の中に詠手ヨンデを突っ込んでしまったのは、ほとんど条件反射だった。慌てて引き抜いたが、もう彼の物語は小さな冊子になってしまっている。彼の髪と同じ、柔らかなオレンジ色の表紙だった。

 少年の大きな目が、丸くなった。

「ご、ごめん。申し訳ない。わざとじゃないんだ、つい───」

「あの、お姉さん。もしかして詠み人だったり…………?」

「あ、ああ。そうだけど」

「すっげえ! 俺、他の詠み人初めて見た!」

 少年がその場でぴょんと飛び跳ねた。空色の瞳をキラキラさせながら、

「あの、俺も詠み人なんです! カタリィ・ノヴェルっていいます!」



 カタリィも私と同じ詠み人だった。

 彼は左目の「詠目ヨメ」で、人々の心の中にある物語を見通すことが出来るのだと言う。

 今日、物語を届けるのだという彼に、私は同行することにした。彼一人では、目的地に辿り着けないような気がしたのだ。

 たまに見当違いの方向へ向かうカタリィを引き戻しつつ歩いていると、やがて前方に大きなフクロウの像が見えた。

 細身で格好良い梟ではなく、全体的に丸っこいアニメチックなフクロウだ。何となく、あのフクロウのような謎のトリに似ているような気がする。

 その像のすぐ近くに、一人の少女が立っている。

「おーい! マリィ!」

 カタリィが手をぶんぶんと振りながら駆け出した。少女はきょろきょろと辺りを見回している。

 カタリィの後をゆっくりと追いながら、私は妙な違和感を覚えていた。

 カタリィは少女に向かって走り出した。少女はカタリィの声が聞こえた途端、何かを探すようにきょろきょろと辺りを見回し始めた。

 明らかにカタリィの方を向いたはずなのに、少女はきょろきょろするのを止めない。目が合わない。そして、彼女の手には────細い白杖が握られていた。

(あの子、もしかして目が見えないのか)

「ごめんマリィ! 俺、また迷子になっちゃってさ。待った?」

「ああ、カタリィさん。大丈夫です。まだ十分ぐらいしか待ってませんから」

「うぐ…………十分は待たせちゃったんだね、ごめん」

「最短記録ですよ」

「今日は案内してくれる人がいたから…………」

 そこで、私もカタリィに追いついた。カタリィに紹介され、私もマリィにこんにちはと挨拶する。

 近くに来ても、マリィと目が合わなかった。やはり、彼女は目が見えていない。

「あ、そうだそうだ。マリィの物語、ちゃんともって来たよ」

 彼が盲目の少女に向かって差し出したのは、何の変哲もない絵本だった。少女の手が本を探して宙を彷徨い、カタリィに導かれて何とかその表紙に辿り着く。

「カタリィ、ちょっと────」

 詠み人であるカタリィが届けに来たのだから、この物語はきっとマリィにとって必要なものなのだろう。

 だが、マリィは盲目だ。絵も字も見えない。

 そんな少女に、どうやって物語を届ければ良いのか────

 カタリィは、自信満々に宣言した。

「大丈夫。開いてみて」

 マリィが小さく頷き、最初のページをめくる。

『むかしむかし、あるところに、とても仲の良い女の子の三人組がいました』

 本の中から、ゆったりとしたカタリィの声が流れ出した。



 絵本を胸に抱いたマリィは満面の笑みを浮かべ、カタリィに何度も礼を言って去って行った。

 その背中を見送って、私とカタリィも帰路についた。

 カタリィ曰く、マリィに物語を届けるのは、これで三回目なのだという。

 マリィは目の治療のため、もうすぐ生まれ育ったこの街から離れるのだ。知らない街への不安や病の恐怖などに打ち勝つため、彼女には物語が必要だった。

 だが、マリィが盲目であることを知らなかったカタリィは、最初に何の変哲もない普通の絵本を持って来てしまった。

 これではマリィに物語を届けることができないと気付いた彼は、二回目は点字の絵本を持って来た。だが、マリィが失明したのは数ヶ月前のことで、彼女は点字を読むことができなかった。

 そして、三回目。今回カタリィは、それぞれのページに自分の声を吹き込んだ。手で触れたら形がわかるように、絵の部分に凹凸をつけた。

 詠み人カタリィ・ノヴェルは、盲目の少女に物語を届けたのだ。


「カナさんは、『至高の一篇』って知ってますか?」

「噂だけならね。世界中の人の心を救う物語だっけ?」

「俺、いつかそれを見つけたいって思ってるんです」

 真剣な顔でそんなことを言う少年に、私は何か眩しいものを見たような気持ちになった。

 物語にも色々ある。面白い物語。つまらない物語。楽しいものや、悲しいものも。

 人それぞれ感じ方は色々だし、相性だってある。

 だから、私は世界中の人々を救う『至高の一篇』など存在しないと思っているけれど────

「カナさんは、どんな人の心に『至高の一篇』があると思います?」

「そうだなあ…………ねえ、カタリィ。カタリィの詠目ヨメって、鏡越しとかでも使えたりしない?」

「…………? やったことないなあ」

「一回試してみても良いかもよ。案外簡単に見つかったりして」



 世界中の人々を救う『至高の一篇』。

 もしそんなものが存在するのなら、その心の主は、カタリィ・ノヴェルなのではないかと、私は思う。

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