カタリィ・ノヴェルは見つめない

タカナシ

見守りの喫茶店

 カタリィ・ノヴェルは首をさすりながら語った。

「今だから断言できるんだけど、ホラーってジャンルに興味本位で近づくのは止めたほうがいい。

 好奇心はネコをも殺すっていうのは本当だよ。

 ボクは油断した。舐め過ぎた。越えちゃあいけない境界線を越えてしまったんだ。本当に後悔している」



 カタリィには不思議な手紙が届く。

 トリが描かれたその手紙には決まってジャンルと名前、簡単なプロフィールが書いてあった。


「今回のジャンルはホラー、名前は馬場崇ばば たかしか。ホラーってジャンルは初めてだね」


 カタリィはある日謎のトリから本の収集を依頼された。

 それ以来、定期的に手紙が来るのだが、この手紙を無視しようとしても、なぜだかその人物と関わる運命のようで、何も知らずその運命と立ち向かうより、少しでも情報があったほうがマシだと最近では受け入れている。


 たまたま立ち寄った喫茶店へ入ると、中には1人の客しかいなかった。

 土曜の昼間にこれだけしか人がいないという違和感。こういったときは必ず何かあるのだ。


 カタリィはたった1人の客の元へ向かう。

 

 男は、冷めたコーヒーを片手に、焦点の合わない瞳で外を眺めている。この男が馬場崇ならば、歳の頃は30丁度のはずなのだが、ボサボサの髪と無精ヒゲ、だらしない身なりのせいで50代と言われても信じてしまう。


「もしも~し。馬場さんですか? 馬場崇さん?」


 何度呼びかけても男は返事をせず、虚ろな瞳を外に向けているだけだった。


「ノックしてもしもお~し」


 かなり不躾ぶしつけだが、カタリィは男の頭を軽く小突きながら返事を待つが、それでも男の視線は変わらず外を向いたままだ。

 ノックした手を引っ込めようとしたその時、


「お冷お持ちいたしました。あっ!!」


 水を持って来た店員にぶつかり、コップがテーブルの上へと落ちる。

 運の悪いことにその水は男の方目掛け流れていき、男のズボンを濡らす。


「悪い! そんなつもりじゃ!」

「今、おしぼりお持ちします!」


 カタリィと店員はすぐに動き、店員から受け取ったおしぼりでカタリィは男のズボンを拭くが、男は一瞥くれることもなく、ただ外の様子を眺めている。

 拭き終わったおしぼりを店員へ返すと、沸々と湧き上がるものがあった。


「ここまで反応されないのは、それはそれで、何をしたらこっちを見てくれるのか俄然興味が沸いた!」


 手始めに、人物照会も兼ねて男のポケットをまさぐる。


「この程度じゃ、反応なしか。っとやはりあったぞ。喫茶店に来ているなら、当然財布を持っているはずだ。そして財布があるということは――」


 カタリィは財布からカード類を取り出す。


「やっぱりだ。あったぞポイントカード! その裏面には。良しベネ! 名前が書いてある」


 そこにはカタリィの予想通り、『馬場ばばたかし』の文字があった。


 他には何かないかと、財布を戻しつつ、探すとポケットからはカッターが出てきた。


(アブネェ奴だな。ジャンルがホラーだからか)


「これだけやっても動きなしか。ところでこの男は何を見てるんだ?」


 カタリィは好奇心から男の視線を辿ると、アパートの1室から常に視線が動かないことに気づく。

 そこから視線を変えれば男も反応するのではないかと思い、顔を無理矢理自分の方へ向ける。


 しかし――。


(な、なんだこの力ッ!)


 万力のような力に負け、カタリィが手を離すと、男の首はまるで反動のついたゴム仕掛けのおもちゃのようにビュンと再び外の方を向いた。


 これだけ必死になる何かがあのアパートにあるのか?

 そう考え、カタリィは喫茶店を出ると、アパートの1室を訪ねた。


 チャイムを鳴らすと、すぐに、「ハイッ!」と女性の声が聞こえて来た。

 ガチャリとチェーン越しに開けられたドアから見えたのは、美人の女性だった。肩まで伸びた黒髪に憂いを秘めた表情。スタイルがいいのは服の上からでもわかった。


 カタリィは彼女を見たことで理解した。

 あの男、馬場崇はストーカーなのだとッ!

 彼女のことを一分一秒でも目を離さずに眺める為にあそこに居たのだッ!


――ゾクッ!!


 カタリィは激しい悪寒に震えた。


(な、なんだ。今のはッ! まるで誰かに見られたような気持ち悪さだ!!)


 カタリィは女性に、「間違えました」と言って去ると、アパートから、あの喫茶店を確認する。


(男はまだ喫茶店にいるぞ! さっきの視線は気のせいだったのか?)


――ギンッ!!


 いままで虚ろに、アパートの一室しか見ていなかった男が急にこちらを向いたのだ。


「マズイ! マズイ! マズイ! ここから、あの男から逃げなくてはッ!!」


 カタリィはバッグについたフクロウのキーホルダーを激しく揺らしながら、階段を飛び降りる。


 喫茶店とは反対方向へと逃げていたはずだったのだが、身を隠そうと角を曲がった瞬間、あの男、馬場崇がそこにいた。


「な、なんでッ!!」


「お前、リオちゃんのストーカーだな。最近、下着が盗まれるって言っていたぞ!」


「そんなの知らないぞ。何を言っているんだ」


「うるせぇ! とぼけやがって! テメーぶっ殺す」


 馬場は唾を撒き散らしながら、ポケットから取り出したカッターで襲いかかる。


「違うね。ボクを殺すことはできない。なぜなら――」


 カタリィは左目で男の目を見る。

 カタリィの左目には特殊な力があり、その目を見た者は、本へと姿を変える。


 しかし、男はそのまま、カッターを振りかざす。


「なっ!? ボクの左目が反応しないっ!」


 カッターを腕で受けると、鮮血が周囲へと飛び散る。


「クッ!」


 切られた腕を押さえながら、馬場から逃げる為、来た道を戻る。


(まるで、見ているのに見ていないような。変な感じだった。何かこの目が発動しない理由があるはずだ。それがわからなければ、ボクはきっとヤツに殺される)


 しばらく走り、見知った道へ出ると、カタリィは逃げるのを止め、曲がり角で馬場を待ち構えた。


(あいつはボクが逃げるだけだと思っているはず。だから、ここで一撃かます!)


――ゾクッ!


 またしても見られたような悪寒を感じたが、足音はすぐ前から聞こえてくる。

 気のせいだと自分に言い聞かせ、迎撃の覚悟を決める。


 いよいよ近くに追いかけてくる足音が聞こえると、カタリィは飛び出し、ケリを放った。

 しかし、馬場はまるで知っていたかのように屈み、そのケリを避けたのだった。


「なんだって!!」


 ケリの勢いのまま、地面へと転がったカタリィは、すぐに起き、逃走を再開する。


「まるで、こっちのことを逐一観察しているみたいだッ!」


 カタリィは日が落ち始めた路地へと走り込んでいく。



「ハァハァハァ! クソッ! 油断した。舐め過ぎた。あいつの境界線に不用意に踏み込みすぎたッ!」


 カタリィは何度か転んだのか、その膝小僧には擦り傷が見られ、息も上がっていた。


 後ろを注意しながら、角を曲がると!


(な、なにぃぃ!! なんでここにロープが張ってあるんだぁ!)


 カタリィの目の前には突如として、丁度首の辺りにかかるように道にロープが張られていた。


「グエェ!!」


 まるで潰されたカエルのような声を上げて、カタリィはスッ転んだ。


「ガハッ! チクショウ!」


 首を押さえながら、立ち上がろうとするカタリィの前に、カッターを持った男が、ゆっくりと現れた。


「お前……」


 男の双眸には瞳がなく、真っ黒な虚だけが支配していた。


「やっと、捕まえたぞ。ストーカー。やったよリオちゃん! キミを脅かすモノはなんだろうと許さない!!」


 ギョロリ!


 カタリィはすぐ横からそんな音を聞いた気がした。

 ゆっくりと、首を動かして確認すると――。


(こ、これは眼球!? なんで壁から生えて)


 意識してみると眼球は1つだけではなく、周囲のいたるところに張り巡らされた。その全てがカタリィを見つめている。


「気づいたかい? すごいだろ! ずっとリオちゃんを見守っていたら、いつの間にか周囲一帯を見渡せるようになったんだ! だから――」


 


「ストーカーめ。俺がいなかったらリオちゃんを襲おうとしたんだろ? 許せないッ!! 死んで償えーーッ!!」


 馬場はカッターを構え、カタリィに突進してくる。

 だが、しかし。


「やっと、ボクを、ボクの目を見たね。そしてボクを殺すストーリーを思い描いた時点であんたの負けだッ!! 喰らえ、詠目ヨメッ!!」


 カタリィの左目が青白く光ると、馬場崇の目の前にイラストで描かれたフクロウのようなトリが現れる。


「なんだ、このトリはぁッ!!」


 カッターを振り回すが、トリを傷つけることは叶わなかった。


「攻撃しても遅いよ。そのトリを見たということはすでに目の中に入ったってことだからね」


 カラン。


 馬場は何故か、カッターをその場に落とすと、自身の体の変化に気づいた。


「な、なんだとォォォ!! お、俺の、俺の指が、空気の抜けた風船みてーにペラッペラだぁ!」


 馬場の体はどんどんと平らになっていき、全身が平たくなると、今度は指先からパタパタと折れていく。


「体が、俺の体がァァァァ!!!!」


 馬場の断末魔が響くと、最後には1冊の本だけがその場に残された。


「ふぅ~。もうホラーなんてこりごりだ」


 カタリィは黒地に赤の水玉が浮かぶ表紙をした本を手に取る。


「このままじゃ、誰にも届けられないね」


 おもむろに本を開くと、ページを切り始めた。


「詠目はページに文字を書くなんてチートはないけど、ボクが切ることで、2冊にも3冊にも出来る! だから、こうして、ヤバイ、ホラーな部分と、ちゃんとした馬場崇との部分に分ければ!」


 カタリィの手により、本は2冊になった。

 その内の1冊をカバンへと仕舞い。もう1冊は喫茶店の前へと置いた。


「これでストーカーなんてしない真人間になってるはず……、あっ、忘れてた」


 本のラストをめくると、そのページだけはビリビリに破り捨てた。


「ボクのことは忘れててもらわないとね」


 カタリィは満足そうな笑みを浮かべると、その場から立ち去った。

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カタリィ・ノヴェルは見つめない タカナシ @takanashi30

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