60.2 信念

「印の有る無しにこだわるのは、印を付けようと決めた奴らに賛同することと同じじゃないのか?」


 返す言葉がなかった。まさにその通りだ。


 一希は「どっちでもいい」と言われたことへの自分の反応に、その奥底にうごめく穏やかでない感情に、驚き困惑していた。「こいつはスムかもしれない」と思われることを、これほど激しく恐れるなんて……。


 こんな印などない方がいいと思ってきたはずなのに。全国的に廃止しようという動きを誰よりも歓迎していたつもりなのに。三日月がないことを必死に訴えてしまった自分に、一希は大いに失望した。


「この業界で……スムだと誤解されたらとても不利なんじゃないかと……」


 差し当たり思い付いた理由がそれだった。


「まあ、普通に考えて存在なのは間違いないだろうな」


 実際、スム族の処理士や補助士が喜ばれるとは考えにくいし、混血だって好まれはしないだろう。資格条件として公式に血統がうたわれているわけではないが、地域住民や、仕事を回してくる陸軍、そして何より任務をともに担う同業者たちの感情はどうか。


 殺戮兵器を根絶する任務を負った技術者が、その兵器を生み出したスムの血を引いていたら? 平穏な心でその処理を任せ、合同作業で自分の命を預けられるだろうか。


 新藤だって、スムの血を半分受け継いだ者を弟子として育てているなんて噂が広まれば、業界から締め出しを食らうかもしれない。この国は、まだまだそういう土地なのだ。


「先生、スムの処理士とか補助士って……いないですよね?」


「少なくとも公言してる奴はいないな。そういう噂も聞いたことはない」


「ちなみに混血は……」


「同じことだ。ついでに言うと、こいつは確実にワカだって奴もほとんどいないぞ」


「あ、そう……なんですね」


「不思議か?」


「あの……わりと古い体質の業界っていうイメージがあったもので」


 地域や分野によっては、進学や就職に際して露骨にスムを差別するのはやめましょうという風潮がいくらか根付きつつある。無論、表向きの話にすぎず、人々の感情まで差別忌避きひに染まったわけではないが、なるべく話題にしない傾向が強まっている。


 しかし、ワカ族一色の陸軍とこれほど密着した不発弾処理界には当てはまらないと、一希は思い込んでいた。


「意外かもしれんが、縁戚戸録えんせきころくの提出は最初からない」


「あっ、そうなんですか?」


 縁戚戸録というのは、国民一人ひとりの出生と死亡のほか、親子関係や婚姻関係を記した公的文書だ。自分自身や家族のものであれば、役所で入手できる。


 一般企業の入社試験で縁戚戸録を提出させられることは、徐々に減ってきていると聞く。それがこの業界では最初からなかったとは驚きだ。


「当初はもちろん、書類審査に含めようって話になったそうだ。それどころか、初級の時点で受験生を全員裸にして調べようって案もあったんだと」


「なっ……!」


 一希はショックのあまり言葉を失う。


「まあ三十年近く前の話だからな。でも、親父が食い止めた」


「お父様が……」


 さすが新藤隆之介。やはり先進性と行動力が並ではない。一希が遠慮なく褒めちぎろうとすると、新藤に先を越された。


「大したもんだ。あんな時代に、軍隊と政府相手によく通した」


 新藤は、独り言のようにしみじみと呟いた。父親の偉業に心から敬服している様子が伝わってくる。隆之介のお陰でこの業界があり、一般的には歓迎されない弱者たちでも実力さえあれば資格を取れる制度が保たれているのだ。息子としては誇らしい限りだろう。


「すごいですね。私たちみんな、その恩恵を受けてるんですもんね」


「そういうことだ。かといって、世間の歓迎度ってもんを無視していいわけじゃないぞ」


「そう……ですね」


 それは、「女」に対する軍員や処理士たちの態度に十分表れている。


「ルールがどうであれ、嫌う奴は嫌うのが世の中だ。だから隠せるもんは隠せ」


「……はい」


「ただし、堂々とな」


「堂々と……?」


「そうだ。堂々と隠すんだ。何もおびえる必要はない。その代わり、聞かれもしないのに触れ回る必要なんかこれっぽっちもない。もし聞かれたら、答える必要はないと一蹴いっしゅうしろ」


「はい」


「血の種類になんか何の意味もないと言ってやれ」


(何の意味も……)


 つまり、それが新藤自身の見解であり、一希の血筋についても他言する気はないということだ。


 果てなき受容と、惜しみなき援護。どこまでも深く温かいふところに抱かれるようで、胸が震える心地がした。湧き上がる感謝を伝えようとしたが、これほど骨身に染みるありがたさに釣り合う言葉が見付からない。


「まずは、お前自身が信念を持つことだな」


 そう言いながら悠々とレバーを口に運ぶ師匠には、決して揺らぐことのない信念がうかがえた。

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