60.1 血統
(どっちだってよくなんかない)
一希は自分でも知らぬ間にカーディガンを脱ぎ、パジャマのボタンに手をかけていた。
「おい」
新藤の視線を感じる。全てをその目で確かめて納得してほしかった。別にスムでも構わんと思われたままこの人の指導を受け、生活をともにするなんて耐えられない。何かが乗り移ってしまったような一希の両手が、一つまた一つと胸元を開いていく。
「ちょっ……何やってんだ、やめろ!」
座卓越しに伸びてきた新藤の手を振り払う。
「ちゃんと見てください。私は……私は……」
「わかったから、やめてくれ」
新藤の手に、両の手首をぎゅっと
「わかったから。お前はスムじゃない。三日月もない。お前がそう言うなら俺は信じる」
その言葉にますます涙があふれた。新藤の手が緩み、そして離れた。その手が畳の上のカーディガンを拾い上げ、一希の方へと突き出す。一希はそれを受け取って羽織りながら今さら羞恥を覚え、ボタンをはめ直した。下着を着けていないことすら忘れていた。
「まったく、飯ぐらい平和に食わしてくれ」
新藤はため息とともに食事に戻る。
何事にも正確なその手が箸を
「私は……混血なんです」
新藤は一希をちらりと
「だから何だ? 珍重してくれとでも言うのか?」
「いえ……これまで黙っていて申し訳ありません」
「まあ、そんなこったろうとは思ってたが」
「え?」
「血の匂いには敏感な方でな。いや、血に対する執着心にと言うべきか」
執着心という言葉に一希は納得した。劣等感と言い換えてもいい。
「父が
呂吟というのは、現存する数少ないスム族一色の集落の一つだ。雀爛は川を挟んで呂吟と接している農業の町。
「よりによってなぜスムの男を選んだんだ、と嘆いてるわけか?」
自分は果たして嘆いているのだろうか、母の選択を。もしそうだとしても、なかなか素直には認められないが。
「そのお陰でお前が生まれたんだろ。少しは感謝してもよさそうなもんだがな」
「感謝はしてますけど……」
感謝はしているが、自分の血を気に入っているわけではない。その事実に、たった今気付いてしまったような気がした。
「なぜそんなにこだわる? 私は混血だからスムのうちに入らない、三日月がないからスムじゃない……スムが憎くてたまらんという意味にしか聞こえんぞ」
「そうじゃないんです。憎んでるとか、見下してるとかでは決して……」
「そりゃそうだよな。憎むことには生産性がない、ってのがお前の持論のはずだ」
確かに履歴書の志望動機にはそう書いた。その主張自体は何ら偽りではない。けれど……。
父のことを低く見ていなかったと、胸を張って言えるだろうか。胸に刻まれた赤い三日月。この印を持つ者に対する世間の侮蔑や同情の目を非難しながらも、自分に印がないことに密かに安堵してはいなかったか。
いや、たった今だって、スムたちとの間にこうして必死で線を引こうとしているではないか。
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