94 親

 この兄の存在を知った時は、探そうと思った。一希に残された事実上唯一の血縁だ。


「両親が結婚してから私が生まれるまでに八年かかってるんです」


 だから少なくとも八歳以上は離れていることになる。


「名前を付ける前に転出してるぐらいだから、手放したのは生後間もなくでしょうけど、それが母との結婚のどれぐらい前かによりますよね。母と結婚したのは父が三十二の時なんで、もし十八とかでその子が生まれてたとすれば、今頃はもう四十すぎてるんです」


 あるいはまだ二十代かもしれない。その範囲の年頃の男性がスム族だとわかればそれとなく探りを入れてみたいとは思うが、明らかにスム、という人物に出会うことは少ない。機会自体がほとんどないのが現実だった。


「もしかしたら、先生ぐらいの年かもしれないですね」


 新藤に小さなえくぼができる。


「勘弁してくれ。お前の親父に似てるとか言い出すなよ」


「先生には偉大なお父様がいらっしゃいますから……でも、愛想をあまり重視しないところなんかはうちの父に似てるかもしれませんけど」


と、からかってやる。新藤が隆之介の息子であり、スムとワカの混血だとわかっていなければ、とてもこんな冗談は飛ばしていられなかっただろう。


「お前はたしか曽呉李そごりの生まれだったな?」


「はい。ただ、両親が曽呉李に移ったのは結婚してからで、その前にしばらく父が住んでたのは雀爛しゃくらんなんです。あの辺なら、どこかの施設に引き取られた可能性もありますよね」


 母の出身地、雀爛。呂吟ろぎんからワカの世界へと出ていったスムの若者の多くは、まず雀爛に移り住み、雀爛出身と称するのが通例となっていた。そのお陰で雀爛はとりわけ混血が進んだ土地でもあるし、当時なら三日月の刻まれた純血スムの赤ちゃんが生きたまま川に流されるぐらいのことは普通に起きていた。


 だから、兄にあたるこの「男子」の出生と転出の記録があるだけでも一希にとっては救いだった。もっとも、父がもしこの子を届け出ぬまま捨てていたら、一希がその存在を知ることすらなかったわけだが。


 新藤は、しばらく畳の一点を見つめていた。


「会いたいか?」


(……どうなんだろう)


 探すことは諦めて久しい。


「まあ、一応半分は血が繋がってるわけですけど、一緒に育ったわけでもないし、感覚的には他人ですから。そこまで積極的に会いたいとは……ただ、気にはなるっていうか、どこかで元気に暮らしてればいいなとは思います。でも向こうはきっと恨んでますよね、父のこと。そのもとでやすやすと平穏な暮らしにありついた妹のことも良くは思わないだろうし……」


「さあな。そればかりは本人にしかわからん」


 どこでどうしているのか。それだけでもわかればいいなとは思う。


「一希って名前、父の一推いちおしだったらしくて……もしかしたら、兄に付けたかった名前なのかなって」


「……なるほど」


「親ってやっぱり、男の子が欲しいものなんですかね?」


「そりゃ人によるし、状況にもよるだろ」


「子供心にも何となく、本当は男の子が欲しかったのかなあってことは伝わってきたんです、父も母も。産着うぶぎなんか男の子だと信じて用意してたものばかりだったから、どの写真見ても男の子にしか見えなくて」


「嫌だったのか?」


「え?」


「辛い思いをしたのか? そのせいで」


「辛かったわけじゃないですけど……どこか期待にこたえようと、してたような気はします」


 新藤の両目が一度閉じ、そしてどこか遠くを見つめた。


「そうだな。決して過去形じゃない」


(先生……)


 わかってくれている。この人は誰よりも。


 考えてみれば当然かもしれない。「いかに男と張り合うか」。一希がそれにとらわれていると自覚させてくれた張本人なのだから。


「でも、大丈夫です。私ももう大人ですし、死んだ親を責める気なんて毛頭もうとうありません。大事に育ててくれたことは確かですから」


 新藤はかたむけた湯飲みの中をのぞき込み、ぽつりと呟いた。


「親もいろいろだな」


 つくづくその通りだ。一希の父のように自分の子を他人の手に委ねたり、菊乃のように他人の子を育ててみたり、あるいは新藤の母親のように、子を産むと同時に命を落としてしまう者もいる。


 お茶をすすりながら新聞を広げた新藤を座敷に残し、一希は夕飯の支度に取りかかった。

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