95 頼み

 残暑がいくらかやわらいだ頃、一希は約二ヶ月ぶりに新藤の車の助手席に座った。このところ仕事がほとんど入っていない割に留守がちだった新藤が、久々に入れた自主探査。


 現場は、九十九つづら折りをくねくねとしばらく登った山の中腹だった。ハイキングコースの両サイドの草地。一つしかない探査機を操作するのは、やはり一希の仕事だ。


 無事に予定範囲の探査を終え、見付かったオルダ一個を爆破処理した。片付けを済ませ、道具を車に積み終えたその時。


「ちょっと寄り道していいか?」


「あ、はい」


 買い物でもあるのかと思いきや、車は来た道を下る代わりに、さらに上へと登り始めた。行き先の予想はつかずとも、その時点で新藤の意図は十分に察せられた。そもそも今日の探査の時間と場所を決めたのは新藤だった。探査の方がついでであり、口実だったのだろう。


 間もなく日が暮れようとしており、新藤はヘッドライトを点けた。徐々に狭くなった道幅が再び広がり始め、坂はやがて緩やかな下りへと転じた。


 エンジン音とラジオが車内を満たす。夕方のニュース。交通情報に天気予報。それらがいつも通りのようでありながらそうでなく感じられるのは、一緒に仕事に出たのが久しぶりだからだろうか。それとも……。


 会話のない時間がいつになく苦しくて、一希は窓の外に意識を向けた。周囲の景色はみるみる薄暗くなる。


 車が停まったのは、車道の脇に設けられた未舗装の駐車スペース。ここからハイキングコースに合流できるようになっている。


 新藤にならって外に出ると、日はとっぷりと暮れており、家の周辺とはまた違った虫のが聞こえた。


 開けたなだらかな斜面の隅に、古びた木のテーブルとベンチが見える。ハイキング客用の休憩地点になっているらしい。その向こうには街の灯が見下ろせた。ぼんやりとそれを眺めながら、一希の意識は隣にたたずむ新藤に向いていた。


「冴島」


「はい」


 つい肩に力が入る。が、放たれた言葉は予想を裏切った。


「お前に頼みがある」


「えっ? あ……はい。何でしょう?」


 新藤はひと呼吸だけ置き、いきなり本題に切り込んだ。


「うちの処理室を引き継いでくれないか?」


 一希は絶句した。


(処理室を……私に!?)


 不発弾処理室の管理業務は、補助士には許可されていない。


「処理士の資格を……取れってことですか?」


 処理士の資格制度は、補助士のような試験の合否によるものではない。補助士としての仕事ぶりと、関係者からの推薦状を見て試験協会が審査する。


「まあ、資格を取らんことには始まらんからな。心配いらん。一応、施設管理に関する質疑応答はあるが、お前が知らんような話は出てこない。今の知識で十分満点が取れる。面接の当日、指定された場所に行って、金を払って、質問には正解を答えて、あとは理事たちと少し雑談すれば合格だ」


 それは一希も大体知っているが、受かるかどうかを心配しているわけではない。一希にとって処理士になることは、他の全てをあきらめることと同義だった。……唯一の例外的な可能性を除いて。


 夢見たその奇跡が泡と消えたことを、自分が今夜ここで重大な決断をすることを、たった今知ってしまった。膝が、腰が、崩れ落ちそうになるのを、一希はギリギリのところでこらえた。


「ここから見える範囲だけで、何万という爆弾が人知れず眠ってる。古峨江こがえにはまだまだお前の力が必要だ」


 一希は努めて平静を保ち、目をしばたたいて何とか口を開いた。


「先生は……どちらへ? 何かご計画でも?」


鳶代とびしろの研究所に呼ばれてる」


「鳶代……」


 隣の県の田舎町だ。古峨江市内から車でなら二時間弱だろうか。


「実は、三年ぐらい前から頼まれてはいたんだ」


(三年前って……)


 一希が助手はいらないかと新藤宅の門を叩いたのが、今から二年半ほど前のことだ。研究者たちが何年経とうと新藤を諦め切れないというのはわかる。しかし、新藤がそれだけ長く断り続けておいて、ついに首を縦に振るとは……。

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