33 お呼ばれ

 ある土曜の昼下がり。一希は新藤の軽トラの助手席に座っていた。古峨江こがえ市内を端から端まで丸ごと横切り、さらに隣町の賑わいを後にした閑静な住宅街に檜垣稔ひがき みのるの家がある。


 一希が檜垣家を訪れるのは、助手にしてくれと押しかけた時以来、半年ぶりだ。二階建ての一軒家。庭も広々としているし、洋風の家具や調度品も結構立派だった。檜垣がこの家に住んで五人家族を養えるのなら、うちの師匠だってもう少しいい暮らしができそうなものなのに、と一希は思う。


 ピンポーンという品の良い呼び鈴に応え、ドアが開いた。


「こんにちは……きゃー、かわいい!」


 玄関で二人を迎えた檜垣の腕に、きょとんとした表情の赤ん坊が抱かれていた。一希が新藤宅に移り住む少し前に生まれたと聞いているから、六ヶ月になるはずだ。


 新藤は檜垣を丸っきり無視して赤ん坊の方に話しかける。


「おお、リアン、久しぶりだな。さすがに大きくなった。おっ、ちょっと母さんに似てきたか? よかったなあ」


「おい、どういう意味だ」


と檜垣が新藤の頭をはたき、リアンと呼ばれた赤ん坊を渡す。次の瞬間、一希は我が目を疑った。抱っこなんて嫌だと拒むのかと思いきや、新藤はあっさり受け取って頬ずりまでしている。


「いらっしゃい、冴島さん。久しぶりだね」


「檜垣さん、その節はありがとうございました。あ、これ、プリンなんですけど、お口に合うかどうか……」


「あ、楓仙堂ふうせんどうじゃない。ありがとうね、気つかっていただいて」


 誰もが知っている老舗しにせの洋菓子屋だ。新藤が手ぶらでいいと言い張るので自分の貯金で買ったのだが、それを知った新藤が結局は出してくれた。値段を知った時にはプリンごときがなぜこんなにするんだとぶつくさ文句を言われたが。


 リアンは真ん丸の目をぱちくりさせて新藤の顔をじっと見つめている。それをいつになく柔らかな表情で見つめ返す師匠は、およそ仕事の鬼には見えなかった。


「俺のことおぼえてるか? 病院で一回会ってんだぞ」


 と、そこへ、


「バキューン!」


 新藤が指鉄砲に撃たれ、腹を押さえてくの字になった。


「うおっ、やられたー! ってか、不意打ちは卑怯だぞ。こら、カイト!」


 新藤がすごんでみせると、長男カイトはダッシュで逃げ、廊下の奥からあかんべえをしている。元気一杯の七歳児。腕白わんぱく真っ盛りの男の子だ。新藤は、


「ほーら、冴島のおばちゃんだぞ」


と、リアンを一希に渡し、カイトの捕獲に向かった。


「ちょっとその紹介ひどくないですか? よっ……こらしょ」


 新藤は何の違和感もなく抱っこしていたように見えたが、意外にバランスが難しい。新藤と少年のやりとりを聞きながら、一希は体勢を整える。


「よお、カイト。また背伸びたんじゃないか? そのうち抜かれるな」


「にょきにょきにょっきーん! ねえケンケン、ちょっと来て。いいもん見せたげる」


(ケンケン!?)


 新藤の名前が建一郎であることは一希も承知しているが……。


「いいもんは飯の後でな。ほら、母さんの手伝いしなくていいのか?」


「してたもん」


「またテーブル拭いただけとかじゃないだろうな?」


「違うよー。あれ、何してたんだっけ?」


と、カイトはいっちょ前に腕を組んで首をかしげる。


「サラダの盛り付けね」


と台所から声がかかった。


「あ、芳恵よしえさん、ご無沙汰してます。お招きありがとうございます」


「一希ちゃん、いらっしゃい。あらあ、リアンよかったわね。もう仲良しになったのね」


 リアンはおとなしく一希の腕の中に収まっていた。


「全然人見知りしないんですね」


「同じ女の子でもミレイの時とは大違い。やっぱり三人目ともなると図太いのかしらねえ」


「かーわいい。でも結構重いんですね、六ヶ月の赤ちゃんって」


「あ、下ろして大丈夫よ。もうお座りできるし。ハイハイはまだちょっと下手っぴいだけどねえ。あ、ケンちゃん、ほら、飲み物適当に出して始めてて」


「ん。ミレイはどうした?」


と新藤が辺りを見回すと、檜垣が黙って天井を指差す。なるほど、今日は二階にいるのだ。ミレイというのは一番上の女の子だが、一希が初めて来た時には友達の家に遊びに行っているとかで留守だった。


「あいつ、また何かへそ曲げてんのか?」


「それが特に何ってわけでもないんだよな。何なんだろな」


 華の十四歳。父親には未知の生き物のように見えるだろう。

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