32 差し入れ

 一希の道具渡しにはだいぶ余裕が出てきた。工具をあらかじめサイズ順に並べておき、号数の指定がなければ状況からあたりをつけて三つほど新藤に見せ、選ばせる。その他の補助業務でも、ある程度先を読めるようになりつつあった。


 これだ、という充実感。実務に直結した学び。現場で役立つと確信の持てる訓練。それを業界トップから直々じきじきに得られるのだから、文句のあろうはずもない。


 知識も対応力も我ながらまだまだ頼りないが、少なくともこの方向に進めばよいのだという羅針盤を得たことは大きい。補助士になれそう、という希望が、はっきりと一希の前途を照らし始めていた。


 一希の進歩を見るや、新藤は次々と新しいことを教えた。さまざまな爆破装置の設置はもちろん、初級補助士を目指している段階ではまだ気が早いと思われるような、信管へのアダプターレンチやロケットレンチの取り付けに、離脱作業そのものまで。あらゆる状況判断についてもどんどん指導する。


 特にオルダの解体作業は、こんなに早く教えてもらえるとは思ってもみなかった。


 オルダにも種類があるが、最も基本的な円筒型の一種であるストロッカに至っては、処理済みの実物を使い、本番さながらに全身を覆う防爆衣を着け、一希一人で模擬解体作業をひと通り終えられるまでになっていた。


 外が涼しくなると、本物の探査機を使って庭で探査の真似事まねごともし、爆弾の模型を相手に遠隔抜きの仕掛けも組んだ。




 庭のイチョウはいつしかすっかり葉を落とし、朝晩の冷え込みも厳しくなった。洗い物を済ませた一希が部屋に戻って洗濯物を畳んでいると、コンコンコンとドアが叩かれる。


「冴島、いるか?」


と、ドア越しに新藤の声。


「はい、あ、ちょっと待ってください」


「都合が悪いなら出直すぞ」


「いえ……」


 下着を含む洗濯物を手早く布団の下に押し込み、ドアを開ける。


「すみません、お待たせしました」


「ほれ、お望みのものだ」


と差し出されたのは、ちょっとした雑誌サイズの本。表紙に『よくわかる安全化』とある。


「あ、これ……ありがとうございます」


 一希がリクエストしていた副読本だ。そういえば頼んだのは夏前のことだが、暇は十分すぎるほどつぶれていたから忘れかけていた。


 ぱっと見たところ、表紙のくすみ具合からして新品でなさそうなのはもちろん構わないが、背表紙の幅に比して中身がやけに薄っぺらい。開いてみると、ページがまとめて切り取られた跡があり、全体の三分の一ほどしか残っていない。


 一体何のつもりなのかと師匠の方を盗み見ると、平然と言い放たれた。


「そこにない部分は必要ない。手法が時代錯誤だったり、誤解や混乱を招く表現が非常に多い本だ。『よくわかる』が聞いてあきれるな」


 よく見ると、残されたページにもところどころ赤で斜線が入っている。


「ただし、デトンのこまごまとしたパターンの例示とか現場写真なんかはそれなりに役立ちそうだから残しといたぞ。おそらく授業でも部分的に参照するだけだろう」


 なるほど、その可能性は高い。それに、学校がどのように使っていようと、新藤がそう言うなら従っておけば間違いない。


 ふと顔を上げると、新藤の視線が一希の背後に注がれていた。もしや先ほど隠したはずの洗濯物がはみ出ていたのではと慌てて振り向く。


「その上着の山は何だ?」


 あ、そっちのことか、と胸をなで下ろす。布団の上に重ねたコートやジャケットのことだ。


「ちょっとですね、明け方にいくらか冷え込んだ日があったものですから……」


 新藤の鋭い視線が一希の胴体をさっとなぞる。やたら着ぶくれしていることにも気付かれてしまったらしく、密度の濃い眉がみるみるうちに寄っていく。


「なんで早く言わないんだ。また勝手に我慢大会か?」


「いえ、一応しのげてましたので……いよいよ寒くなったらご相談しようかなと」


「そんなんで風邪でもひいたらどうする」


「あ、そこはなるべくひかないようにしっかり栄養を取って手洗いうがいを……」


 新藤は苛立ちあらわに首を振り振り、部屋を出て行ってしまった。追いかけて弁解したところで怒られるだけだ。明日改めて説明しよう、と思えるだけの余裕が一希にも生まれていた。寝食をともにしてきた半年弱は伊達だてではない。


 ところが、三十分ほど過ぎた頃、ドアの向こうでドスンと音がした。


「先生?」


 開けてみると、床に温かそうなベージュの毛布が一枚と、その上に湯たんぽ。


(うわあ……いいのかな、先生にこんなお世話までしてもらっちゃって)


 早速お湯を沸かしついでにお礼をと思ったが、新藤はすでに処理室にこもっていた。

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