風媒の葉
児玉 信濃
コートの幽霊
僕のコートには幽霊が憑いている。
そのことに気がついたのは去年の11月頃、コートを買って半月ほどが経ったときだった。
その赤いダウンは量販店で買った安物で、ポケットに金属のボタンが一つずつ付いている以外はこれといった特徴もない地味なものだ。その色もあってか、祖母に「年寄りが着るようなやつ」とさえ言われたが、もとより僕は若者的なファッションを避けるタイプなので全く気にならなかった。暖かい割に取り回しがよくて、いい買い物をしたと当時は思っていた。
しかし去年のあの日、何かが憑いていることに気がついたのだ。
それは2つの大通りを結ぶ薄暗い道で、異様に高い街路樹が立ち並び、隣の青果市場からであろう果物の腐ったような匂いが薄く充満する道である。あまり歩いていて気持ちのいい道ではないけれど、最短距離がこの道なので仕方がない。
夜、車通りこそ多少はあれど人通りは全くないその道を一人歩いていると、背後に「カン、カン、」という足音が聞こえてきた。いつの間に後ろに人がいたのかと思って振り返るも、そこには誰も姿も見えない。ではこの音は自分が発しているのかと思って背負っている鞄を確かめてみたけれど、そんな音が鳴りそうなものは付いてはいない。じゃあこれは、きっと気のせいなのだと言い聞かせて、その日は早足で家へと帰った。
それ以来時々その足音が付いてくるようになった。昼も夜も関係なく、人でごった返す大学内の通りでもそれは聴こえた。ただ一つ共通しているのは、例のコートを着ている時である、ということであった。
琴。僕は彼女をそう呼ぶ。別に女性の霊だと確認できたわけではないのだが、その方がうれしいのでそういうことにしておく。
彼女に琴と名付けたあたりから、彼女のやる事の幅が増えてきた。風も吹いてないのにめくれあがったり、きちんとハンガーに掛けていたのに勝手に移動したり。首元をガサガサ揺らしてきたときは流石に身の危険も感じたが、そのまま首を絞められるようなことは無かった。
琴は何も言わない。もう少し愛想よくしてくれればいいのにとは思う。意思の疎通とまではいかなくても彼女の意思を少しでもくみ取りたいのに、そうはいかないもどかしさがある。彼女は何者で、何故僕のコートに憑いたのか。考えるだけ無駄だとわかっていても考えてしまうのが人間の性なのだろう。
僕はある時ふいに、彼女のことを友人に相談してみた。突然オカルト話を持ち込んでも引いたりしない程度には信頼のおける奴だ。
彼の答えは単純だった。まず考えられるのは、幽霊の足音とか勝手に動くとかってのは気のせいである、ということ。でも気のせいで片付けるには彼女のやる事は大胆だ。風の吹きようがない室内でコートが数メートルも移動するはずがない。
それじゃあ、と彼は疑り深さを隠さない声色で続ける。君がコートの幽霊ちゃんを信じているのなら、早くそのコートを捨てるべきだ。呪い殺されないうちに。
結局、僕は貴重な友達の進言を無視し続けたことになる。今は4月で、コートを着るような気候は既に過ぎ去った。
じゃあ彼女は、琴はどうなったかって? 彼女は押入れにしまってある、他の冬物と同じように。でもそれだけで済ますには、僕は琴と長く過ごし過ぎた。だから、彼女と一緒に僕の好きな本を一冊と、メモ帳とペンを入れておいた。半年間押入れに入ってる間に彼女がつまらなくならないように。そして、僕に何かメッセージを残してくれることを期待して。
風媒の葉 児玉 信濃 @kodama3482
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