悪魔憑き編_11

 私は後日、事の次第を報告しに朧月探偵事務所を訪れていた。探偵の姪であるリツカちゃんがお茶を淹れてくれた。私の正面にはソファに大きく背を預けた探偵が座っていた。

「調子でも悪いか?」

 探偵はそんなことを言った。牧瀬についての報告をしただけなのだが、こいつは何かを勘付いたらしい。私は苦笑した。

「お前、カウンセラーにでもなったらどうだ」

「趣味じゃない」

 探偵は電子煙草をふかした。煙を越して探偵が、冗談はよせよ、とでも言うように悪趣味な微笑みを見せた。

「なんでお前はそんなに人の心の機微が読める?」

「あんたも読めるだろ。それとも、自分だけはしっかり感情を隠せているつもりか? リツカの顔を見れた癖に一ミリも反応しないじゃないか」

 ああ、そういえばそうかもしれない。しかし、今はそういう気分ではなかった。故に、

「そういう日もある」

 等と返した。しかし、探偵は怪訝そうな顔をした。納得していないらしい。

「俺が見る限りはそんな日なかったがね。……ま、言いたくねえならいいさ」

 私はどうやら分かりやすいらしい。学者として冷静に振舞ってきたつもりだが、探偵といるとどうにも気が抜けていけない。私はお茶を啜った。あたたかいほうじ茶の香ばしさが口に広がる。

「……言いたくない、というわけではない。ただ、ずっと考えていることがある」

「ほう。お見合いがどうすればうまくいくかか?」

「茶化すな。……私が結界を抜けた、という話をしただろ?」

「ああ。それが原因で牧瀬智治の計画は破綻した……だったな」

「それなんだよ。なぜ私があの結界を抜けたか、悪魔は知っているようだったがその答えをついにくれなかった。それに私の蘇生術と関係がある、みたいなことを言っていた」

「それが、気になっているのか」

「いや」

 私は首を振った。確かに気になってはいるが、本題はそこではない。

「そっちじゃない。私は……私自身が知らないなにかがあるのかもしれない。それが大それたことのようで」

 悪魔がやってたように、自虐的に笑ってみせた。

「なんだか末恐ろしいんだよ。私の中に、牧瀬のように何かが潜んでいるんじゃないかとな」

 探偵は意外そうにこちらを見たが、すぐに身体を起こして、

「おいおい、しっかりしてくれよ。あんたらしくもない」

 そう頭を掻いた。

「……で? それだけか? それじゃあ探偵の仕事はないぞ」

「なっ……お前が言えと――」

 私は顔を真っ赤にして言うが、探偵は悪戯に笑って見せる。

「そんなこと一言も言ってねえがな」

 お前の方が悪魔だ。じゃあ仕事でもくれてやる。

「じゃあ推理は得意だな、探偵様」

「茶化すなよ」

 嬉しそうに、楽しそうに、しかし邪に笑うのが腹立たしい。私は顔をしかめた。

「悪い悪い……続けてくれ」

「蘇生術と私が結界をすり抜けられるのとどんな関係があると思う?」

「知るか。情報が少なすぎる。悪魔は他になにか言ってなかったか?」

「ああ。『あなたに教えても無駄だ。彼女は死んだわけじゃない』と」

「で? 彼女って誰だ?」

「それが分からんのだ。あれから数日が経とうとしているが、心当たりはない」

 だが、嫌な予感が拭えずにいる、ということは言わなかった。

「ふうむ、なるほどな。サイキッカーの皆様のご意見はどうだった?」

「伊良樹氏は、結界は専門外だと言っていたな。あの結界を現に破った美麻からはいろいろ話が聞けたぞ。そうだ、探偵。後学のためにも聞いていけ。あの結界がどんなものだったか」


 宮司、白水美麻の時間を取るのは難しい。詳しい事情は守秘義務があるとの事で教えてはもらえないのだが、サイキッカーが集まる組織が存在しているらしく、そこでの仕事とやらで時間が取れないらしい。サイキッカーはサイキッカーで自衛の手段を持っているようだ。

 しかし、牧瀬の一件が落着した後――いや、正直落着などと評したくはないのだが――、すぐに美麻とは予定を合わせることが出来た。ただ、あまりみだりに公の場で話すことでもないために、再び美麻を我が家に招くことになった。

「宮本さん……なんか汚くなってません?」

「ああ、すみません。ちょっと気が回らなくて」

 前回の緊張と準備はどこへやら、美麻にそんなことを言われてしまい、申し訳ない気持ちと情けない気持ちがない交ぜになった。だが美麻は少し微笑んで、

「でも、宮本さんらしいですね。散らかってはいますけど、書類ばかり。全部オカルト関連ですね」

「ええ、まあ……」

 そういうことにしといた。いつしかの公共料金支払いの封筒は足でそっと退けた。

「とりあえず、座ってください」

 私は部屋で唯一無事なソファに美麻を座らせ、私も座る。

「まずは、ご無事だったようでなにより」

「いえいえ、それを言うなら美麻こそ。無事でよかったです。……ありがとうございました」

 すると美麻は微笑みながら、首を緩く振った。

「お礼なら、あの探偵さんに。あそこは衆目に晒される場所でしたから私の力が弱まってしまうところでした。しかし、あの方が身体で私を隠し、また私に対して信仰を向けてくれていたので、負担が少なく済みました」

「探偵が?」

 私は驚いた。奴がオカルトを実践した、ということに対してではない。奴が、私がべらべらと喋って興味なさそうに聞き流していた話題をしっかりと頭に入れていたことに対してだ。探偵……というか刑事にはそういった記憶力が備わっているのだろう。今度礼を入れておこう。そもそも探偵には感謝することが多すぎる。やはりちゃんとした礼の品でも送ろう。

「それで、あの結界についてなんですが……」

「ああ、あれですか。はい。あの結界にはひどいノイズが掛かっていました。ノイズ、というのは怨嗟の声というか、怨霊の嘆きが纏わりついていて、結界の始点が見つけられませんでした。なので宮本さんの所持品の残留思念を辿って、結界の始点を探ったのです……って言って分かります?」

 私は苦笑しながら首を横に振った。私のような凡人が理解するには朝から晩までの懇切丁寧な説明が必要だろう。

「あまり。……ただ、あの結界に関して、結界を張るための形式が全く見つからなかったのですが、それは?」

「ああ、それはですね。後日調べてみたんですが、土地自体に楔が埋められてました。ただ信仰ではなく恨みの力が強かったために今まで見つからずに残っていたんでしょうね。あのレベルだとあそこで寒気を感じる方も多かったんじゃないでしょうか」

「なるほど。……私が入れた理由はなんですかね」

「うーん……。あの結界に人を招き入れたことを考えると、宮本さんが仰っていたペンダントがなくても入ることはできるみたいですね。そうなると物質的な物ではなく、もっと無形的な物を持ち合わせていた、と考えられます」

「無形的な物?」

「ええ、此度は『無形の鍵』とでも称しましょうか。これに関しては形而上学的なものから記憶や詞のようなものまでが存在しています。だから何が該当するかは分からないですけども……」


「はあ。よく分からんが、その……無形の鍵? というやつをあんたも持っていた、ということになるのか」

 私は頷く。

「それ以外には考えられない。美麻にもそれを見てもらおうと思ったのだが、さすがにそこまでの力はないと断られてしまった」

 ふむ、と探偵は顎に手を当てた。目を細めて考えているあたり、光明でも見えているのだろうか。

「今回の三人の被害者に無形の鍵を渡したのは悪魔なんだよな?」

「ああ。正しくは牧瀬の信仰によって歪められた悪魔だが。……ん? 探偵、今、渡したと言ったか?」

 ああ、と探偵は答えながら、煙をぷかぷかと浮かべている。

「渡したという言葉が適切かどうかは知らんがな。きっと形而上学的な鍵だろう。三人の学生と牧瀬の関わりはなかった、っていうのは警察の調べで分かっている。もし、詞や記憶を刷り込むにしてもかなりの特異性が必要じゃないか? 生半可なものなら簡単にあの場所は見つかっているはずだからな」

「ふむ、なるほど。確かに形而上学的な鍵でなければアレはどんどん伝播して……死体の山が出来上がっていただろうな」

「ああ、だから渡した、と言った」

 ふむ。確かに一番筋の通る説明だろう。

「上出来だ、探偵」

「そりゃどうも」

探偵は両手をマジシャンのように広げてみせた。こいつはこういう芝居くさい悪ふざけが好きなのだろう。動きの端々に悪意を感じずにいられない。

「……で、本題はこっちだ。あんたは記憶がないかもしれないが、鍵を受け取っていたかもしれんぜ」

「悪魔が嘘をついていると?」

「いいや。あんたの話を聞く限り、悪魔はひどくお節介焼きだったようだしな。まあそれを証明するのは正に――悪魔の証明なんだが。まあ、嘘をついてないと仮定しようぜ」

 そう仮定すると、自然とこうなるんだな。探偵は電子煙草で私を指す。

「そのペンダントを持っていたサイキッカーがあんたに手渡した」

「馬鹿な」

「いいや。自然なのはこれくらいだよ、学者様。そうなると、このサイキッカーが鍵を握っているとは思わないか? 悪魔の話では、蘇生術とあんたが結界を通り抜けたことに関連があるというが、蘇生術とそのサイキッカーが関連していると言えば話は分かりやすそうじゃないか?」

 探偵がそして、止めの一言のように、こう放った。

「なあ、このサイキッカー……女かもしれないな」

 どくん。悪魔に『彼女』という言葉を放たれた時と同じような、心臓の衝撃。血液が沸騰しているかのような体温の上昇を感じた。探偵が私の顔を覗き込む。

「平気か?」

「……ああ」

 動悸がひどい。急な山道を登ったかのような身体を落ち着かせようと、私は茶を飲んだ。冷めたほうじ茶が喉から胃へと流れゆくのが感じ取れた。

「ビンゴっぽいな」

「気持ちが悪いな。……私の頭では何も分かっていないというのに、身体が反応する」

 探偵は私の顔をじっと見つめてから、ソファに再びもたれた。

「学者様。なんとなく、あの悪魔が言いたいことが分かった」

「……なんだ? 戯言なら間に合ってる」

「茶化すな」

 自分を誤魔化すための冗談を、今度は真面目な制止を食らった。

「いいか。こいつはオカルトとかそういう話じゃない。きっとあんたの中に封じられてる記憶を掘り起こすだろう。あんたはその記憶に傷つけられるやもしれん」

「私に……封じられている記憶……?」

 信じられなかった。しかし、私の身体が反応するということは、間違いなく私の知らない記憶が私の中に存在しているのだ。私も冷静に頭で考えれば、簡単に推測が出来ることだ。

「ああ。そしてその様子だと、恐らく強いトラウマを伴っているだろう」

「……だろうな」

 顔の血の気が引いているのも自分で分かっている。さーっと、等と言うが、自分の肌が上から冷たくなっていく感覚は何度も感じている。自分の頭の内にいつからかパンドラの箱が存在していることは、もう重々承知していた。

「どうする? それでも……掘り起こすか? 幸か不幸か……あんたが分からんでも身体反応に嫌というほど物が出る。手がかりはあんた自身の中に宿ってるが……ひどいことになるかもしれない」

 確かに、この予感がろくでもないものであることはあまりに生々しく感じられていた。しかし、気づいた以上は仕方がない。そう思った。私は学者なのだ。一つ謎を提示されて、それで傷つくとして――はいそうですか、と引く訳にはいかない。私は深呼吸をした。震える手で、シャツの胸元を強く握った。

「……探偵。依頼だ。由利根山に痕跡を残しているサイキッカー。あれについて調べてくれ」

 探偵は、ああ、と静かに返しただけだった。煙草を吸い、俯いた顔からは何の表情も読み取れなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

宮本見聞録 時雨逅太郎 @sigurejikusi

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ