孤高の舞台

立花 零

first




 暗い部屋、上がるカーテン、沸き上がる拍手。

 この時のために、私は生きてきたのか。


 フッと息を漏らす。

 なんだ・・・こんなものか。









「お疲れ様」

 男が立ち上がり、舞台から降りる少女の肩に布をかける。少女は当たり前のようにそれを受け入れ、立ち止まらずに控室に向かう。


 鏡に向かって少女は自分に問いかける。

【ここがあんたの望んだ場所?これで満足?】

 自分を見つめる瞳が三日月のように歪む。なんて皮肉な顔だろうか。

 自分を愛せるように生きようと決めたはずなのに、何故目標に達した今、こんなに皮肉に満ちた心境で自分を見つめるのだろう。 

 拍手が聞こえてきた。

 今日も無事に舞台は幕を閉じた。少女はゆっくりと目を閉じて、椅子になだれ込むように座る。

 最近は疲れが取れていないように感じる。果たして自分が眠れているのかもわからない。


 もうしばらく、あの夢を見ていない。


「大丈夫か?」

 目覚めるようにゆっくり目を開けると、鏡に映る男と目が合った。

 目を薄めると、睨んでいると思ったのか、ハハッと笑った声が響いた。

「大丈夫そうだな」

「全然」

 崩れていた体を起き上がらせる。最近は気が張っているせいか、堕落した状態を人に見られたくないと感じることが多い。

「俺にくらい気抜いても問題ないだろ」

 男が笑うのを少女は何も言わずに睨む。

 首や腕にぶら下がっているものを無造作にとる。自分では取れない場所は、流れるような動きで男がとっていく。顔に着くものも剥ぎ取り、元の自分が露になっていく。この瞬間が苦手だ。本当の自分がわからなくなっていくようで。

「なんて顔してるんだ」

 自分の顔を見て苦い顔をしていたのだろう。男が眉を顰めた。

 一息吐いて、男に部屋を出るよう促す。

 自分には眩しすぎるきらきらとした衣装を脱ぎ捨てると、何の変哲もないただの小娘になった。こんな自分では、きっと誰の拍手ももらえないのだろうと思うと虚しくなった。

「終わった」

 着替え終わりそう声を発すると、すぐに男が入ってきた。

「もう帰れるか」

「うん」

 小さく頷くと男は少女の鞄を受け取り、先に外へ出た。少女は控室の電気を消しその後を追いかける。男は少女を気遣ってペースを落として歩く。それでも、少女には少し早く感じた。


 車に乗り込むと、いつもの香りが鼻をくすぐった。煙がまだ残る車内は、居心地がいいようで、苦手でもあった。

 男は運転席に乗り込むなり換気を始めた。

「悪いな」

「別に」

 後部座席からルームミラー越しに見る男の顔はもう見慣れたもので、直接見るより話しやすく、少しの間見ていても疲れなかった。

 外に視線を向ける。

 もう夜は更けて子どもは寝静まったころだ。それでもこの街は明るい。ネオンに照らされて寝静まることを知らない。地下では様々な人間の人生が彩られている。自分が拍手を浴びたように他の誰かもまた、あのスポットライトに当てられて輝きを放っているのだろう。

 暖房が効いてきて、窓が曇り始める。それをわざわざ擦ることはせず、そのまま視線を車内に戻した。ルームミラー越しの男は真っ直ぐに前を見ている。当たり前だ。運転中なのだから。

 目を閉じる。

 夢を見ることを嫌っていたのに、今ではむしろ夢を見せてほしいと願っている。

 現実に疲れると夢に逃げて、夢を恐れると現実に縋りつく。涙を流しても誰も助けてなどくれない。自分で調整して生きていかなければ潰れてしまう。

 車が止まったのがわかった。

「着いたぞ」

 つまらないことを考えてしまったことを後悔しつつ目を開ける。ミラー越しに男と目があった。

 傍らに置いた鞄に手をかけ扉に手をかけようとすると、いつの間にか男が外に出てドアを開けていた。宙で行き場をなくした手をシートに置き、腰を浮かす。

 地面に置いた足に力を入れて立ち上がる。眩暈がしてドアに寄り掛かる。やっぱり最近寝れていないのかもしれない。体力がなくなっているのだろうか。

「大丈夫か」

「・・・」

 目の前に差し出された手を少女は払い、自分の家に向かう。

「明日も同じ時間だ」

 背中に投げかけられた言葉は暗示のように頭の中に入り込み、明日の少女の光を遮る。

 小さな背中からは孤独と弱さを感じた。

 舞台に立つ彼女の堂々とした姿を見ているからこそ、帰り道の姿を見ると不安を感じる。このまま消えて明日にはいなくなっているんじゃないかと思ってしまうのだ。

 少女が完全に見えなくなると、男は車に乗り込む。そこから彼女の部屋の電気がつくまでそこにいる。それを見届けてから店へと戻る。

 男の働くショーで人気女優として舞台に立つ少女。元は女優ではなく住み込みの下働きとして屋根裏部屋で過ごしていた。その時と今と、特に変わってはいない。特に衣装から着替えた少女は昔のままだった。

 少女は当時の人気女優であったシーラに見初められ舞台を支えるものから舞台に立つ者へとなった。それは少女の望んだことではなく、むしろ拒みたいと思う選択でもあったはずだ。



 男が店へと戻ると、それを待ち受けていた人物がいた。

「レイ。彼女の様子はどうだ」

 男を呼んだのはシュウ。彼もまた舞台に立つ人間だった。

「・・・弱ってるな」

 彼女の背中を見ても、舞台から降りた瞬間を見ても、それは明らかなことだった。元々なりたくてなったわけじゃないだけに、今の状況に対する思いが小さい。それでも少女が舞台に上がり続けるのは、待っている人がいるからだ。

 少女はどんなに辛くても、苦しくても、次の日には舞台に上がっている理由は、普段の静かな彼女からは想像もつかないものなのだ。

「このままで大丈夫なの?」

「いや、」

 大丈夫ではない。けれど、彼女が自分から舞台を降りることはないということをレイも、シュウも、彼女を知る全員がわかっていたことだ。

「しっかり様子見ててね。不安だ・・・すごく」

 強く拳を握りしめたシュウは、レイに背を向けて舞台へと消えていった。今から明日の舞台の練習をするのだろう。シュウはどこか完璧にこだわるところがある。

 レイは舞台に付属するバーのカウンターに立ちグラスを片付ける。裏方の仕事は、舞台が終わってからこそ本番とも言える。もしくは舞台が始まる前。

 流れる水音に混じるシュウの声。グラスの水を切りながら視線をあげると、丁度クライマックスに入ったところだった。

「何故、あなたは・・・私を見てくれないんだろう!」

 大きく手を振りかぶって、悲しみを表現する。

 今やっている舞台は、孤高な女主人と、途方に暮れていたところを拾われた青年の恋愛ものだ。女主人を少女・アンナが、青年をシュウが演じている。二人はこの店の二大人気俳優だ。客の入りは勿論いい。しばらく内容は変わらないのに連日繁盛している。そのせいもあってか常に気を張っているアンナは調子が悪そうだった。

 シュウには疲れが見えない。それは、数年間ずっとここで主役級を張っているからこそのことなのだ。アンナは主役を担当するようになってからまだ日が浅い。無理もない。アンナは今16歳。主役の責任を一心に請け負うには若すぎる。そんな小さな少女を主役に抜擢したのは裏方となったシーラ。

「あら、まだやってたの。頑張るわねえ」

 カウンター前の席に座った女性。レイに飲み物を出すように言いつけ、シュウの様子を眩しそうに見る。

 レイは、一度片付けたものを出すことに躊躇いを感じつつも、言われたとおりに酒を出す。こんな時間に飲むなんて、とも思いつつではあるが。

「シーラさん。アンナは・・・」

 レイの言いたいことがわかったのか、シーラは頷いた。それから一気にグラスを空にして立ち上がる。舞台を降りた彼女も、当時の輝きは消えていない。

「確かにまだあの子は若い。でも、若いからってできないものは大人になってもできない。あの子が言ったの。やるって・・・だったら私たちは見守るしかないでしょ?」

 グラスをレイに渡して舞台に近付いていく。レイも、グラスを洗い場に置きカウンターから出る。シーラに近付くと、昔よりもその背中は小さく見えた。

 レイがここで働き始めたのは13歳。かれこれ10年ほど働き続けている。元々は食べていくためだった。それからここまでずっと居続けるのは、居心地がいいからなのだと思う。幼い時からここにいたからか、もう既に家のような場所だった。

「アンナが自分から辞めるって言ったら終わらせる。それまでは、辛いかもしれないけど、あんたも黙ってて」

「・・・はい」

 その頃にはシュウの練習は終わっていた。こちらを見てぼーっと立っている。話を聞いていたのだろう。

「シュウも」

「わかったよ・・・」

 いじけたように口を尖らせる。

 シュウがここに来たのはレイと同じタイミング。そこで二人は支えるものと支えられるものに分かれた。

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