私の物語

橘花やよい

私の物語

「私は物書きなのです。本を出すほどの実力もない、知名度なんてない、細々と物語を書いてはほんの少しの知人に読んでもらう。価値のない物語しか書けない。そんな物書きなのです」


 銀髪の男は自嘲した。

 少女は戸惑って、困ったように眉を寄せた。


「そのような物書き様が、なぜカタリさんをお探しで?」

「様なんてやめてください。物書きを名乗るのもおこがましいような人間なのです。――カタリとは、『詠み人』の名ですか?」

「ええ」


 男は遠くを見つめた。


「噂で聞いたのです。『詠み人』のことを」


 男は思いだす。

 ある時、風の噂で聞いた『詠み人』のこと。

 人々の心の中に封印されている物語を見通し、必要としている人のもとに届ける。それが『詠み人』という人間の仕事だそうだ。

 そして、この世界には、世界中の人々の心を救う究極の物語というものがあるらしい。『詠み人』はその物語を探している。

 男は少女に笑いかけた。


「私は究極の物語というものに興味があるのです」

「なぜですか」

「先程も申しました通り、私は出来損ないの物書きです。でも、私には大それた夢があるのです。私の物語を誰かの心に刻みこみたい。誰かに影響を与えたい」


 少女は訝しげな目を向けた。


「それと、究極の物語はどのような関係で?」

「究極の物語は、世界中の人間に影響を与えるほどのものなのでしょう。それは私の夢を叶えるものではないですか」

「まさか、究極の物語を奪って、自分の物語にしてしまうおつもりですか?」


 少女は不信感をあらわにした。

 男は慌てる。


「いえいえ、そこまでのことは――。ただ参考程度にはさせてもらいたいと、そう思ったのです。究極の物語を手本にできれば、僕の物語も多少ましなものになるのではないかと」

「――それで、カタリさんを探しているのですね」

「ええ。その詠み人が究極の物語を探しているのであれば、その旅に同行させていただきたく」


 少女は「なるほど」と頷いた。男への不信感はまだ残っているようだが、話を切り上げる様子はなかった。


「ですが、カタリさんはつい先日この街を出ていかれました。すれ違いになってしまいましたね」

「そのようですね。残念です。やっと追いついたと思ったのに」


 男は深くため息をつく。

 詠み人は各地を転々としている。男は情報を集めて詠み人のあとを追っていた。やっとこの街で出会えるかと思いきや、またすれ違いになってしまったらしい。


「あなたは、そのカタリという詠み人に物語を届けてもらったのでしょう」


 少女は頷いた。


「カタリさんは、とても面白い人でした」

「どんな物語を受けとったのですか」

「父との――、父と私の物語です」


 少女は窓際に移動し、外を見つめた。


「父は幼い頃に亡くなりました。突然、何も言わずに家を出て、帰ってきたのは訃報だけでした。どうやら父は危ないことに関わっていたらしいと、噂で聞きました。私はずっと、そのことに心をがんじがらめにされていたんです」


 少女は振り向いて男と目線をあわせる。


「でも、カタリさんが、私に父の物語を届けてくれたんです。――父は、たしかに危ないことに関わっていたらしいのです。詳しくは書かれていませんでしたが。でも、私に何も言わずに、一人で死んだのは、私のことを思ってのことだったようです。私には、危ないものとの関わりを作ってほしくないのだと思っていたようで」

「それが物語に書かれて?」

「ええ。私、それを読んで心がすっと軽くなりました。父は、あまり父親らしくない人でしたけど、ちゃんと私のお父さんだったんだと分かりました。父が勝手に死んでしまったことにはまだ怒っていますし、寂しいけれど――、私はあの物語に救われました」


 少女は男に微笑んだ。



 男はその晩、少女の下宿先の一室を借りて宿泊することとなった。

 ベッドに横になり、天井を見つめる。


「物語に救われる――か」


 カタリという詠み人が書いた物語が少女を救った。少女にとって、その物語は一生心に残ることだろう。

 羨ましいと思った。

 男は起き上がって机に向かった。

 鞄に無造作に放り込まれていた紙を取り出し、机に広げる。紙の上にペンを走らせた。


「おはようございます」

 

 少女の声で目が覚めた。

 

「あら、すごい紙の量」

 

 部屋に入ってきた少女は目を瞬かせた。

 男はいつの間にか机に突っ伏して眠っていたようだった。辺りにはくしゃくしゃにされた紙屑が散らばっている。唯一机の上には綺麗なままの紙が乗っていた。


「すみません、つい夢中になってしまって。すぐに片付けます」

「――あの、これ物語ですか」


 少女は机の上に置かれた紙を見つめた。


「ああ、昨日なんとなしに書いたものですから。駄作ですよ」

「読んでみたいです」

「しかし、人に見せるようなものでは」

「読みたいです」


 男は戸惑いながら、おずおずと紙の束を渡した。

 紙屑を拾い上げながら、ちらりと少女をうかがい見る。

 全部読み終わると、少女ははあと息を吐いた。


「これ、昨日の私の話を聞いて書かれたのですね」

「ええ。勝手にあなたの話を使ってしまって――申し訳ない」

「いいえ。とても素敵でした」


 父と少女の話だった。

 父は不器用で少し怖い。少女は父のことが理解できなかった。けれど、父は少女のことをとても愛していた。少女は大人になってから、そのことに気づいた。二人は数年越しに打ち解けた。


「なんの捻りもない、駄作です」

「そんなことはありません。私は、もう現実では父と会えないけれど、あなたの物語の中では、私は父と再会できたんですね。私の叶わなかった夢を、あなたの世界で叶えてくださった」


 少女は紙の束を抱きしめて微笑んだ。


「あの、よければこの物語を私にくださいませんか。お金ならばお出しします」

「いえ、その紙束にそんな価値はありません」

「どうしてです? 私はとても素敵なお話だと思います。それに、書き手のあなたがそのようなことを言っては、この物語が可哀想です」


 紙束を取り上げようとする男をかわして、少女はぎゅっと物語を抱く。


「自分の物語を、もっと大事にしてあげてください」

「ですが、私のような人間が書く物語なんて、なんの価値も」

「どうしてそんなことを言うんです。私はこの物語が好きだと思いました。とても素敵だと思います。もっと自信をもってください」

「――本当に、好きだと思ってくださるのですか」

「ええ、好きです。だから価値がないなんて言わないでください」


 少女はすねたように頬を膨らませた。

 男は泣きそうになった。

 自分の物語を好きだと、目の前で言ってくれる人に出会ったのははじめてだった。

 少女の言葉が胸を震わせた。


「――実は、お恥ずかしながら、私は自分の作品を褒められたことがないのです。だから、私が何を書いても駄作だと思っていました」


 男はぽつりと想いを吐露した。


「昨日、究極の物語を参考にしたいと話しましたが、本当は、自分が書いた物語で勝負したいとは思っているのです。けれど、とてもそんなことはできそうにないと、何かに頼らないと私のような人間に物語は書けないと、そう思って。でも、あなたは私の物語を好きだと言ってくださるのですね」


 少女は笑った。

 男はぎゅっと目頭をおさえた。


「好きですよ。まだ荒削りですし、技巧もないですし、技術には欠けますけど、必死に物語と向き合っていることが伝わってきます。いい物語です」

「厳しいですね」

「私、読書が趣味なので。ちょっと辛口評価です」


 少女はいたずらっぽく目を細めた。


「――私が書く物語にも、価値はあるのですか」

「ええ、もちろん。価値のない物語なんてありません。書き手が必死に自分の内の世界を表した物語に価値がないなんてことがありますか」

「そうですね――、そうですよね。価値のない物語なんて、ないんですよね。私の物語にだって」


 男は笑った。


「もう少しだけ、私も自信をもつべきですね」

「ええ。そう思います。そしてあなたの物語を大事にしてください」




 少年は、すっきりとした顔をして歩いて行く銀髪の男の背中を見つめた。


「うーん、この物語は必要なかったみたいだなー」


 にっこり笑って、物語を鞄の中にしまった。


「おや、あんたまだこの街にいたのかい」


 パン屋のおじさんが店先から顔をのぞかせた。少年はぺこりとお辞儀をした。


「まだこの街に救いを求める人がいたので、物語を届けようと思ったんですけど。もう必要ないみたいです。彼の心は救われたようなので。だから今度こそ次の街に行きますよ」

「そうかい、気をつけてな。もう道に迷うんじゃないぞ」

「頑張ります!」


 カタリは手を振って街をあとにした。


 ――どんな物語にも価値はある、か。本当にそうだ。


 盗み聞いていた会話を思いだした。

 物語はすごいものなのだ。カタリは詠み人として旅をする中で、そのことを学んだ。物語はすごい。


「よし、次に行こう! 今度はどんな物語を届けるのかな」


 カタリは前を向いて歩き出した。

 物語を待つ次の人のもとへ。

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