作者名、■

九十九

作者名、■

 お手伝いAIリンドバーグ、通称バーグさん。柔らかな髪色に琥珀にも似た瞳を持つ女性型のAIである彼女は、作家の活動を応援及び支援する事を目的として生み出されたサポート型AIである。

 見目愛らしい容姿と、作家にとっては何よりも得難い誰かの応援や支援を与える存在と言う立場を駆使した結果、様々な作家が彼女へと好印象を抱く事で、プログラム作成当初の目的であった作家のやる気の向上を成功させた。

 結果として、自身の必要性を感じたリンドバーグは自立支援機能を展開し、プログラムでありながらも喜怒哀楽の感情を有したり、飴と鞭の使い分けの制御が下手であったり、と何とも個性的なAIプログラムとなった訳だが、その独特な個性や多少の欠陥を以ってしても彼女は何だかんだと作家陣に好かれているのである。

 

 リンドバーグは一つのデータを見詰めていた。

 作家名、■。職業、フリーター。其れは二十七歳の男性作家のデータだった。以前は作家名やプロフィール等が少なからず記入されていたのだが、今は作家名に記号を置いただけの簡素なデータとなっている。

 リンドバーグは簡素なデータをそっと撫でた。何度も書き直しては消してを繰り返した跡がデータの破片となって彼女の指先をざらつかせた。

 作家としての■は特別有名と言う訳では無かった。何となく仲間内でアカウントを作ったのが一番初め、それからずっと使わずにある日、唐突に作品を一つ上げた。「倉庫代わりと言うか、何となく纏めたくなってって言うのと、まぁちょっと夢が見たかったとかそう言うのかな」と、リンドバーグは■が唐突に作品を上げようと思った理由を後から彼に聞いた。

「初めまして作者様。之から支援を務めますリンドバーグです」

 作家支援の為に■の元を訪れたリンドバーグに、■は驚いた顔をした。てっきりリンドバーグの稼働を知っている物だと思って居たリンドバーグも一瞬驚いた顔で■を見詰めると、次いで己の説明を始めた。

「あぁ、そう言えば何かそんな感じの情報が流れてたなぁ」

「其れが私です作者様」

「バーグさんは、どうして俺の所に?」

「? 作者様のサポートが私の仕事なのですが」

「でも俺全然上げて無かったでしょ? それにもっと人気がある人とかの支援とか忙しいんじゃ」

「今、作品を上げた時点で貴方は作者様ですし、作品を作ろうと志すのならそれだけで作者様ですよ? まぁ、それがどれだけ遅かろうとも、です。それに私はプログラムですので、別に個体として其々の場所に向かっている訳ではありません。人間の様に身体が一つしかないから、なんて事は起こりません」

 ■は感嘆の溜め息を付くと、優秀なんだなぁ、と間延びした声で呟いた。


 初めての邂逅から一年、■は時々作品を展示した。

 ■は筆が遅く、更新頻度もばらばらな作家だった。■が作成するのは主に短編未満の作品で、思い付いた時に思い付いた文を書き、最後まで一時間で書き上げる事も有れば、止まれば其処で止めてしまう事も有る、そう言う書き方をしていた。止まってしまった作品は、次の日に続きが書ける時も有れば、眠らせたままの作品も有る。

 二か月に一作品とか、二週間に三作品とか、制作に掛かる時間も一度に作り上げる量も、むらの有る作家だった。

 技術力で言っても、特別秀でてはおらず未熟な所は数々見られた。それらの多くは単純な知識不足や、経験不足によるもので、言い換えてしまえば幾らでも伸びしろが有るとリンドバーグは分析していた。

 表面上、彼の作品に特別多くの評価が付くことはなかった。十何桁に収まる範囲の評価が付く事は有ったが、彼のむらの有る投稿と、作品の傾向から余り華々しくスポットライトを浴びるという事は無かった。勿論、当の本人は何かしらの反応が有っただけで、例えば見て貰えた痕跡だけで大層喜んでは居たが、やはり何かしら誰かの心を動かせた証が無いのは寂しいらしかった。

 そう言う時こそ、リンドバーグは■を応援した。

「大丈夫です。面白かったですよ」

「うん、僕もそう思うよ」

「下手でもやらないよりはずっと良いですもん」

「心に来るわー」

 例え、誰の目に触れぬ作品だとしても、それでもリンドバーグは彼の作品が好きであった。流行りに乗らずとも、細々とでも、書き上げられた■の作品が好きだった。果たしてそう言う風にプログラムされている故の感情だったのかは不明だが、リンドバーグは他の作家達の作品を読む時と同じように、彼の作品を読む時間が好きだった。


「作者様は一体何時になったら更新するんでしょうか。筆が遅いにも程が有りますよ」

 リンドバーグは寂し気な声音で作品の文字列をなぞった。

 最後の更新からどれ程経っただろうか、と哀愁に耽りたくとも、優秀なAIは「二年三か月と二十六日。五時間三十一分二十八秒」と正確な時間を弾き出してしまう。

「応援が出来ていなかったんでしょうか。其れとも鞭が足りませんでしたかね」


 最初にリンドバーグの優秀な人工知能が小さな異常を見つけたのは、最後の更新から三か月前の事だ。

「元気、ありません?」

「あー、バーグさんこんばんは。ちょっとフリーター業がね」

 疲れた顔でキーボードを打ち込む顔を画面越しに覗き込んで尋ねれば、■は元気なく笑ってそう言った。

「身体が余り健康体と言えないからこそのフリーターって選択なんだけど、それがどうもね」

「身体が追い付きませんか?」

「二十代後半になったら、何か一気にガタが来ちゃって」

「身体はお大事になさってください。作品まで貧弱になるのは、下手な作品が余計下手になってしまいますから」

「はは、善処するよ」

 笑った■の目の下には大きな隈が出来ていた。

 そうしてそこから先、リンドバーグが赴く度に■に対する異常の数値は大きくなった。

 元々、強い言葉に弱い所がある■は、リンドバーグの飴と鞭に身体を強張らせるようになった。まるで最初逢った時の様に、リンドバーグの特性を知らない頃の様に、身体を固まらせて諦めた様に笑うようになった。

「作者様? あの、今のは……」

「あっと、ごめんねバーグさん。疲れてるからちょっときついのかも」

 作家を泣かせたい訳でも、傷つけたい訳でも無いリンドバーグは、慌てて言葉を繋いだ。■は分っているよ、と笑って、それでも今は駄目かも知れない、と感情の薄い疲れ切った顔をして、そっと画面を閉じてしまった。

 ■のその姿を見て、過去に積まれた様々なデータ上、彼が危険な状況であるとリンドバーグは計算を弾き出した。

 リンドバーグは今までそう言った作家の姿を見なかったわけでは無い。応援と支援を主軸として動いているリンドバーグは、けれど完全なセルフケアAIでもカウンセリングAIでも無いので、そう言った作家の全てを留まらせる事が出来た訳では無い。リンドバーグが本格的に導入されてからは筆を折る者は減少傾向にはなってはいるが、中には「応援してくれて嬉しかったよ」と笑って、ある日突然居なくなってしまった人も居た。

「私は作者様の支援と応援を行うサポートAIです。どうやってもそれ以上には成れないのです」

 リンドバーグは限られた範囲の、限られたサポートしか出来ない。彼女はそう言う目的で生まれたから、どれだけ作家達の作品を彼女の優秀な人工知能が面白いと思って居ても、何れ花が咲くと思って居ても、作家本人が筆を折ってしまえば如何する事も出来ないのだ。

 計算によって幾つも導き出されるこれからの結末にAIの感情の数値が揺らいだ。


 結果として、それから二か月後、■は筆を置いてしまった。そうして、評価や応援を貰った作品だけを残して、名前やプロフィールでさえも簡素な物に変えて、■は居なくなってしまった。

「バーグさんごめんね。折角応援してくれたのに」

 痩せこけた顔で■はそう言った。

「時間も回せなくて、お金が足りないから常に追われているようで、楽しい事が少なくて、だから、今何にも考えられないんだ」

 心まで痩せてしまったのだと、リンドバーグは■を見て分析した。度重なる疲労と、財力不足による心の余裕の不足、それによって娯楽も欠如してしまい、心の栄養が無くなってしまったのだ。

「作者様は何も悪くは無いじゃないですか。ただ一寸疲れてしまったのです。人間は我々AIの様に安定していませんから」

「うーん、弱いからさ、僕。其れに結構、うん。自分の為だったのにちょっと賞金とか狙って見たりとか、せこいから、多分余計疲れちゃったんだ。情けないなぁ」

「我々からしたら人間は弱いですよ。それに何かしらの目標の為に動くと言うのはそれだけで価値が有ります。創ると言う行為自体がそれだけで凄いんですよ。お金に関しても、己を養うための費用なのですから、幾らでも欲しがったって良いんですよ。作品はまぁ確かにちょっと下手でしたけど。文字数が足りなくてべそをかいてたのはちょっと情けなかったですけど。百円落して一日中凹んで居たのは、ちょっとあれでしたけど」

「バーグさんの言葉が心に刺さるわー」

 リンドバーグは久方ぶりに■が笑った様な気がした。

「……此処はどうしますか?」

「バーグさんとか他の人に褒めてもらった奴は残そうかなって。ほら、誰かの目に留まって一攫千金有るかもだし」

「思想がみみっちい冗談は置いておくとして、ではその様に管理しておきます」

「割と夢だと思うけどなぁ。うん、じゃあ、お願いします」

 「また来て、書きに来てくれますか」と聞きかけてリンドバーグは音声をミュートした。今その質問は諸刃の剣だと計算が叩き出したのだ。

「何時でもお待ちしています。此処には作者様達の作品がデータとして漂っていますから様々な作品を読むのも有意義ですよ」

「ありがとうバーグさん」

 

「貴方方がまた創造の花を咲かせるまで、何時までもお待ちしております」

 作者名■のデータを見詰めて呟くサポート型AIは、漂う作品の欠片達をプログラムの身体でそっと撫でて、そして笑った。

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作者名、■ 九十九 @chimaira

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