薔薇鉄冠の儀 Ⅲ
吹きすさぶ風が、女王の庭園を駆け抜けてゆく。晴天だった。青空に散った色とりどりの薔薇の花びらは、風に運ばれ、砂塵とともに乾いた
懐中時計の盤面をしずかに見つめていた男は、その針が定められた時刻を指すやいなや、「それでは」と厳かに
「本来、この儀には二名の相続人が参加するとの話であった」
正面を見据えたバーンハードの榛色の目に映ったのは、少女がひとりきり。
「だが、不慮の事故により、うち一名が移動中に命を落とすという悲劇に見舞われた。よって、当初の予定どおり、今回の儀式は一名で――」
神妙な態度でその声に耳を傾けていたエグランタインが、不意に視線をバーンハードの背後に動かした。そして、ニヤリと口端を上げた。
「――へえ?」
厳粛な場には不似合いな、喜色ばんだ声が少女の口からまろび出た。
吹き荒れる風が、黒衣の裾をなぶっている。迷いのない足取りで、門のある方角から広場にむかって突き進むのは、上背の高いひとりの青年だ。黒褐色の肌に
前女王の側近にして宮廷魔術師の首席――サイラス・エアンフレド。
「稀代の天才魔術師くんが、いったい何の用だ?」
長い前髪をかきあげると両腕を広げ、エグランタインは芝居がかった口調で問いかけた。
サイラスは旗の手前で立ち止まった。エグランタインは彼の不機嫌そうな顔しか見たことがなかったが、そのまなざしは、さらなる険しさを帯びて彼女を捉えた。
「――もう一名の相続人は、生きてこの場にいる」
恭しい態度でサイラスが振り返れば、その先に小柄な娘が立っている。
ウェーブがかった白金色の髪を風にそよがせ、破れた上衣を気にすることなく羽織った少女は、無言ですみれ色の瞳をしばたいた。
「……あの高さから落ちて生きていたのか」
エグランタインの背後で、ナサニエルが囁く。
「おかげさまで、地獄の底から舞い戻ってきました」
エリファレットは淡々と答え、緊張に包まれた場をゆっくりと進んだ。そしてエグランタインの真横に立つと――その顔を睨みすえ、右手で頬を
乾いた音が響く。彼女が油断した拍子に足払いを仕掛け、すかさず彼女が立っていた場所を陣取った。
(これで立ち位置を確保)
地面に片膝をついた娘を見下ろし、「これでチャラにしてあげますので」と言い放つ。
「マジかよ。こんなんでいいのかよ。絶対嘘つきだろ、お前」
「チャラにすると言ってるでしょう。――さあ、これで参加者は揃いましたよね。モタモタしていないで、早く儀式を始めませんか?」
バーンハードに向き直り、エリファレットは首を傾げた。水を向けられた男は、しかし瞠目したまま、ほうと息をついただけだった。「まさか……」そう小さな声で感嘆を漏らす。
「グエナヴィア様の生き写しではないか……」
目の前の男は、グエナヴィアの少女時代を知っていたに違いない。「聖下?」とエグランタインに呼びかけられ、ようやく我に返ったバーンハードは一度咳払いをすると、エリファレット・エグランタインの両名をしげしげと見渡す。
「それでは、改めて」
強い風が吹きつける。
王国旗が揺れ、長い影を引き伸ばすなか、バーンハートは宣告した。
「開催にあたって、まずは規則の説明を行う。相続人は、《女王の死庭》において、先代陛下の廟にて鍵を入手し、地下神殿に安置された薔薇鉄冠に血を垂らすことで正統なる継承者として認められることを確認せよ。刻限は日没まで。この間、相続人同士で交わされるやり取りには、いかなる制約も存在しない」
「つまり、殺してもいいってことだろ?」と茶々を入れるエグランタインに肩を
「相続人は各一名、指名した支援者からの援助を受けることができる。支援者は、自身を指名した相続人の援護が可能だが、他者の相続人を害する行為は一切認められず、これを破った場合には相続人・支援者ともにその資格を失う」
「承諾する」と答えたエグランタインの横で、エリファレットもそれに習った。さらにこまごまとした規則の説明、最後に支援者からの合意を得ると、バーンハートは右腕を掲げ、声を張り上げた。
「これより薔薇鉄冠の儀を執り行う! 女王の娘らに、
――瞬間、轟音が響いた。
地が割れ、下から這い出たのは何本もの巨大な薔薇蔦。エリファレットの足場を崩したそれは、蔓の先端で少女の体を
「ハハッ、最短経路ってわけだな!」
エグランタインの哄笑が響く。
地下から根を張った薔薇蔦は、エリファレットをその足もとに下ろすやいなや灰に変貌する。地上の穴まで埋め尽くした大量の灰を背に、エリファレットは周辺を見渡した。階段が続いている。
――地下の廟への入り口だ。
(グエナヴィア様のところに)
地下への他の連絡通路の場所はさだかでないが、サイラスの策略によって、エグランタインが到着するまで時間を稼いだということになる。
その前に、グエナヴィアの廟に辿り着かねばいけない。
微かに水が流れる音がする。薔薇の生育のために水路を引いているのだろう。エリファレットは苔むした
(……憶測にすぎないけれど――)
全速力で
(あれは、きっと誰かが意図して植えたもの)
そして、それを植えたのは――
グエナヴィアの墓を目前にしたとき、ふと、心臓が
冷や汗が背中を流れる。
(こんなときに……!)
一歩も身動きができない。四肢の末端が痺れはじめ、やがて痛みへとすり変わる。頭の中が砂嵐で埋め尽くされ、何も考えることができなくなる。
――そのとき、遠くから足音が聞こえた。
かろうじて失神だけは避けたが、焦燥感が募るばかりで、建設的な思考には発展しない。全身の毛穴から汗が吹き出し、痛みに歯の根がかち合わなくなる。ぐっと奥歯を噛みしめ、必死になって呼吸を繋ぐので精いっぱい――
(……
天啓のように、その存在が閃く。
胸もとの鎖をたぐりよせ、震える指の先で手こずりながらも、何とか香水瓶の蓋を外す。そして鼻腔を突き上げたのは、経験したことのない刺激臭。苦痛が緩和されるわけではないが、霧散しかけていた意識が一瞬にして収束するのがわかった。
(エグランタインが来る前に!)
地面に爪を立て、死にもの狂いで身を起こす。震える両足を叱咤し、壁に寄りかかりながら立ち上がった。
(こんなところで立ち止まってるわけにはいかない。私は、遺伝病を克服しないといけない……!)
細胞が死滅しては蘇り、沸騰したように四肢の末端が溶ける。一歩、前に足を動かすたびに想像を絶する痛みが彼女を失神させようとする。それでもヴィネグレットを頼りに何とか前に進み、廟の入り口に手をかけた。
重い石の扉に体重をかけてこじ開けると、瞬間、むせるような薔薇の匂いが漂った。視界に広がったのは、遺体を安置するための真新しい石棺だ。
そしてその奥の地面から天井にかけ、花の盛りを迎えた薔薇が根を張っていた。小ぶりの花を無数につけたそれは、清らかな純白。多くの愛を集め、絶対君主として君臨した女のものとは思えないほど控えめで、少女のような愛らしさがあった。
――そして薔薇株の前には、ひとりの男が佇んでいた。
「……せん、せい……」
ジェイシンスは眼鏡の奥の瞳を細め、やわらかく微笑んだ。
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