第4話 薔薇鉄冠の儀

薔薇鉄冠の儀 Ⅰ


第四話 薔薇鉄冠の儀


「……はじめて見ました……」

 エリファレットは呆然とつぶやいた。

 ふたりの目の前に出現したのは、一頭の美しい竜だ。

 全身を覆う漆黒の鱗が、月明かりを反射してすべらかに光っている。一対の翼、太い爪の生えた手足に岩の塊のような尾。

 その全長は、周辺を囲む若い糸杉と同程度か。

 竜はおもに戦場で兵器として使役される生物だ。種類にもよるが、通常だと宮廷魔術師が数人、2~3週間かけて一頭分の遺伝情報を編む。それで一週間ほど存在を維持できると授業で聞いたことがある。

 それをまさか、こんな場で目にすることになるとは――

 彼ひとりで竜を呼び出せるのは、本人も言っていたとおり、その魔術配列が唯一無二の特別なものだからだろう。一方で、竜の膨大な遺伝情報を処理するための能力も常軌を逸していた。エグランタインが、「どんな腕利きの魔術師を用意しても、サイラス・エアンフレドには勝てない」と評していたのも納得だった。

「竜のなかでも、ヴィシャップ属は扱いやすい。攻撃特性は低いが、総じて気性で穏やかで従順だからな――おそらくは他の上位種の使役竜として開発されたんだろう。グエナヴィア様もこれを好まれていた。見た目が美しいからな」

 金色の眸をぎょろりと動かして、竜が地面にたたずむふたりを見下ろした。食われるのではないかと思わず後ずさったエリファレットだったが、サイラスは慣れた様子でさらに植物の蔦を召喚した。

 頑丈な蔦の数か所を結び、先端に鉤をつけると、竜の首にむかって投擲とうてきする。

「先に言っておくが、鞍がないので乗り心地は保証できない」

「はあ……」

 硬い鱗の隙間に鉤をねじこんでも、竜は嫌がる素振りを見せなかった。『気性が大人しい』というのもあながち嘘ではないようだ。

 縄を足がかりに竜の背に移動する。首の部分で盛り上がるこぶの真下に平坦な場所があり、そこが騎乗の定位置らしかった。竜が静止した状態であれば立っていても安定感がある。視界の全面でキラキラと輝く鱗に手を伸ばそうとすると、「鋭利だから触れないほうがいい」と注意された。

 エリファレットの外套を着せ直して襟の一番上までぼたんを留めると、サイラスはおもむろに屈み込んで、竜の背から一枚の鱗をぎ取った。

 襯衣シャツの裾で血を拭ってから、鱗のかけらを手渡される。エリファレットが無言で彼を見上げると、そこには優しい微笑みがあった。

 エリファレットを通してグエナヴィアに向けられるものだった。

 

 サイラスが縄を引っ張って合図をすると、竜が両翼が広げた。暴風が巻き起こり、砂嵐に目を瞑る。そして次の瞬間、竜は宙にむかって駆け出していた。


 ◇ ◇ ◇


 薔薇鉄冠の儀まで残り一日。アケイシャ最北端、《女王の死庭》。

 黒竜が宙を旋回しはじめたかと思うと、ゆっくりと地上への降下を始めた。地平線から太陽が昇ろうという頃合いで、曙光しょくこうが無数の細い筋に分かたれ、燃えるように赤い曠野ヒースを切り裂いてゆく。

 見渡す限りの不毛の砂原。その乾いた砂礫を覆う野草の群生を越えた先に、突如として、その空間は出現する。

 まがまがしい鉄柵に囲まれたのは、農耕に適さない曠野にはあまりに不似合いな、薔薇のそのだった。

「――《女王の死庭》、歴代女王の墓場だ」

 竜は庭園の手前に着地する。サイラスの手を借りて地上に降り、彼が合図をすると、その生物は跡形もなく灰となって消えた。風が吹き、エリファレットの視界が白くかすむ。

 それが晴れると、正面に硬く閉ざされた鉄の門が見えた。

 歩み寄ってサイラスが腕をかざすと、紋に反応してその錠が外れた。

 門扉を開け放つと、鼻をくのはむせるように濃い薔薇の匂いだ。

(これが、歴代女王の墓……?)

 視界に広がったのは、種々くさぐさの薔薇株。こんな辺鄙な場所にも園丁がいるのか、隅々まで美しく整えられており、足もとの芝も丁寧に同じ長さに刈られている。

 門を越えてすぐ、真横にあったのは淑やかなクリーム色の薔薇だ。そのつぼみに触れ、透明な朝露を指先ですくって、エリファレットは首を傾げた。

「墓、というよりは……まるで庭園のようですね。それも、薔薇ばかり……」

「薔薇しかない。歴代女王の名を冠した薔薇をここで育てている」

 園内にはりめぐらされた細い小径こみち。その幅を圧迫するようにひしめく薔薇は、どれもよく育ってエリファレットの背丈を越えていた。

 明確な目的地があるのか、サイラスは迷うことなく迷路じみた道を進む。これまで彼が先導しようとすると、歩幅の違いもあってあっと言う間に引き離されてしまっていたのだが、今の歩調は緩やかだ。エリファレットに合わせている。

 お蔭で小走りする必要もなく、ゆっくり周囲を観察する余裕が出来た。サイラスの言う通り、それぞれの薔薇は株ごとに品種が異なるようで、目にも綾な色とりどりの花を咲かせていた。

「薔薇鉄冠の儀は明日ですよね? なぜ早く着く必要が?」

「下準備もなしに戦いに臨む訳にはいかない。薔薇鉄冠の儀は、いわば争奪戦だ。庭園の地下墳墓に向かい、そこに安置された冠を入手し、血を注ぐことができた者が勝利するのだから」

「血を……?」

「薔薇鉄冠の儀には、歴代女王の生体情報が記録されている。いわば――人体の設計図のようなものが」

 言い換えれば、血を注ぐことで、生体情報が記録され、女王としてされるということだ。

「女王の生体情報を管理している……《門の島》みたいですね」

「似ていて非なるものだ。《門の島》はあらゆる種の画一的な遺伝情報が管理されているが、薔薇鉄冠は、歴代女王の詳細な設計図が格納されている」

「それって……」

 エリファレットは目をしばたき、「女王を複製できるということですか?」と囁いた。

 サイラスは赤い瞳をすがめた。いらえこそないが、エリファレットの問いが真実であることは、間違いない。

(薔薇鉄冠をもとに、グエナヴィア様を複製して、私が出来た?)

 では、遺伝病の治療のために薔薇鉄冠が必要なのは、どういう了見なのか。

 しばらく無言で歩き続けると、広場に到着した。白砂利を敷いた円形の広場で、庭園そのものの中心地でもある。

「ここがスタート地点だと聞いている。明日この場所で、調停人による宣告を済ませたのちに、儀式が始まる。そうしたら、まずは地下墳墓に到達してくれ」

 地面にしゃがみこんだサイラスが、「仕込みはしておく」と続けた。鱗で裂けた指を噛むと、滴る赤い血で地面に文字スペルを刻み始める。

 血文字は一度光ると、跡形もなく消失した。サイラスが遺伝情報を記録したのだ。そこに血の持ち主が魔力を注入すれば、詠唱なしに魔術を発動できる。

「当日はここに立て」

 エリファレットはうなずいた。

「地下墳墓に到達したら、グエナヴィア様の廟を探せ。そのためには、地表の薔薇の株の位置関係を押さえておく必要がある。グエナヴィア様の廟は、彼女の名を冠した薔薇の下にあるからだ。そこに隠されている鍵を入手できたら、第一関門はクリア――」

 「あとはその鍵を奪われないようにして、廟の下層にある地下神殿を目指し、薔薇鉄冠を入手しろ」とサイラスは淡々と続けた。

 儀式の内容自体は思ったよりも単純だ。想像していたように、複雑な手順はない。

 グエナヴィアの廟を探し、鍵を入手し、地下神殿で薔薇鉄冠を入手すればいいだけだ。最大の難関は、対エグランタインの攻防戦ということになる。

「支援者は相続人を手助けすることはできるが、相続人そのものを傷つけることはできない決まりだ。一方で、相続人同士の殺し合いは許容されている。――いいか、先に言っておくぞ。迷わずエグランタインを殺せ」

「さもなければ殺されるから、ですね」

 そのとおり、とばかりにサイラスがうなずく。エリファレットは逡巡し――わかりました、とすなおに首肯した。

「人を殺すことには抵抗がありますが、善処します。私も一度殺された身なので、むこうも文句は言えないでしょう。ですが――彼女はあなたの『最高傑作』なのでしょう?」

 当初自分を失敗作呼ばわりしてきたサイラスだ。よほどエグランタインのほうに執着があるのかと思っての発言だったが、彼は「どうでもいい」と即答した。

 あれはグエナヴィア様ではない、とかぶりを振る。

「エグランタインは、独立し、自立した一個体だ」

「……私は自立した一個体ではないみたいな発言ですね」

 まあそうかもしれない、とエリファレットは思う。彼にとって、今の自分は〝グエナヴィア〟であり、そういう意味では自立した一個体ではない。

 だが、サイラスはかぶりを振った。

「エリファレットは確かに失敗作だが、自我があるのは知っている。それに、今はお前が俺の女王だ。――俺の女王に、する」

 薔薇園のむこうで、朝陽が昇りはじめる。逆光の位置に立つエリファレットの目の前で、サイラスはまぶしそうに両目を細めた。

 熱っぽい光をたたえたまなざしを前に、息を呑む。

(このひとは、私がグエナヴィアじゃないと理解している)

 ――その上で、エリファレットにその振舞いを強要する。

 何と愚かしいことだろう、とエリファレットは考える。彼女が想起したのは、グエナヴィアの記憶、サイラスが王城を去る直前――自身の寝室での出来事。

 グエナヴィアは、この男を愛していた。それは事実だと、エリファレットは思う。

 けれどもそれは、彼女がより多くの愛を受け取るためのすべでしかなかった。誰をも特別扱いし、しかし一線を踏み越えさせないことで、自身の女王としての立場を守り抜いた。

 そうする他なかったのだ。アケイシャでは、女性が権威を持つことは歓迎されるべき事態ではない。ゆえに権力は持たせても、実が伴わない。女王とはつまるところ世継ぎを産むための道具だ。女王という機能システムを連綿と続けていくためだけのものだ。グエナヴィアはそれを拒んだ。

 しかし彼女ひとりでは、国を変えるという野望を実現できなかった。熾烈な男社会を生き抜くために、あらゆる愛を集め、自身を強化する以外には……。

 ――彼女の本心は、いったいどこにあったのだろう?

「……そうですか」

 幸か不幸か、彼女の手管はいまやエリファレットの中にも息づいていた。

 微笑み、腰を屈めると、跪いた男の喉を爪先で撫で上げた。

 サイラスは恍惚とした表情かおで目を閉じた。

 ――彼は幸福なのだと思う。

 悪いことではない、はずだ。

(生き抜くために、この男サイラスを利用する)

 決意を新たにしたところで、エリファレットは「それで」と問いかけた。

「グエナヴィア様の薔薇はどこにありますか?」

「……それは……」

 わからない、とサイラスは答えた。

「わからない? 女王崇拝者のくせに、わからないとは何事ですか、あなた」

「陛下がお亡くなりになられたのは三年前。俺が帰還したのが一週間前。陛下のための薔薇が植えられたのは、ここに葬られてから。知るはずないだろう」

「……なるほど」

 周辺の薔薇を見渡し、溜息をつく。

「歴代女王199人分の薔薇のなかから、グエナヴィア様の薔薇を探さないといけない、ということですね」

 骨の折れる作業だ、とエリファレットは分析する。

「質問ですが、エグランタイン側も条件は同じですか?」

「……ナサニエルは、前回の薔薇鉄冠の儀に参加している。地の理はあちらにあるし、ふたりは葬儀に立ち会っているはずだ。花の色は知らないにしても、株の位置はわかっている」

 グエナヴィアの時の支援者がナサニエルだったのか、とすこし意外に思う。

 エグランタインが彼を指名したのもそういう理由だろう。

「俺はもうすこし仕込み作業をする。エリファレットは、グエナヴィア様の薔薇を探してほしい」

 サイラスの言葉にうなずき、まずは薔薇鉄冠の儀とおぼしきグエナヴィアの記憶を探してみる――が、思い当たるものはない。

 受け渡された記憶は断片的で、完全ではなかった。諦めて自力で探すしかない。

(でも、どうやって――)

 薔薇ごとに品種名の立て札があるわけでもない。花が咲く季節もまちまちのようで、つぼみさえ付けていないものもある。

「薔薇が作られる基準は?」

「生前お好きだった品種を交配する、改良することが多いが、グエナヴィア様はあらゆる薔薇を好まれていた。深い色よりは明るい色が好き、くらいだ。あとは、そうだな、その方をイメージした薔薇……だろうか」

 そうですか、とエリファレットはうなずく。骨の折れる作業になりそうだ。


 ◇ ◇ ◇


 半日かけて、すべての薔薇を見て回った。

 観察してわかったのは、圧倒的に紫色の薔薇が多いことくらいだ。アケイシャの女王は、遺伝的に紫色の瞳が多いのがその理由だと推測された。紫の目は市井では少なく、あまり見かけない。

 薔薇自体の種はほんとうにさまざまで、統一性がない。原種に近く小ぶりで花びらが少ないもの、つる性であったり木立性であったり、ひとつの茎に大輪をひとつ咲かせるものもあれば、束になって小さな花が無数咲くものもある。

 そんななか、エリファレットの目を特に引いたのは、庭園の奥地にある、巨大な荊棘けいきょくの花だった。

 エリファレットの背丈の倍にも伸びた野いばらの樹。白い花を無数に咲かせ、重たげにこうべを垂れる様にはどこか荒々しさと神秘性が共存していて、惹きつけられるものがあった。その前に立って観察していると、ふと、樹の根元に小さな石碑が置かれていることに気付いた。

 手を伸ばし、石碑を覆う蔦をのけて文字を読み上げる。

「〝わが始祖、湖藍灰こあいはいの女王に捧ぐ〟……」

「――初代女王の石碑だな」

 不意打ちで響いた声に、肩を揺らす。弾かれたように降り返ろうとした矢先、背後からぎゅっと抱きしめられ、エリファレットは驚いた。

 首に鼻先をこすりつけたサイラスが、小さな声で囁く。

「――薔薇の匂いがする」

 それはそう、とエリファレットは言いたくなったが、あえて口には出さなかった。サイラスの好きにさせながら、野いばらの樹を見上げる。

「どうして、始祖と呼ばれるんですか?」

「初代女王がこの土地に魔術をもたらした。魔術師の祖であり、この国の母でもあるからだ」

「古代種だったのに、彼女の墓がここに? 死んだんですか?」

「いいや。伝承では、在位は二百年間。その後、門の島に去ったという」

「……去った?」

「古代種と人間では時間の流れが違う。それに耐えきれなかったんじゃないかと言われている」

「あなたは《門の島》で、始祖に会った?」

 いいや、とかぶりを振る。誰にも会わなかった、と。

「《門の島》とは生命の起源であり、生命の墓場だ。そこに至った生物は、最小単位にまで自身を分解され、周辺の海に溶けてゆく。かぎりなく死に等しい状況で、自我を保つことも難しい。俺が戻って来られたのは――」

 エリファレットを抱き締める腕に、一瞬、力がもった。息苦しいほどで、思わず呻いた。サイラスは黙って彼女を解放すると、身を離し、背を向けた。

「そろそろ、エグランタインの乗った汽車が麓の駅に到着する。――鉢合わせはしたくないから、ここを出て休息をとろう」

 エリファレットはうなずいた。

 移動に竜を使ったおかげで、汽車で遠回りしているエグランタインたちより半日早く到着できていたのだ。エリファレットが生きている事実を隠すためにも、また彼女たちも『仕込み』をしにこの場所を訪れる可能性を鑑みて、今日は早めに撤退したほうがいい。

「結局、先代陛下の薔薇は見つけられませんでしたが――」

 歩き始めた矢先、視界に何かが過ぎった。何の変哲もない、白い花だ。

「どうした? それはただの梔子くちなしだ。薔薇ではない」

「それは知っていますが……」

 一瞬、食い入るようにその花を見つめる。しかしすぐに視線を離すと、エリファレットは自分を待つサイラスのもとへと歩み寄った。


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