夜汽車、ふたりの少女とふたりの男 Ⅲ


◇ ◇ ◇


 遠くで汽笛の音が響いた。黒煙がもうもうと巻き起こり、車窓から漏れる光が消える。燃料の燃える匂いが、鼻腔をいた。

 吹きすさぶ風に、エリファレットの長い髪がもつれ合う。汽車の屋根に立ち、彼女は山間部の景色を見下ろしていた。

 日はほとんど落ちかけ、肌に触れる風は氷のように冷たかった。

「……先代女王の、複製クローン

 複製クローンという概念が具体的のどのようなものなのか、詳細は分からない。エグランタインの説明を掻い摘むと、自分は先代陛下を『コピー』して作られた胚だったらしい。現実に生きていた人物と、鏡合わせのようにまったく同じ容貌、体質、才能を持った存在を作り出す。受精卵が分裂する過程で魔術配列に損傷を負い、破棄が決定したが――その研究成果が暴かれたとき、サイラスは議会や研究機関から非難轟々の嵐を受けた。いわく、生命を弄ぶ重大な過ちである、と。

「肉体という器はグエナヴィア同然の存在だが、心まではグエナヴィアじゃない。だからお前を相手にすると、サイラス・エアンフレドは気が狂っちまう。知ってたか?」

 まっすぐに背筋を伸ばしたエグランタインが、暴風に掻き消されないよう、大きく声を張り上げた。

 知らなかった。誰も教えてくれなかった、そうエリファレットは回想する。

 前女王と直接の面識はなく、彼女がどんな人物だったかも知らない。だから、自分が彼女の複製だと告げられても、すぐにはピンと来ない。だが――

(あれ……?)

 自分のなかで、何かがほころぶのを感じた。 

(私が先代陛下の複製だって、学園長先生が知っていたなら……)

 途端、足場が砂となって崩れ落ちる心地がした。彼女のなかで際限なく膨れ上がったのは、自分の存在を根底から覆しかねない猜疑心だった。

「グエナヴィアは偉大な女王だった。知恵があり、強く美しく、揺るぎない。そこに立っているだけで誰もがひれ伏すような存在感があった。そして、周囲の彼女に心酔する男たちにとっては、何にも代えがたい女だった。失われてはいけない命だった。だから連中は――必死に、彼女を生かそうとした」

 けれどもそれは叶わず、遺伝病は女王を蝕み、三年前にはその命までを奪った。

 容赦なく細胞を破壊し体を融かしてゆく病の手は、晩年には脳にまで及び、宿主の正気さえ奪うという。想像するだに恐ろしいことだ。知っているはずの人間の自我が徐々に崩壊し、最後には物も言えなくなり、昏睡状態のまま死ぬ。

 美しさが損なわれてゆく。強さが色褪せてゆく。面影を失っていく。最後に残るのは、かつてグエナヴィアだった『残骸』でしかない。心酔する相手が抜け殻になってゆく過程を間近で眺めるのは、どんなに辛いことだろう。 

「ジェイシンス先生が、私を育てたのは……どうして?」

 エグランタインは無言で佇んでいるだけだった。

 背後から射す西日が、彼女の白金色の髪をかす。

「私がグエナヴィア様の複製だったから、在りし日の彼女のようだったから、私を大事にして、私を愛してくれた?」

 一度気付いてしまったからには、疑念は留まるところを知らず、エリファレットを混乱の渦に落とし込む。得体のしれない不信感に頭のなかを引っかき回され、正常な思考が失われてゆく。これだけはけっして壊れないと信じていたものが――根底から覆されてゆく。

 サイラスは言った。エリファレットは、生まれてきたのが間違いだったと。

(私の存在が……禁忌だった……?)

「エリファレット。生まれてきた意味も知らねえ、可哀想な俺の片割れ」

「私は、可哀想なんかじゃない……」

「これから先、前女王を知る者にとっては、お前は代替品にしかなれねえ」

「私は」

 グエナヴィアじゃない、と必死に否定しかけるが、鼻が詰まって声が出ない。視界が滲み、前がよく見えない。

「そうだろう、お前はエリファレットだ」

「エリファレットでも、ない……!」

 だってそれは、男の名前だ。

 そこにこめられた意味を、エリファレットは知ってしまった。女王家系に、男はけっして生まれない。生まれてくるはずのない存在だったから。

「それじゃあ、お前は何者だ?」

 胸倉を掴まれ、エグランタインが囁く。エリファレットの首元にかかった金無垢の鎖に目をつけると、それをぎ取った。

「これはグエナヴィアのものだ!」

 眦を決し、うら若いその娘は必死の形相を浮かべ、怒声を響かせた。

「結局、サイラス・エアンフレドも、ナサニエルも、全員馬鹿な野郎どもだ。みじめに死んで、永遠に生き返ることのねえ女の面影ばかり追い求めてやがる……」

 上半身を揺さぶられながら、エリファレットは瞬きもできず、目の前の顔に見入った。自分とよく似通った――グエナヴィアの面影を色濃く残した顔を。

「お前だって、何もわかっちゃいねえ! 糞つまんねえ男たちの感傷に付き合わされてる、その不幸に終わるであろう人生を!」

 山間の線路を疾走する汽車から、もうもうと黒煙が上がる。

 遠くに、湖が見えた。太陽の残照を帯びて、一瞬、燃えるように輝く。その光のなかに投げ入れられた鎖を、不意に目で追った。

 手すりを掴んでいた指が離れる。

 次の瞬間、火花を散らしながら汽車が鉱山トンネルの中に入った。


 しかし――エリファレットがその暗闇を目にすることは、ついぞ無かった。


 ◇ ◇ ◇


 事件が起きたのは、三年前。冬のあいだ雪に閉ざされていた湖水地方が春を迎え、凍り付いた道のわだちけはじめる頃だった、そうエリファレットは記憶している。


「エリファレット」

 放課後の学園ガーデニア――授業を終えた生徒たちが寄宿舎に戻り夕食にありつくであろう時間に、エリファレットは何故か裏庭の隅に居た。

 地面に尻餅をついた彼女を取り囲むのは、彼女と同じ制服を着た、同級生の少女たちだった。

「ねえ、聞いてるの、エリファレット」

 無言で俯く彼女の頭にかぶせられたのは、バケツの冷水だった。

「何か言ったら」

 できそこない、となじられ、エリファレットは目を伏せる。

 初等部から中等部に進学して数カ月。これまで座学だけだった魔術の授業には少しずつ実践的な内容が加わるようになっている。結果、これまではクラスで可視化されにくかった、個人間の実力差が徐々に浮彫りになる時期でもあった。

 学園に迎え入れられるのは、魔術の才能がある、特定の魔術配列を持った子どもだけ。当然、全員が魔術を使えてあたりまえの環境だ。ゆえに個人差はあっても、『使えない』子どもがいるはずはなく、いたとしても退学に追い込まれる。

 ――エリファレットを除いては。

「学園長先生に贔屓ひいきされてるんだよ、エリファレットは。他の子はみんな魔術を使えて当然なのに、どうして魔術を使えないエリファレットがここにいるの?」

 知らない、とかぶりを振る。

「先生が偶然私を拾っただけ」

「出ていけばいいのに」

「ここは魔術を使える人しかいちゃだめなんだよ、知らないの?」

 知らないわけじゃない。それでも、ここを出て行くあてもない。エリファレットに身寄りがないことを承知で、残酷な事実を突きつける。

 スカートの裾をぎゅっと掴んで、エリファレットは唇を引き結ぶ。

彼女は反論の言葉を持っていなかった。

「何も言えないなら、早く出てきなよ。魔術の授業でペアを組むとき、あんたと組まされる子はいつも可哀想。あんた、何もできないから、突っ立ってるだけだもんね。その上何考えてんのかもよくわかんないし、変な子。クラスでも浮いててる」

「浮いてて、何が悪いの」

 それは魔術と関係ない、と言おうとして、息が詰まった。

 全身が震えはじめる。――発作の予兆だ。

「ほら、都合が悪くなるとすぐそれ。便利だよね、それ」

「ちがう……」

 前かがみになって、エリファレットは浅い呼吸をくり返す。

「いいよねえ。それで、学園長先生に特別扱いしてもらってるんだよね」

「ちがう!」

 どうしてこんな風に侮られなければいけないのか。怒りと悲しみがいまぜになって、胸が破裂しそうだった。

(私が魔術を使えないのは本当のこと)

(でも先生は優しいから、私を見捨てないだけで……)

 髪を引っ張られ、体中を蹴られる。赤子のように手足を丸めて、エリファレットは地面にうずくまる。

 手足の末端が痺れ、徐々に痛みへと変わってゆく。

 頭の中が真っ白になり、何も考えられなくなる。

 そして訪れるのは、激痛の嵐だ。

 

 しばらくして痛みの波が去り、ようやく我に返る頃、エリファレットの周囲から人影はなくなっていた。

 寒々しい夜風が背中を撫でる。呆然と裏庭を見渡すと、震える膝を叱咤してその場から立ちあがった。

 彼女の足が向かったのは、学園の門のある方角だった。空は曇り、暗い夜道を照らすものは何もない。

 泥水に濡れた髪から滴を滴らせ、エリファレットはとぼとぼと坂道を下ってゆく。本当に学園を出て行ってしまおうか、そんな考えが頭をぎる。クラスメイトの言葉を鵜呑みにしていけないのは理解しつつも、毎日のようにいじめられていては、だんだん意気地もなくなる。教室にいて疎外感を覚えるのも事実だ。

(でも、やっぱり行くところなんて……)

 車輪の音が聞こえたのは、次の瞬間だった。振り返って、至近距離に荷馬車が迫っていることを悟る。慌てて道から飛び出そうとしたところで、泥濘ぬかるみに足を取られて転倒する。

 訳も分からぬまま、右腕に強い力を感じる。馬の前足に直撃することは避けたものの、車体下部の車輪に服の袖を巻き込まれたのだった。

「あっ、あ―――」

 悲鳴がこぼれ落ちる。どんなに体を引っ張って袖を抜こうにも、車輪の力には敵わず、なすすべもなくエリファレットは泥の道を引きずられた。彼女の声に気付いた御者が慌てて馬を止めようとするが、車輪の回転が終わることはない。

 そして――

 気が付いたら、エリファレットは保健室の寝台に横たえられていた。

 見慣れた天井を前に、何度か目を瞬く。頭が重く、意識も判然としない。そして寝そべる自分にすがる人物の存在に気が付くと、視線をその頭に向けた。視界に映ったのは、見慣れた赤毛だった。

「……エリファレット? 目が覚めたの?」

 大きな手のひらが、エリファレットの頬をでた。

 覚えのある感触に、「せんせい」と小さな声で囁く。衣擦れの音とともに彼が身を起こすと、頬に何かが落ちた。生ぬるい滴は、ジェイシンスの涙だった。

「エリファレット。よかった……」

 長い睫毛を瞬き、彼はほろほろと透明な涙をこぼした。鼻をすすると、無言でエリファレットの頬を撫でる。

 そんな彼を前に、エリファレットは瞠目した。

「先生、どうして……」

 ジェイシンスは外套を着込み、室内だというのに帽子も被ったまま。きっとどこかに出かけるところだったのだろうとエリファレットは理解する。

「どうして、戻ってきたんですか……」

 口を突いた言葉に、ジェイシンスは青い瞳を柔和に細めた。

 「どうしてって」――噛みしめるように掠れた声で、そう苦笑して。

「誰よりも大事な君のことだもの。当然じゃないか、エリファレット。出かけ間際に馬車にかれたと一報が入って、慌てて駆けつけたんだよ。気が気じゃなかった。よかった、無事で」

 乾いた泥のこびりついた髪を撫でると、ジェイシンスはまだ乾いていない目元を拭う。その彼の視線を追って、自分の右手を見やると、真新しい包帯が巻かれていた。

 鎮痛薬がいているのか感覚が鈍く、どうなっているのかはわからない。

「あのね、エリファレット。残念な話だけど……車輪に巻き込まれて、君の小指は千切れてしまったんだ。急いで処置はさせたけど、その、切り口がひどい状態でね。……時間も経ってしまったから、繋げることはできないと思う」

 口ごもりつつもはっきりと伝えられた言葉に、「そうですか」とエリファレットはうなずく。包帯が巻かれたままで、はっきりと断端部を目にしたわけではない。 伝えられた事実には、まだ現実感がない。

「ごめんね、痛かったよね、エリファレット……。君はいつも痛いのにえていて、ほんとうに偉い子なのに。どうして神さまは、こんなにひどいことをするのだろう……」

 それ以上に、今はジェイシンスのことが気になった。大人であるはずの彼が、顔を真っ赤にして、みっともなく泣いていたのだから。

「……心配させて、ごめんなさい。先生」

「謝ることなんて何もないよ、エリファレット」

「いいえ。先生を悲しませてしまって、自分が嫌になりました」

 ううん、とジェイシンスがかぶりを振る。「僕の涙なんて安いものだからさ」おどけた調子で言う彼を、じっと見つめる。

(こんな調子ではだめだ。もっと、強くならないと……)

 この優しい人を悲しませないように――

 そう思った矢先、ふいに右手にけるような熱を感じた。突然の激痛とに寝台をのたうち回る少女を、慌てたジェイシンスが両手で押さえつけようとする。

「エリファレット!」

「いたい、右手が……右手が……!」

 発作とは異なる類の痛みだった。熱気とともに包帯が剥がれ、小指の断端部が盛り上がってゆく。そして嵐のように彼女を襲った痛みがやむと、失われたはずの指が――平然と、その場所にあった。

 それを見て、ジェイシンスも、エリファレットも、言葉が無かった。

 

 暫くして、静かな声でジェイシンスが彼女を呼んだ。

「このことは、秘密にしよう」

 エリファレットは迷った末に、黙ってうなずいた。起きてはならない、何かとても恐ろしいことが起きてしまった。そんな予感を覚えた。


 ◇ ◇ ◇


 エリファレットが馬車に巻き込まれた日の翌朝、神聖王国アケイシャは大いなる悲しみに包まれることになった。

 第百九十九代女王グエナヴィアの死去は、夜明け前には早馬によって国中を駆け巡った。貴賤を問わず家々の軒先には黒い忌旗が掲げられ、女王の早すぎる死去を悼んだ。そしてむこう三年間、喪に服すことを誓うのだった。


 ◇ ◇ ◇


 車両の通用路で、覚えのある顔を見かけた。

「エグランタイン?」

 お前もいたのか、と口にしようとして、サイラスは言葉を失った。

 日が落ち、オイルランプの明かりだけが灯る通路の真ん中で、その美しい少女は無表情にたたずんでいる。彼女の右手に握られているのは、繊維質の何かだ。

 目を凝らし、気が付く。それは血に濡れた、白金色の髪の束だった。

「サイラス・エアンフレド。あんたには伝えないといけねえって思って……」

 エグランタインは芝居がかった動作で、「不幸な事故だったんだよ」と囁く。

 そしてまっすぐにサイラスを見上げると、すみれ色の眸を細め、続けた。


「――俺の目の前で、あの娘、死んじまった」

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