夜汽車、ふたりの少女とふたりの男 Ⅱ

(部屋から出るなと言われても)

 サイラスが去った後、手持ち無沙汰になったエリファレットは、部屋の隅に置かれた椅子に腰かけた。行儀が悪いのを承知で両膝を抱える。

(……先生は、今頃どうしているのだろう)

 ナサニエルは、ジェイシンスは逃亡中だと話した。破棄されたはずの胚エリファレットを育てたことに何も後ろめたいことが無いならば、その必要はない。一方で、女王の娘という切り札をもって、宮廷の権力闘争に参戦しようという考えが彼の中にあったと思えないのも事実だった。

 学園長はそういった野望や欲とは無縁の人だった、とエリファレットは思う。私財を投げ打ってまで学園ガーデニアを創立し、身寄りのない子どもに衣食住と教育を与えるほど立派な人物だ。むしろ、権謀術数の渦巻く王宮を疎んじる節さえあった。

 そのとき、コンコン、と部屋の扉を叩く音が響いた。弾かれたように椅子を立ち、扉にまで駆け寄る。すこし迷ってから、扉に手をかけた。

「――失礼」

 エリファレットの目に飛び込んできたのは、軍装の美丈夫。

 エグランタインの後見人、ナサニエルだ。

「おい、無言で扉を閉めるな。危害を加えるつもりはない」

 閉じようとした扉の隙間に靴の先をねじこみ、ナサニエルは「お転婆な娘だな」と呑気に言った。エリファレットは顰め面のまま応対する。

「学園でも、昨日路地でお会いしたときも、私に危害を加える気満々だったかと思いますが……」

「それは誤解だよ、お嬢さん。私は丁重に王宮までお連れしようとしただけだ。部下たちも連れて、賑やかだっただろう?」

「これは私の推測ですが、学園を訪れた時点では、私の存在は言うならば極秘事項でしたよね。表に出る前に、理由をつけて連れ出して抹殺してしまえ、というのが目論見だったのではないかと分析しています」

 ナサニエルは口元に浮かべていた人好きのする笑みを消し去った。溜息をつくと、やれやれとばかりに後頭部をく。

「なるほど、否定はしないでおこう――つけ加えるなら、君が女王の娘として周知された以上、私も慎重に動かなくてはいけなくなった。その点はエグランタインにもよく言い含めておいたから、薔薇鉄冠の儀が始まるまでは一時休戦だ。武力行使をするつもりはない」

「ふうん……」

 暫し思案してから、エリファレットは扉を開いたが、招き入れることはしなかった。外廊下には人の往来があるので、部屋の手前で応対したほうが安全性が高いと判断したのだ。

「それで、何の御用ですか?」

 ナサニエルは脇に抱えていた包みを差し出し、「君への贈り物を届けに」――秘密話をするように顔を寄せ、小声で囁いた。

 若い頃はさぞや、と思わせる魅力的な彼の容貌は、歳月を経てさらに深みを増してゆくタイプのようだ。対するエリファレットは涼しい顔でそれを受け取る。

「敵に塩を送る趣味が?」

「いや――、それはどうかな」

 渡された包みを開けば、中には女性用の衣服と靴。ずっしりと重いそれらを両腕に抱え、エリファレットは首を傾げた。

「先代陛下の形見分けで頂戴したものだが、エグランタインは背が高いだろう? 彼女にはちょっとばかし小さくてね。だから君が使うといい――グエナヴィア様が、薔薇鉄冠の儀でお召しになったものだ」

「薔薇鉄冠の儀で? 儀式そのものが百二十年振りとお聞きしましたが」

「複数の候補者から王位継承者ただ一人を決定する、という意味ではね。形骸化した儀式は、代替わりの度に続けられていたよ。今回もそうだったらよかったんだが……」

 「ああ、嫌味じゃないよ」と微笑むナサニエルを沈黙で制し、エリファレットは受け取った上着を広げる。

(ずいぶん、小さい)

 歴代女王は肉体の成熟が遅いという話を聞いた。上半身に当ててみると、袖の長さも肩幅も、エリファレットにはぴったり過ぎるくらいだった。

「まるで私のために誂えたみたいです。形見分けといいますが、ええと……」

「ナサニエルで結構だよ、お嬢さん」

「ナサニエル卿も、先代陛下と親しかったんですね」

 エリファレットの言葉に、ナサニエルは青い目を細めると、「まあ、そうだね」と素っ気なく答えた。

「婚約者だったが、私は彼女に捨てられてしまってね。お慕いしていた時期もあったし、実際、生涯を通してあの方からの信頼は厚かったと自負している。――そうでなければ、エグランタインの養育も任されないだろう?」

「……そういうものですか」

「グエナヴィア様は生涯独身だった。年頃の娘の前でする話でもないが、純潔のまま死んだ方でね。いったい誰に操を立てていたのか、今となってはわからない。私や、サイラスでないことは確かだが――ああ、すまない」

 「部下が呼んでるみたいだ」と茶目っ気たっぷりに片目を瞑ると、ひらりと軍衣の長い裾を翻す。

 そして最後に思い出したように少女を振り返ると、包みを指差して笑った。

「断言するよ。その服は、かならず君に似合うってね」


 ――それから数時間後。

 アケイシャ最北端へ通じる鉄道列車、その一等車のコンパートメントから、エリファレットは車窓を流れる景色を眺めていた。座り心地のよいベンチシートに腰かける彼女の正面で、不機嫌を隠そうともしない相手と一緒に。

「…………」

 その後、宣言通り昼前に帰ってきたサイラスであったが、彼が尋ねたという国立魔術アカデミー――アケイシャにおける魔術研究の統括機関を指す――でジェイシンスの論文を探そうとしたところ、「ジェイシンス・ヘウルウェンの論文は、規約ガイドライン違反により抹消された」と門前払いを食らったらしい。

 その時点で大分機嫌を損ねたようだが、エリファレットの服装を見たことでそれがさらに地に堕ちてしまった。

 「脱げ」「何でですか」「お前が着ていいものじゃない」「でも他に着れるものは制服しかないので」――等々押問答した結果、王城を出る時間になってしまい、そのまま慌てて汽車の出る中央駅にむかうはめになった。

(……面倒くさい)

 エリファレットがナサニエルから渡されたのは、あくまで女性用の衣服ではあったが、可愛らしいドレスの類ではなかった。

 白を基調とした丈夫な上衣には金の釦に紫紺の飾緒しょくちょ。宣誓の儀でエグランタインが着用していたのと似通ったデザインだが、異なる点は彼女がパンツスタイルなのに対し、エリファレットに渡されたものは裾長のスカートだ。上衣と同じ表生地の内側には、たっぷりと白いレースが仕込んであり、歩くたびにひらひらと揺れる。足もとは踵の低い長靴ちょうかでこちらもサイズがぴったりだ。

 動きやすく、走りやすい。制服でいるよりはよほど合理的だとエリファレットは考えたが、サイラスの心中は複雑なようだ。

 温かい春の一日だが、窓から流れる風は、標高が上がるにつれて徐々に冷たさを増しつつあった。加えて、そろそろ日が翳る頃だ。車窓から射し込む西日が眩しく、「窓、閉めていいですか?」と聞くものの、サイラスは無言のままだ。

 すこし考え、エリファレットはさらに問いを重ねる。

「……《女王の死庭》って、どういうところですか」

 返答はない。サイラスは腕組みをしたまま、黙って俯いている。

「どうしてサイラスさんは、そんなに見た目が若いんですか。実年齢とかけ離れてますよね?」

 沈黙だ。エリファレットは溜息をついて靴を脱いだ。行儀が悪いと叱責されると思ったが、何も言われない。

 ベンチシートの上で小さく伸びをして、凝り固まった筋肉をほぐす。そして頬にかかった横髪をかきあげると、まっすぐに正面の男を睨みすえた。

「……私って、そんなに先代陛下に似てるんですか?」

 その言葉に、サイラスはわずかに頤を上げた。赤い瞳をすがめ、何かを言おうとしたが、やはり黙り込んでしまう。

 首から下げたヴィネグレットの鎖を掴み、エリファレットは「何か言ったらどうですか」と声を張り上げた。

 一向に返事をしないサイラスに対して、苛立ちが募っていた。

「あなたはいつも怒ってばかりですね。私のことが憎いなら、私のことなんて助けなければいいじゃないですか。不愉快です、心の底から」

 汽笛が響く。室内に黒煙が充満しそうになり、エリファレットは慌てて室内の扉を閉めた。車体が激しく揺れ始め、会話することもままならない状況になりつつあることを察しながらも、溢れる言葉を止めることができなくなる。

「私が生きているだけであなたは傷ついているみたい。それなら、私なんて見捨てればいいじゃないですか。それなのに、どうして助けようとするんですか……!?」

 その瞬間、視界が闇に閉ざされた。


 ――先生、どうして、戻ってきたんですか……。

 幼い自分の声が、耳朶の奥で響く。


 汽車が鉱山トンネルに入ったと気付いたのは、一拍遅れて我に返ったときだった。急こう配の線路を上方向に進むなか、車体は容赦なく揺れる。安定した姿勢を保てず、バランスを崩したエリファレットは前方にむかって倒れ込んだ。

 何かにぶつかった、と思ったら、サイラスの体だった。片腕を掴んだ力の強さに、エリファレットはひるんだ。

 それを振り払おうとした拍子に、それまで線路を登り続けていた車体が突然急降下する。身が宙に投げ出され、腰を背後のベンチシートに打ち付けた。

 その一瞬、外から強い西日がした。眩しい日差しが、室内を目のめるような鮮血の色に染め上げる。

 視界を占めたのは、柘榴石ガーネットの瞳。

「……グエナヴィア様」

 目が合った次の瞬間、汽車は再びトンネルに入り、視界が黒く塗り潰される。訳もわからぬうちに両腕を掴まれたエリファレットは、次の瞬間、ベンチシートの上に押し倒されていた。

 声を上げようとして、唇を塞がれた。自分の唇に触れたのがサイラスの手だと、一拍遅れて気付く。

「……っ、」

 しかかる男の体重に押し潰され、小柄なエリファレットはなすすべがない。必死に抗おうとする右腕の手首を掴まれ、手のひらを撫でられた。

 サイラスの手は、その指の一本一本の形や長さ、その肌触りを確かめるように、彼女の手のひらに絡みついた。熱い皮膚がこすれあい、痛みさえ感じる。

 乾いた掌が容赦なく肉体の上を這い回る。上衣をがれ、右足を持ち上げられる。そして素足の先端に触れ、やはりその形を確かめるように撫でられた。

「なぜ……」

 顔を上げ、サイラスはエリファレットの足の甲にすがった。

 彼が冷静さを欠いているのは明らかだった。

 もはや彼を突き動かしているのは怒りではない。怒りという防衛本能の奥底に隠された――もっと切実な感情だった。

「なぜここまで健康な両手足がありながら、それを失わなくてはいけなかったのか。グエナヴィア様。どうして俺は、貴女を……」

 エリファレットは息を呑む。

(――私は、やっぱり)

 渾身の力で、サイラスの体を突き飛ばした。暗闇のなか、あちこちに体をぶつけながら、彼女はコンパートメントを飛び出した。


 《女王の死庭》はアケイシャの北西高原を越えた先、銀鉱床を擁する山岳地域を抜けた先にある。古来より一帯の山越えには困難を伴い、多くの死者を出してきたが、その状況を激変させ、物資の流通経路を一変させたのが、山を削り、線路を通した鉱山鉄道の整備だった。

 悪路をく列車は耳障りな音を響かせながら、急こう配の線路を進んでゆく。暗闇に包まれた通用路は歩くこともままならない。エリファレットはコンパートメントから離れた場所で壁の手すりに掴まると、ずるずるとその場に座り込んだ。

 呼吸が乱れ、全身から血の気が引いていくのがわかった。

 発作の予兆かと思ったが、先程の出来事に自分が動揺しているらしいと気付くと、エリファレットはほんのすこしだけ笑った。

(あの人は私を女王陛下の代わりとして見ている。私のことが憎いと言いながら、私を代替品にしようとしているみたい……)

 ――気持ち悪い。

 胃の腑から中身がせり上がる。同時に、彼の瞳の奥に宿る執着と狂気が、エリファレットを震えあがらせた。両腕で自分の体を抱き締め、全身を包み込むうすら寒いものに耐えていると、外から光が射し始め、車両の揺れが穏やかになった。

 ようやく悪路を抜けたようだった。ふらつく両足を叱咤して立ち上がろうとした矢先、視界に飛び込んだものに目をみはった。

「――エグランタイン」

 通用路の中央に立ち、エグランタインは「よう」と軽く手を上げて猫のように目を細めた。

 エリファレットは口をつぐみ、後ずさった。

「俺がいたのがそんなに意外か? 鉱山地帯をさっさと抜けるには鉄道くらいしかねえからな」

 エグランタインが懐に手を入れる。身構えるエリファレットをよそに、彼女が取り出したのは懐中時計だった。

「知ってるか? 時計の盤面を使って、今の方角を知る方法」

「……は?」

 時計の盤面から目を逸らすことなく、エグランタインが突拍子のないことを言う。

「短針を太陽の方へ向ける。短針と、文字盤の十二時の位置の真ん中が南だ。季節とかでも変わってくるけど、今の時期なら……あっちが南だな」

 通用路の窓から差す光に時計の文字盤を当て、本当に方角を確かめながら、エグランタインは目をすがめた。

「外の風景は山ばっかりで代わり映えがないし、列車の時刻も正確じゃない。だからこうやって、今の列車の位置を知る」

 時計をしまい、顔を上げたエグランタインの目がエリファレットを射貫く。ぴり、と首筋にかすかな痛みが走った。

 これは――だ。

「――

 流れるような動作で片腕を掲げたエグランタインが、低い声で囁く。

 右手首で赤い光が弾ける。エリファレットは突然のことに反応が遅れた。

 エグランタインのすらりとした体躯の背後から、棘に蔽われた無数の蔦が這い出す。

「……っ、移動中の攻撃はっ、規則ルール違反じゃないんですか!?」

 エリファレットは叫びながら後退した。狭い空間での騒ぎだ。きっとサイラスが気付くに違いない、と期待したところで、先ほどの出来事を思い出しちくりと胸が痛んだ。

「相手が死んだとなれば話は別だろ? 継承者は俺とお前しかいねえんだし――」

 エグランタインが大きく踏み込んだ。きっと彼女は狩りが好きに違いない。今度こそ、エリファレットという獲物を逃すつもりはないだろう。

 一直線に走るばかりでは追い詰められるだけだ。足もとを掬おうと伸びた蔦を踏みつけると、エリファレットは飛び上がって天井の梯子にしがみついた。両腕に力を籠めてハッチを押し開けると、黒煙が視界を覆った。

 列車の屋根までよじのぼり、昇降口を閉めようとした矢先、棘に覆われた蔦が鼻先をかすめた。不安定な足場にすくむ両脚を叱咤して何とか立ち上がると、エリファレットは紋が刻まれた右手首を押さえながら後退する。

 緊張にじっとりと汗が滲んだ。エグランタインが顔を出した瞬間に、。そう決心した矢先、列車の中から声が響いた。

「なあ、良いことを教えてやろうか。サイラスが何をしたのか、お前が何者なのか」

 エグランタインの声に、全身が硬直した。なぜならば、それこそがエリファレットが抱える根源的な問いそのものだったからだ。

 蔦とともに、エグランタインが軽い身のこなしで列車の屋根まで登ってきた。

 エリファレットは手首を押さえながら、何も言うことができない。

「お前の身の回りの人間は、誰もお前に事実を教えないだろ? 不幸なことだよ。お前を侮って、価値を低く見て、お前の話を聞こうとしないんだ。なあ、心当たりがあるんじゃねえか?」

「そんなことは――」

「可哀想なエリファレット。いい加減に気付いたらどうだ? 失敗作の胚が生き延びたことには理由があるって。なぜお前は男の名前で呼ばれるのか? つけるべき名前がなかったからだ。だって、お前はそもそも……」


 女王グエナヴィア複製クローンだ。


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