第3話 夜汽車、ふたりの少女とふたりの男
夜汽車、ふたりの少女とふたりの男 Ⅰ
第三話 夜汽車、ふたりの少女とふたりの男
女王のもう一人の娘・エリファレットの生存が発表されたことは、エグランタインとその扶育先であるアエルフリク侯爵家を中心に固められた勢力図を、根底から揺るがしかねない大事件だった。火種を持ちこんだ張本人であるサイラスは、即日貴族院の議場に召喚され、批難の集中砲火を食らった――という話を本人から告げられたとき、何故この男はこんなに涼しい顔をしているのか、エリファレットは疑問に思ったほどだった。
宣誓の儀の終了後、エリファレットは王城の一室に滞在することを許された。正式に告知された訳ではないが、彼女の存在は瞬く間に宮廷の至るところににまで周知された。突如現れたもうひとりの女王の娘に対し、腫れものを扱うような侍従たちの対応に辟易としながらも、彼女は比較的平穏に翌日の朝を迎えた。
そして部屋に用意された豪華な朝食に手をつけようとしたところで、何の断りもなしに乱入してきたのがサイラスである。
(心の休まる暇がない)
もともと図太い神経の持ち主であるエリファレットは、用意された天蓋付きのフカフカの
しかし彼の対応は別だ。今は味方のようだが、その真意が見えず混乱する。
「俺は貴族出身じゃない。もともと折り合いの悪い連中だから、今更何を言われたところで痛くも痒くもない。一応宮廷魔術師としての席は残っているらしいが、これをきっかけに職を追われようとも、陛下亡き今大した問題ではない。まあ、連中が今更俺を手離すとも思えんがな」
侍女に濃いミルクティーを用意させ、さも当然という態度で室内の椅子に腰かけたサイラスは、握った金の鎖を弄びながら発言した。
エリファレットは銀の器に盛られたたくさんの果物に目移りしながら、「宮廷魔術師は、貴族しかなれないものかと思っていました」と返事をする。
「普通はそうだ。門戸さえ開いていない。だが、俺は誰よりも優秀で、かつ陛下の後押しがあったから首席の座に
彼自身は何とも思っていないようだが、前例のないことをするというのは、それだけ風当りの大きいことだ。エリファレットは大きい苺を食べながら考える。
蒸気機関の発明に伴う産業の発達により、一部の資本家が台頭しはじめているとはいえ、貴族の特権がまかり通る神聖王国は、生まれながらの階級によって職業が決まり、大概の人生が決まるのが普通だ。孤児に教育を与えようとするジェイシンスが、特別変わり者なのだ。
魔術もまた、生まれもった魔術配列の紋で才能が決まってしまう。宮廷魔術師になれるような紋を持つのは、特定の魔術配列を受け継ぐ貴族が大半という話だ。
「宮廷魔術師の首席で、生体干渉魔術を開発したほどの方なのに――サイラスさんはこの王宮では随分嫌われているようですね。すくなくとも、慕われているようには思えませんでした」
「真向から言われるとは思わなかった」
「回りくどい言い方をしないほうがいいかと思いまして。むしろ、あなたは忌み嫌われているようでした」
今朝がた、エリファレットの髪を
――女王の狂犬が帰ってきたらしいわ、と。
宣誓の儀で向けられた視線も、ナサニエルの発言も、決して彼に対して好意的なものではない。それどころか忌避感を滲ませたものであることを、エリファレットは肌で感じ取っていた。
「俺は先祖がえりだからな。もともと忌み嫌われることには慣れている」
「先祖がえり?」
何度か聞かされた単語だ。
「先祖がえりとは、われわれ人間の
(あれ……?)
サイラスの発言に覚えのある気がして、エリファレットは首を傾げた。
「主に見た目と、そして魔術配列に通常とは異なる変化をきたす。本来の魔術配列は二種の
遺伝情報を構成する
たとえば、ヘウルウェン伯爵家に受け継がれる紋は海洋生物特化だ。
「あなたひとりで、最低ふたり分の魔術師の力を発揮できる?」
「実際は百人以上。俺の持つ四種の
エリファレットは目を
(庶民の出なのに宮廷魔術師の首席で、生体干渉魔術を開発した張本人で、不吉な先祖がえり……)
ふわふわの白いパンを細かくちぎり、薄い紅茶を口に含みながら、エリファレットははたと気が付く。
「でも、あなたが嫌われているのは、それだけが理由じゃないような気がします。何か、私に言ってないことがあるのでは?」
サイラスは露骨に顔をしかめたが、エリファレットは躊躇わなかった。
「サイラスさんは、何をしたんですか?」
「前にも言った。陛下の遺伝病を治療するのを目的に、エグランタインの胚を作った。その途中で作ったお前を、破棄しそこねただけだ」
「十七年も王宮にいなかったのは、本当に王命だったんですか?」
不意に頭から紅茶をかぶる。床に落ちたカップの割れる音が響き、エリファレットは目を見開いた。
「お前には関係のないことだ。余計な詮索をするな、失敗作」
冷めた紅茶なのが幸いだった。濡れた膝の上でぎゅっと拳を握り、サイラスを睨みつける。一度、深く息を吸った。
「薔薇鉄冠の儀は危険を伴うのでしょう。何らかの利害の一致があって私に助力しているのでしょうが、私はあなたの何を信じればいいのかわかりません」
「遺伝病は治療する。――治療してみせる。それは嘘じゃない」
「だから、その理由が――!」
朝食のテーブルに拳を叩きつけ、サイラスが勢いよく立ち上がった。突然投げて寄越された金無垢の鎖を、エリファレットは顔に衝突する寸でのところで掴み取る。
「
「……鎮痛薬ではないんですね」
「鎮痛薬? 遺伝病の痛みは、魔術的な原因に拠るもので、鎮痛薬は効かない。耐えるのみ、だ」
「でも、先生はいつも……」
鎖に繋がれた、クリスタルガラスの香水瓶をまじまじと見つめる。そんな彼女を前に、サイラスは片目を
「お前……何を投与された? ジェイシンスは生体干渉魔術の共同研究者で、同じく陛下の側近だった。そのことを知らぬはずがない。何を……」
すみれ色の目をしばたき、エリファレットは首を傾げた。「技術の発展……?」考え込んだ挙句出た答えにも納得した様子もなく、サイラスは突然何かを思い立ったように、椅子にかけていた黒衣を取った。
乱暴な動作で外套を羽織りながら、「すこし外に出る」と告げた。
「どこに?」
「ジェイシンスの最近の研究を調べる。お前はここにいろ」
「でも……」
言いよどむエリファレットを目線で制し、「昼前には戻る」とつけ加えた。
「《女王の死庭》はアケイシャの辺境にある。汽車では一日半ほど。昼過ぎには出立するから、お前はおとなしく荷造りでもしていろ。いいか、勝手に外に出るな。出た瞬間にエグランタインに見つかって殺されると思え」
用意する荷物もなにも、身一つで首都に出てきたのだ。エリファレットは唇を尖らせたが、最終的には黙ってうなずいただけだった。
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