門の島より帰還せし者 Ⅵ


 首都の中心地にして、神聖王国アケイシャの中枢――アージェンタ城にふたりが到着する頃には、宣誓の儀の開始時刻は過ぎてしまっていた。

 深い堀の上に横たわる跳ね橋を渡ると、凝灰岩を組んだ巨大な門がそびえ立っている。エリファレットの格好にぎょっとする衛兵にサイラスが睨みをきかせ、無理矢理検閲を越えた先に広がるのは、一種異様な、しかし王国を象徴する空間だ。

 広大なバラ園を設えた前庭。いばらを模したアーチをくぐり、砂利の道を進んだ先で訪問者たちを待ち受けるのは、黒鉄くろがねの骨に支えられた漆黒の城。無数の尖塔に囲まれ、暗雲たちこめる空のもと深い沈黙を保つそれは、訪問者のすべてを拒むかのようにその場所にあった。

 しかしその屋内に足を踏み入れるやいなや、その排他的な印象は一変する。

 吹き抜けとなった内部構造は広々として、巨大な純金のシャンデリア、そして鉄で出来た螺旋階段がいくつも吊り下がり上階への道標となっている。あらゆる調度品のあちこちに施されたいばらの透かし彫り、壁や天井で薄っすらと七色の煌めきを放つのは砕いた真珠貝の破片。

 数えきれないほどの侍従たちが控えた廊下を、サイラスが臆することなく進んでゆく。彼が目指したのは、女王の紋章を織り込んだタペストリーをかけた両開きの扉だった。

 来訪者を知らせるかねの音とともに大広間に通じる扉が開け放たれた。その瞬間、エリファレットは視界に飛び込んだ光量の多さに、眩暈を覚えたほどだった。

「――サイラス・エアンフレド?」

 間を置かず、無数の視線が自分たちに集中し、誰かがそう囁いた。

 毛長の絨毯を敷いた一本の道を、思い思いに着飾った宮廷の住人たちが取り囲んでいる。

「なぜサイラス・エアンフレドが王宮に戻った? 追放されたのではなかったのか」

「まさか、本当に《門の島》から帰ってきたのか……」

「あのひどい恰好の娘は? 孤児同然ではないか」

 魔術師の黒衣の裾を翻し、サイラスは無言で絨毯の道を突き進んでいった。腕を引っ張られ、遅れてエリファレットもその後に続く。

 顔をしかめ、嫌がるように扇子で口元を隠した貴婦人が視界に入る。

 ふたりに、特にサイラスに向けられる視線が、けっして好意的ではない――むしろ強い忌避感を帯びたものであることを察し、エリファレットは違和感を覚えた。

(どうして? 彼が発見した生体干渉魔術は、アケイシャの魔術や医療に、多大な貢献をしたというのに。何故このひとたちは、こんなにも冷たい目をしているのだろう)

 サイラスは歓迎されてしかるべきではないのか、その人間性はさておいて。疑問に思った矢先、頭に思い浮かんだのは先刻のナサニエルとの会話だった。

 サイラスは禁忌を犯した、とナサニエルは言った。その結果、『門の島』に流刑されたとも。彼は王命で国外に滞在していたと話したが、そのことを指しているのか。そして禁忌を犯した結果が、今彼に向けられる視線なのか。

 今考えても栓のないことだ、とエリファレットは深みにはまりかけた思考を引き戻す。しかし同時に、自分の腕を掴む男が途轍もない闇を隠し持っているのではないかという不安が頭をかすめた。

(でも、サイラスは私の遺伝病を治療すると言った)

 あの言葉に、嘘はない――それに縋る以外に、エリファレットに希望はない。

 無数のシャンデリアが、広間の遥か高みから吊り下がり、火の光で屋内を照らしていた。出入り口の頭上に戴いた円形の薔薇窓は炎の明かりを反射し、絨毯の道の果てにある黒鉄の玉座に虹色の煌めきを添えていた。

 ふと、その光景に既視感を覚える。「まさか、来たことはないはずなのに?」――謎めいた感覚にかかずらういとまはなかった。玉座のある壇の前に、見覚えのある娘がたたずんでいたからだった。

「へえ?」

 振り返って、エグランタインは白い歯を覗かせて笑った。女性らしいドレス姿でこそ無かったが、騎士衣らしき正装を身につけ、癖のある前髪を丁寧に撫でつけている。その横では、一足先に馬で戻ったのだろうナサニエルが何食わぬ顔で控えている。

 エリファレットの腕を離すと、サイラスは無言で彼らを押しのけ、玉座の前に立った。壇の正面で跪くと、胸に手を当て、その座るもののいない椅子を仰ぐ。

「――貴女のサイラスが帰還しました、陛下」

 よく通る声を響かせ、柘榴石ガーネットの瞳で玉座を見つめる後ろ姿を、異様なものを見る目つきで、その場にいる者たちが眺める。

「《門の島》へ赴いたのは、御身を死の淵からお救い申し上げるため。十七年の歳月を費やし、を持ち帰りました。しかしその間に陛下の肉体は滅び、魂は天へと還られてしまわれた。陛下のしもべとして、これほど口惜しいことはありますまい。できることならば、この卑賤な身を十全に恥じた上で、後を追うことを許していただきたかった……」

 サイラスの言葉が自死を意味していることに気付き、エリファレットは不意に胸がかれたような感覚に陥る。

 彼は無言で立ち上がり、エリファレットを振り返った。全身濡れそぼって、折角のドレスも裾がぼろぼろ、裸足のかかとには血さえ滲む娘だ。この空間にもっともそぐっていない少女を睨みつけると、歩み寄って、その薄い双肩を掴んだ。

 そして広間にいる群集にむかって彼女を振り向かせると、顎を掴んで、そのかんばせを衆目にさらしたのだった。

「しかし数奇な運命に導かれ、この娘がわれわれのあずかり知らぬところで扶育されていた。継承者の資格を持つのは、エグランタインだけではないということだ。

 名をエリファレット。十七年前に俺が編集し、破棄したはずの胚のひとつ」

 周囲がどよめきに包まれた。

「何故破棄したはずの胚が持ち出され、養育されたのかは不明だが、ヘウルウェン伯爵の息子、ジェイシンスが長年に渡り学園で保護をしていた。その是非は追って審問に付されるだろうが、彼女が生きていたこと、それ自体に罪はない」

 淡々とした声でサイラスが語る。集団のなかから、ひとりの女が声を上げた。

「よく見てくださいまし、あのお顔を。十代の頃の先代陛下にそっくりではありませんか……まるで……グエナヴィア様が今も生きていらっしゃるよう……」

 同意がさざなみのように周囲へ広がるなか、「アケイシャを持っているのか?」と誰かが問う。

「魔術配列に損傷があるため、詳しい鑑定に出さないことには正式な判断は得られないだろうが――」

 顎の次は右腕を掴まれる。操り人形じゃないんですが、と批難したいのをじっと堪え、エリファレットはされるがままだ。

 右手首の表面にサイラスの指が触れると、赤い光が周囲に拡散した。優れた魔術師は、他人の魔術配列の紋を解読することができるのだ。溢れた光を白い壁に映すと、ひとつの紋が浮かび上がる。同じことをジェイシンスにやってもらったことがあるが、「損傷が激しくて、わからないね」と言われていたものだ。紋の類型を集めた書物を見ても似た形はなく、エリファレットは彼の言葉を疑いもしなかった。

 さらにエリファレットの逆方向にエグランタインを立たせ、彼女の右腕を掴む。同じように壁に映された赤色の紋と自分の紋を見比べ、それが限りない相似を示していることに気付いた。


 はっきりとした茨の形をもつエグランタインのものと比べ、線が不明瞭ではあるが――なのだ。


「女王だけが持つ、奇しき薔薇の聖女こと《アケイシャ》の紋だ。ところどころ、欠けてはいるが――魔術配列の他の類型のなかに、これと似たものは初代女王の紋以外には存在しない」

 周囲が沈黙で包まれる。

 サイラスは無言で彼らを睨みつけ、ふたりの少女を解放した。

「これにより、王位継承者となるべき者が複数人存在することが明らかになった。未成年の相続人に代わり、代理人サイラス・エアンフレドは、神聖王国憲章、第三章二十四節百一項に則り、薔薇鉄冠の儀の開催を要求する」

 肩を竦め、ナサニエルが一歩前に踏み出し、サイラスと対峙した。

「代理人ナサニエル・アエルフリクにも異議はなし。証人はこの場にいる全員、儀式の調停者は伝統に則り、第三者である使徒教会に依頼することを提案しよう」

「異議はない。また、儀式の簡略化のため、勝利条件等に変更は加えず、百二十年前に行われた際と同様の形式とする。つまり宣告より三日後、《女王の死庭》における地下墳墓に収められた薔薇鉄冠を得て、そこに血を注ぐことのできた相続人が、次の王位継承者となる」

「その際、相続人たちの間には、あらゆる法律も規則も介在しない」

「同意する。一方で、彼女たちを支援できるのは選出された一名の代理人のみ。そしてサイラス・エアンフレドは、継続してこの娘を支援する」

 エグランタインが肩をすくめ、「パパ、よろしく」とナサニエルに対して軽口を叩いた。

「どうせ、どんな腕利きの魔術師を用意してもサイラス・エアンフレドには敵わねえんだろうからさ。それなら、手の内のわかってる相手のほうがいいだろ?」

「わかった」

 ナサニエルはうなずき、「ナサニエル・アエルフリクがエグランタインを支援する」と宣言した。


 神聖王国暦1879年、前女王グエナヴィアの死去より三年、女王の娘エグランタインが王位継承者として認められる宣誓の儀において、二名の闖入者があった。そのうちの一名はサイラス・エアンフレド。宮廷魔術師でありながら、十七年前に王宮を追放され、流刑地であった《門の島》より帰還した曰く付きの男。

 そしてもう一名は、エリファレット・ヴァイオレット。前女王グエナヴィアの落胤として、この日初めて宮廷に姿を現した。

 複数の相続人の存在が認められたのは、アケイシャの歴史において、実に百二十年ぶりの出来事であった。

 これにより、長きに渡り形骸化していた継承者のための儀式が正式に開催されることが告知される。調停人としては、伝統に則り、第三者である神聖王国使徒教会・聖皇バーンハードが選出された。王位継承者を決定するための勝利条件に変更は加えられず、百二十年前と同様の形式とした。


 ――歴代女王のすべての遺体が収められる《女王の死庭》、その地下墳墓に安置された薔薇鉄冠を入手し、そこに血を注げた者が、次なる女王である。


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