門の島より帰還せし者 Ⅳ
◇ ◇ ◇
翌日の午後、エリファレットは馬車に揺られていた。
女王の継承者は、十六歳の誕生日を迎えたのち、宣誓を通してはじめて次代の女王として認められる。そして最短で十八歳の誕生日に、女王として即位するのがこの国の決まりだ。その宣誓の儀に、前女王の側近として公式に招待されたサイラスがエリファレットを連れて乱入する――というのが、彼の提案だった。
『数日前、三周忌を前に陛下が晩年過ごされた離宮が、次代の女王を迎えるために改築作業に入った。そこで発見された書簡によって、お前の存在が明らかになったんだ。三周忌を経て陛下の喪が明け、エグランタインが正統な継承者として認められようという段階で。いわば突然見つかった
女王の継承者が複数人存在する状況自体が、近年のアケイシャでは発生しなかったらしく、今頃関係者はてんやわんやの騒ぎだろうな、とサイラスは昨晩説明した。
『エグランタイン側にとって、もう一名の継承者が正式に名乗りを上げる前に儀式を決行してしまいたいのが本音だ。だから、秘密裏にお前を処理しようとした』
だが、懇切丁寧に議会にエリファレットの存在を報告して承認を得、一から諸儀式を仕切り直すのは避けたい、とも。今はまだ前女王の関係者だけに話が留まっているが、王宮中に周知されれば、何も知らないエリファレットを利用しようという輩は当然増えてくる。
(だから、今日の儀式に乗り込むのが、薔薇鉄冠の儀に至る最短経路)
窓を覆う
「私は、エグランタインを中心に地盤固めを終えた王宮に突如放り込まれた火種という認識で合っていますか? 自分で言うのも変な感じですが」
書簡には自分の存在が記されていたのだ。前女王はエリファレットの存命を認識していたはずだが、なぜ、秘密裏に育てることを容認したのか。次代の継承者を守るためであるなら、エグランタインも同様の扱いでなければ矛盾するだろう。
「おおむねその通りだ。宣誓に割り込み、継承者として名乗りを上げる。むこうに準備期間は与えず、早急に薔薇鉄冠の儀を始めるにはこの方法しかない」
「よくわかりませんが、私は何をすればいいんですか?」
「失敗作は黙って俺の言うことを聞いていればいい。陛下のような振舞いはまず期待していないから安心しろ」
間髪入れずにそう返されてしまえば、エリファレットも黙るしかない。会話の糸口を掴めなくなり、黙って白いレースの手袋に覆われた指先を見下ろした。
(……この人は、ずっと先代陛下のことを、陛下と呼ぶ)
死去した以上、グエナヴィアは先代女王でしかない。現在のアケイシャでは、『陛下』と呼称される高貴な
サイラスは前女王の側近という話だった。昨晩の様子からも、それは容易に察することができた。エリファレット自身は近しい人を失った経験はないが、彼にとって陛下という存在は何にも代えがたい大事なものだったのだ。
(大事、と言えば聞こえがいいけれども――この人が持っている感情は、どこか、妄執じみているように感じられる)
教科書にも載るようなサイラス・エアンフレドが、こんな人間だとは思ってもいなかった、というのがエリファレットの素直な感想だった。『生体干渉魔術』という魔術史を覆す発見をした人物には到底見えない、とも。
しかし身近なジェイシンスがそうであるように、大抵の優れた魔術師とは偏屈な生き物だ。
(それにしても――)
息が苦しい、とエリファレットはぐったりと椅子に寄りかかる。
サイラスは昨日と変わらず、宮廷魔術師の証である金のチェーンで留めた漆黒の
朝一で首都にある仕立て屋を叩き起こし、あれこれと採寸をした挙句、間に合わないからと結局用意されたのはあり合わせの既製品。それでもジェイシンスから貰ったお金では足りず、「出世払いだからな」とサイラスが足りない金額を補填して得た、流行りのバッスル・スタイルの衣裳。たっぷりとフリルをあしらった白と薄紫色を基調としたドレスにレースの手袋、踵の高い靴、つば付のボンネットに細々とした装飾品――いずれもあどけない少女を違和感なく引き立てる品だった。
しかしきつく絞められたコルセットは苦しく、とんでもなく動きづらい。長い裾が汚れないように気を遣うのも大変だ。これを着せられたとき、なるほど女王とは楽な仕事ではないのかもしれない、と見当違いなことを考えたほどだった。
青い顔をしたエリファレットが、外気を求めて窓に手を伸ばした瞬間。不自然に視界がぶれた。
車両自体が強く揺らされたのだと気付いたのは、サイラスの背中が見え、彼が前方の御者に対して怒声を響かせた瞬間だった。
「馬を止めろ! 背後から攻撃された!」
制止もむなしく、馬が高い声で
幅狭の道で、頭上の屋根が壁に擦れては何度となく車輪が空回りする。激しく振動する馬車のなかでは、安定して座ることもままらない。椅子の背もたれにしがみついて、エリファレットはせめて舌を噛まないように歯を食いしばった。
「この路地だとすぐに曲がり切れなくなって箱が潰れる! おい失敗作、飛び降りるぞ!」
「えっ――」
了承もないまま俵のように抱え込まれたと思えば、次の瞬間にはサイラスが真横にある扉を蹴破っていた。
小雨が降る路地、吹きつける冷たい風がエリファレットの柔らかい髪をなぶる。
浮遊感を覚えたのはわずかな時間。ほとんど倒れ込むように地面に着地して、エリファレットは馬車の中に靴を置いてきたことを意識する暇もなかった。
前方で、寸でのところで壁に衝突することを嫌がった馬が足を止める。座席から転がり落ちるように逃げ出した御者を横目に、サイラスは鋭い視線を周囲に走らせた。
「――侯爵家お抱えの魔術師たちだな?」
地面に座り込んだままのエリファレットの前に出ると、サイラスは路地の奥にむかって挑発を響かせた。
曇天のもと、周囲は夜のように薄暗いまま。やがて彼の声に促され、闇のなかから姿を現したのは――右腕を掲げ、詠唱を囁く数人の魔術師だった。
「皮肉なものだ。十七年前、ナサニエルとはともに女王を守った仲だというのに――こうして争う仲になろうとは思いもしなかった」
暗闇の奥で閃光が弾ける。
動じた様子はなく、サイラスは右手を掲げた。その先端で、黒い光が迸る。
「門の島から来たる者よ、我が声を聽しめよ」
サイラスにむかって伸びる無数の影の手。彼の足もとから這い出した泥塊が容赦なくそれらを薙ぎ払ってゆく。
彼らの相手をする片手間に、サイラスはエリファレットに声をかけた。
「失敗作」
「……私の名前は失敗作ではありませんが」
「これはどう考えてもナサニエル――エグランタイン側の勢力による足止めだ。お前は王城へ行け。走れ、愚図」
エリファレットは目をしばたいた。確かにここに留まっている理由もないな、と遅れて得心すると、おもむろにドレスの裾に手をかけた。
裾を破いて切り裂き、ドレスの膨らみを支える鯨の骨を抜く。コルセットの紐を緩め、最後に帽子を投げ捨てて準備を整えると、「それならお先に行きます」と澄ました顔でうなずいた。
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