門の島より帰還せし者 Ⅲ

「継承者としての資格を放棄して、遺伝病で死ぬか」

 指の一本を折り、あるいは、とサイラスは続けた。

薔薇鉄冠ばらてっかんを得て、遺伝病を克服するか」

 薔薇鉄冠? と首を傾げつつ、エリファレットはより根本的な疑問を優先する。

「学園で、私も若くして死ぬことは変わりない、と仰っていましたよね。エグランタインは致死性の遺伝病を克服したそうですが、私にはその方法は使えない、ということですか?」

「致死性の遺伝病とは遺伝子の時限爆弾のようなもの。エグランタインの胚は、時限爆弾が発動する前だったからこそ、原因を排除することが可能だった。その点、お前は手遅れだ。だが、薔薇鉄冠があれば、あるいは……」

 そこで言葉を区切ると、サイラスは小さく息衝いた。思案するように目元を手で覆うと、「治療することができるかもしれない」そう返した声には覇気がない。

「この方法を実現可能な領域に引き上げるまで、十七年を費やした。もっと早ければ、あるいは……」

 弱弱しい声でひとりごちると、サイラスは険しい面を上げる。

「薔薇鉄冠は、歴代のアケイシャ女王のみが戴くことの許される冠だ。初代女王が古代種から譲り受けたもので、すこしばかり特殊な立ち位置にある。そして、これをお前が手に入れる方法はただひとつ」

 サイラスはエリファレットを睨み、意を決したように続けた。

「女王の継承者を決めるために催される『薔薇鉄冠の儀』に勝つ――それだけだ」

(……女王の継承争いに参加して、勝てということ?)

 自分の出自さえ寝耳に水だったというのに、この厄介な病気を治療するには、進んでその渦中に飛び込まないといけない、ということらしい。

 あるいは継承権をめぐる権力闘争が背後にあり、彼自身が説明したとおり、サイラスはエリファレットの意思を度外視して政治の駒にするつもりではないか。そんな疑惑が頭をぎる――が、そもそも相手は自分失敗作を前にして「エグランタインの方が女王に相応しい」と言い切った人物だ。その可能性は低いだろう。

(その『理由』とやらが、気になる――けど)

「もちろん、無理にとは――」

「なるほど、考えるまでもないと思います。不本意ではありますが、この厄介な病気とおさらばできるのなら喜んで参加します」

「……普通はすぐに決断しない。いいか、場合によっては死ぬぞ。相手は俺の最高傑作だ。基本、お前のような失敗作が敵う相手ではない」

「でも、この選択肢以外であれば、私は死ぬんですよね。勝算がどの程度あるかもわかりませんが、可能性がゼロという訳でもないのでしょうし」

 サイラスは肩をすくめると、大仰な溜息をこぼした。

「ああ、勝算が無いわけではないが! ジェイシンスがわざわざお前の後見人に俺を指名したのもそういう理由だろう! だが、女王とは――女王位を賭けて争うということは、生易しいことではない。それだけは肝に銘じておけ、失敗作!」

 何故ここで学園長の名前が出るのか理解できず、エリファレットは首を傾げた。そんな彼女を無視して、サイラスは苛立った様子で頭をいた。

 そして到底十六歳には見えない――どう見積もっても十二、三の――いかにも脆弱そうな少女を見下ろすと、苦虫を噛み潰したかのように不快感をあらわにする。

「――グエナヴィア様は」

 彼の口をいたのは、先代女王の名だった。きつく拳を握りしめ、低い声で絞り出すように言葉を吐き出そうとする。

「四肢を欠き、たとえ正気を失おうとも、グエナヴィア様は俺にとって唯一の女王、俺だけの主君だった。それは永遠に変わらぬ事実。だが、グエナヴィア様はこの世からいなくなってしまった。もはや永久に戻ってはこない」

 突然、サイラスが腕を伸ばした。肩を掴まれ、寝台ベッドに押し倒される。柘榴石の瞳が、少女を見つめている。

「お前が憎らしい。お前は瓜二つの顔をして、同じ病を背負っているのに、グエナヴィア様ではない。失敗作だ。俺に対する当てつけなのではないかと思うくらいだ」

「ただ生まれてきただけで、そこまで言われなくてはいけないのは理不尽かと思いますが」

「――黙れ」

 サイラスは舌打ちして、エリファレットの頬を叩いた。

 エリファレットは「やめてください」と訴えようとした。

「っ……」

 しかし、不思議な魔力に引っ張られたように、体の根幹から力が抜けてしまった。

(これは、なに)

 傍目から見れば危機的状況で間違いないはずなのに、目の前の人物を脅威として認識することができない。まるで、この男のことを頭が信頼しきっているような──

 その様子を見て、サイラスが蔑むように微笑んだ。

「女王とは、憐れなもの」

 エリファレットのすみれ色の眸を覗きこみ、言い聞かせる。

「生まれながらに遺伝病に蝕まれ、その影響でなかなか成長しない。世継ぎを産む義務がありながら、肉体が成熟する頃には四肢もなく、子どもの成長を見守る暇もなく病魔は脳に進行し、正気を奪う……」

 サイラスの声は冷ややかなようで、隠しきれない激情がその底でたぎっていた。

「だが、グエナヴィア様は誰にも指一本触れさせなかった。王宮の暗部にあって蔑まれる女王の位にありながら、誰よりも高潔なひとだった! 俺はそんな陛下を誰よりも深く愛していた。俺だけの女王、俺の女王。だからこそ――俺は、お前を憎みながらも見捨てることができない」

「……私が、先代陛下の娘だからですか?」

「……違う」

 何が言いたいのだろう。困惑しつつも、エリファレットはサイラスの勢いが緩んだ隙に、勢いよく目の前の顔に頭突きをした。

 端正な顔が痛みに歪むのを横目に、寝台から降りてサイラスから距離を取る。

「理由はよくわかりませんが。アケイシャの紳士とあろうものが、過去の思い人の影を追い求めて、年端のいかない少女を強姦するのはどうかと」

「……何もするつもりはない。脅かそうとしただけだ」

 ジロリと睨みつければ、サイラスは反省する様子もなく、「女王血統の性質を、お前も知っておくべきだ」と返しただけだった。

「口頭でお伝えしていただければ十分です」

「口の減らない娘だな」

 サイラスは忌々しそうに舌打ちすると、ふと思い出したように、「お前、ジェイシンスに金は持たされてるんだろうな?」と問いかけた。

「……無心するつもりですか?」

「お前、宮廷魔術師の給料を知らんのか? ――俺がそんなことをする訳がないだろう。薔薇鉄冠の儀に参加する前に、必要な小道具を揃えないといけない。まずは――」

 薄汚れたエリファレットの頭から足の爪先までジロリと観察し。

 「ドレスだな」と、サイラスが言った。

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