門の島より帰還せし者 Ⅱ

「カァーッ、さすがおチート様は違うな、サイラス・エアンフレド! ひとりで四文字配列の生物を呼び出せるなんて、お前ぐらいだろうよ!」

 サイラスの足もとを中心として出現した土塊は、瀝青れきせいに似た粘ついた黒色を蠢かせては、次第にヒトの形を取ってゆく。

 地響きに似た咆吼を上げるそれの手を躱し、エグランタインは唾を吐いた。

(……どうして、あんなものを――)

 魔術を発動させるために必要な工数は、召喚対象の遺伝情報の量――これは必ずしも対象の物理的な大きさに比例しない――をなるべく少ないものを選ぶことで削減する。当然、召喚する対象の数は少ないほうがいい。

 攻撃特性をもつ種の遺伝情報は、一般的に、それが優れた『駒』であるほど多くなる。薔薇蔦は動くものを無意識に追いかける特性を利用したものだが、泥塊はより正確に、自律思考を持ってエグランタインに襲いかかっているようだ。

 サイラスが顕現させた種は、おそらくは『門の島』における上位種。遺伝情報は、桁違いに多い。たとえば戦場で、複数人の宮廷魔術師が数日かけて準備する類の――

 後方に飛び退いたエグランタインが、「仕切り直しだな」と叫んだ。

 ガス灯の明かりを浴び、苛立ったように短い髪を掻きむしる。

「悪いが、今日は撤退だ。俺も真正面から先祖がえりに挑むほど馬鹿じゃねえんでね。策を練って出直すさ」

「だったら、帰ってナサニエルに伝えるといい」

 エグランタインに向かって、サイラスが何事かを囁く。

 『先祖がえり』という単語が、頭の隅に引っかかる。どこかで聞いた覚えがあったが――思い出せないまま、エリファレットの意識は限界を迎えた。


 ふわふわと、温かい水のなかを漂う感覚。

 透明な水面みなものむこうに、誰かの顔が滲んで見える。 

 ――美しい顔ね。門の島に去ったという古代種も、みなお前のように美しかったのかしら……。

 頭の奥で、鈴を転がすような娘の声が響いた。自分の声と聴き間違えるほどに似て、けれども普段の自分よりもずっと弾んだ調子の――


 エリファレットが目を覚ましたとき、至近距離にはサイラスの顔があった。

 その血の滴るような柘榴石ガーネットに瞳に、苦悶に歪む娘の表情かおが映り込む。

「……っ」

 劫火ごうかに焼かれた、と錯覚する。

 右足を起点として、けるような熱が少女の肉体を席巻する。

 とっさに、体の下に敷かれたシーツを掴んだ。歯を食いしばって、悲鳴をこらえた。

 ブラウスの袖に隠された右腕で、赤い光が狂ったように明滅する。

 右足の傷口が白い湯気を立のぼらせ、液状に溶け、突沸する。薄い表皮が貼り、徐々に肉が盛り上がりはじめる。

「っ、ん……あ……ううっ……!」

 予想以上の痛みだった。

 横たえられていた寝台の上で半狂乱になってのたうち回り、何か掴むものを求めてさまよう手が、温かいものに触れる。

 無意識のうちにそれにしがみつき、衣服の硬い生地に爪を立て、それでも我慢がきかずに、獣のように目の前の肩に噛みついた。そうでもしないと、痛みで気が狂ってしまいそうだった。

「気をしっかり持て。今に消える痛みだ」

 耳朶を打った声は、不思議と落ち着いたものだった。

「ちゃんと息を吸って吐くんだ。所詮はまやかしの苦痛なのだから、正気さえ保てれば問題ない」

 エリファレットは硬く引き結んだ唇をこじあけ、浅く息をした。何とか呼吸を整えながら、痛みを逃がそうとした。

(何だかずいぶん、手馴れているような――)

 “前にもこんなことが?” エリファレットを襲った強い既視感は、またたく間に朦朧とする意識に引きずり込まれ、消えてしまった。

 右足の治癒が終わったのは、暫く経ってのことだった。痛みの波が引いて、ぐったりと寝台に横たわったエリファレットは、ようやく自分が見知らぬ部屋にいることに気付く。

「……ここは?」

「首都にある俺の家だ。お前が寝ていたのは数刻ほど」

 エグランタインとの邂逅後、サイラスがこの場所まで連れてきたと話した。

 伽藍がらんとした室内は物が少なく、殺風景だ。隅に一つしかない寝台を陣取ったエリファレットの前で、持参した椅子にサイラスが腰かける。

 そして、おもむろにエリファレットの右足首を掴んだ。

「――急に女子の足を触るなんて、紳士のする行為じゃないと思いますが」

「診察目的だ、他意はない。なるほど、綺麗に治っている。女王家系の遺伝病は、体の末端部から徐々に溶けていくものだ。破壊された部分が蘇ることはない……つまり、お前のように怪我した部分が勝手に再生するような働きはないはずだが」

 つるりとした脛の表面を指先で撫でられ、エリファレットはびくりと肩を揺らす。

 サイラスは気にした様子もなく、「十中八九、魔術配列の影響だろうが、詳しいことは調べないと分からないな」そう結論づけた。

「ジェイシンスはこのことについて?」

「……昔、私が荷馬車にかれて、右手の小指が千切れたことがあって……学園長先生は大事な用事で出かけるはずだったのに、引き返してきて、手当てをしてくれました。そのとき、こんなふうに……。先生は秘密だよと仰っていました」

 右手を見せて喋りながら、エリファレットはふと我に返る。

 あわてて懐を漁るが、ジェイシンスから託された封筒はない。どこかで取り落としたのかもしれない、と思って冷や汗をかいた矢先、例の紹介状を突きつけられた。

「あ」

「何でこんなものを持っている?」

「……学園に、近衛の人がやってきて、私を捕まえようとしました。先生は私を逃がそうとして、彼らに立ち向かいました。その際に、私に封筒を渡して……それから、先生がどうなったのか……」

「近衛? ――なるほど、ナサニエルか」

 サイラスは苦虫を噛み潰したような顔をしてうなずき、

「ジェイシンスはヘラヘラした男だが、ああ見えて宮廷魔術師の次席だった男だ。グエナヴィア様の覚えめでたく、用意周到で計算高い。勝てない喧嘩は買わない奴だ」

 暗に心配ないだろう、と言いたいようだ。エリファレットは無言でうなずき、俯いた。サイラスはそう言ったが、ジェイシンスが怪我をしていないか心配だ。

 不意に、正面から大仰な溜息が聞こえる。

 サイラスが立ち上がり、「まったく不愉快だ」と呟く。

「なぜ失敗作が生き延びてしまったのか……」

 頭をガシガシとき、サイラスは仁王立ちになる。

「……十七年前、俺は女王家系につきまとう遺伝病を克服するため、継承者の資格――《アケイシャ》を持つ胚を作った。結果として、遺伝病を排除した完璧な胚が生まれた。お前はその試作段階で生まれた失敗作だ。魔術配列に異常な遺伝子と正常な遺伝子が混在したいわゆるモザイク状の胚だ。育った場合でも、何かしらの変異をきたしている可能性があり、生存させるべきではなかった」

 「これから生まれてくる子供に、リスクは背負わせられなかった」淡々と続け、サイラスは片目をすがめる。

「……お前は陛下によく似ている。皮肉なほど」

 感情を押し殺した声で、サイラスは囁いた。

「正直な話、俺はエグランタイン完璧な胚が女王に相応しいと思っているが……一方で、エリファレット失敗作を見捨てることのできない重大な理由がある」

「……理由?」

 エリファレットはエグランタインと対峙したときのことを回想した。時計塔の頂上から見えたのは、特徴的な黒衣をはためかせるサイラスの姿だったのだ。

 飛び降りたのは一か八かの勝負だったが――実際に助けてくれたのはその「理由」によるものだったらしい。

「お前に許された選択肢はふたつ」

 エリファレットの疑問を解くことはなく、サイラスは正面に指を二本突き出した。

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