第2話 門の島より帰還せし者

門の島より帰還せし者 Ⅰ

 

第二話 門の島より帰還せし者


 うたた寝をしてしまったらしい、とエリファレットが気付いたのは、異音とともに周囲が激しく揺れ、汽車が急停車した瞬間だった。

 狭いコンパートメントが並ぶ三等車の車両は、閑散とし、エリファレット以外の人気はない。次の下車駅が首都中央駅のはずで、降り過ごすわけにはいかないと遮光カーテンの隙間から外の様子をうかがった。

 日の落ちかけた田園風景は、居眠りする前とほとんど変わっていない。大方、線路に動物でも迷い込んだのだろう。そう推測したエリファレットは、硬い座席に座り直すと、知らず強張った体から力を抜いた。

(――学園長先生は、今頃どうなってしまったのだろう)

 ずっと握りしめてくしゃくしゃになった封筒を、そっと膝の上に置いた。

 学園長に手渡されたもので、中には首都行きの汽車の切符と金銭、そして一枚の紹介状が収められていた。

 エリファレットの後見人となることを要請する内容で、宛名はサイラス・エアンフレド。何故あの男の名前があるのか理解に苦しんだが、学園長が指示したからには意図があってのことだろう。

(先生とサイラス・エアンフレドは昔からの知り合いのようだし……)

 ジェイシンスは元宮廷魔術師だから、その縁であろうとは推測できる。同時に、サイラスはエリファレットを預けるに足りる相手らしいことも。

(学園長はこのことを予想して、事前に準備をしていた)

 これから、自分はどうなってしまうのか。そして学園長の安否は? 考えても不安が募る一方で、エリファレットは一度深呼吸をした。思考を切り替えようとしたところで、頭を過ぎったのは先ほどの夢だ。

 夢の中の自分は、今にも火刑に処されそうな少年を助けていた。当然そんな過去はないが、ただの夢にしては鮮明で、リアリティがあった。前女王の時代に急速に推し進められた鉄道網の整備によって食糧の大量・長距離輸送が可能になると、ここ十年近くは深刻な飢饉が国内で発生したという話もない。

(そういえば、生体干渉魔術で農作物の品種改良が進んで、最近だと昔ほどの不作もなくなったと授業で聞いたことがある……)

 アケイシャの四季は一年を通してもっとも冬が長く過酷で、加えて天候不順に悩まされやすい特徴がある。しばしば冷害や旱魃によって穀物は不作になり、北部の泥炭地帯では、近年ライ麦を発生源とする麦角中毒で大量の死者が出た。それをきっかけに、前女王の時代に宮廷魔術師を中心とした農業改革が進められたという話は授業でも聞いたが、その飢饉も二十年以上昔の話だ。エリファレットはまだ生まれてもいない。

 やはり夢は夢に過ぎないか、そう考えたところで、背後で連絡通路の扉が開かれる音が聞こえた。人気のない車両に、その音はいやに大きく響く。

 遅れて、カツカツと甲高く鳴る靴の音。車掌という雰囲気でもなく、単純に誰かが車両を移動しようとしているようだ。エリファレットは肩を強張らせ、他人が何事もなく自分の横を通り過ぎることを祈る。

 すると、足音は途中で途絶えた。

 おそるおそる顔を上げ、真横に人影がないことを確かめる。

 ほっとしたのも束の間――

「――大当たり」

 ガラガラに枯れた、低い女の声が鼓膜を打った。

 弾かれたように背後を振り返れば、声からは想像もつかない、上背の高い美しい娘が視界に入った。悠然と通用路の中央にたたずむ彼女は、白金色の短髪、すみれ色の瞳をしている。どこか冷酷な印象を与えるが、自分とよく似た顔立ちだった。

 エリファレットが驚きに息を飲んだ瞬間、列車が運転を再開した。

 小刻みに揺れる車両のなか、娘と視線が交錯すると、不意に背筋が凍る。

 獲物を執拗につけねらう、猛毒の蛇を想起させる冷たいまなざしが、エリファレットを真正面からとらえる。 

 頭の中で、警鐘が鳴った。

「あんたが〝エリファレット〟か。一度会ってみたかったんだ。ナサニエルの目を欺いて、ここまでやってきた甲斐があったなあ」

「よく似ている」――自分と同じ感想を呟いた女を前に、エリファレットは無言で立ち上がる。

 逃げなければ。

 そうでなければ――殺される。

 確信があったのは、ナサニエルと呼ばれた男に対し、ジェイシンスが不穏なことを口走っていたからだ。曰く――自分を殺すつもりだと。

 女王になれるのは一人だけ。ゆえに候補者は二人もいらない。

 ならば、本来の継承者であるはずのエグランタイン側の勢力が、突然生存が明らかにされたもうひとつの芽を潰そうというのも道理だろう。

 きっとそれは、早ければ早いほどいい。彼女の正体は分からないが、自分の名前を知っているということは、ナサニエルの関係者には違いない。

 連絡通路の扉を開け放ち、隣の車両に駆け込む。人気のない食堂車には、皺ひとつない白いクロスが敷かれたテーブルが整然と並んでいた。その細い通路を走り抜けようとしたところで、背後からブラウスの襟を引っ張られた。

「どこに逃げるんだい? お嬢ちゃん。お互い記憶にはないが、話を聞くところによるとひさびさの再会なんだ。もっと喜びを分かち合おうぜ?」

 床に引きずり倒された拍子に、エリファレットは咄嗟にテーブルクロスを掴んだ。喧しい音を立てながら、ガラス製の水差しが目の前で砕け散る。

 おもむろに自分の髪を掴んだ娘を、エリファレットは振り返って、睨みつけた。

「だれ、ですか……。あなたは……」

「この俺様をまさか知らない? 似たような顔をしてるんだ、確信がないだけだろう? 俺こそが『完璧な胚』――俺の名前は――」

 硝子の破片を掴んだ腕を振りかぶる。彼女が掴んだ髪の一房を切り落とし、一瞬の自由を得たエリファレットは弾かれたように身を起こした。

 テーブルの足を掴んで、天板がある方を彼女にむけてひっくり返すと、エリファレットは無言で後ずさり、牽制する。

「――〝エグランタイン〟!」

 ネズミを弄ぶ猫のようにニヤニヤとその様子を見守りながら、女は名乗った。

 ジェイシンスの話にも出てきた、女王の継承者の名前だった。

 長い脚でテーブルを乗り越え、逃げ去ろうとするエリファレットの腕を掴もうとしたエグランタインは、不意に舌打ちを漏らす。

 車両が揺れ、汽笛が甲高く鳴る。列車が中央駅のプラットフォームに入り、まもなく停車しようという頃合だった。エグランタインが見せた一瞬の隙を見逃さず、エリファレットは背後にあった車窓のひとつに駆け寄り、それを両手で押し上げた。

 遮光カーテンが揺れ、外から陽の残照が溢れ出す。

 外には、荷鞄を手に、汽車を待つ人々の姿があった。エリファレットは一瞬のうちに狙いを定めると、外に向かって飛び降りた。


 はじめて訪れた首都は、どこか懐かしい匂いに満ちている。

 着の身着のまま、人波をかき分けてプラットフォームを抜け、駅舎の外に出ると、不意に目に飛び込んだ光に視界が眩む。

 駅前広場の中央には、強い西日を照り返す、ひとつの銅像があった。

 女王の銅像だった。右手に鉄の冠を掲げ、太陽の方角を見つめている――

 一瞬、何もかも忘れてその横顔を見つめる。しかしすぐに状況を思い出すと、エリファレットは走ることを再開した。

 エグランタインが、自分を追っている。

(でも、どこに逃げたらいい?)

 街中では、あちこちで黒い弔旗がはためいている。女王の三周忌だからだ。

 エリファレットはがむしゃらに走りながら、冷静に状況を分析しようとしていた。エグランタインが自分をつけ狙うというならば、どこかでこの状況を打開しないといけない。

 そう思った瞬間、頭上で巨大な組み鐘カリヨンの音が響いた。

 見上げた先に、機械仕掛けの巨大な時計塔があった。


 ◇ ◇ ◇


 見上げた空は暗く、雨雲が月を覆い隠そうしていた。

 視界の端で、黒い弔旗がはためいた――かと思えば、それは自分を抱きとめた男のまとう外套の色だった。闇に溶けるように設計された、魔術師の黒衣だ。

「懐かしい魔術痕跡につられて出てきてみれば。……失敗作が、何をしている」

 耳朶を打ったのは苛立った男の声。宙から落下した娘を片腕でサイラスは、舌打ちとともに、正面を睨みつけた。

 その先に立つエグランタインは、薄らと笑い、「へえ」と呟いた。

「気が変わったのか? サイラス・エアンフレド」

 サイラスは答えず、無言で右手を差し出した。褐色の肌に、漆黒の光が走る。

 間もなく彼を取り巻いたのは、文字列によって構成される無数の輪。

 彼の詠唱が一般的な詠唱と異なると分かったのは、『音』が違うからだった。サイラスの唇から漏れ出るのは、呪詛に似た低い音の連なり。

 同じ言語で喋っているはずなのに、聞き取れない。人の耳では拾うことのできないそれは、古代種が用いる四種の文字スペルによって構成される音域だった。

 石畳の地面から、大量の泥が這い出る。そしてそれが、容赦なくエグランタインに襲い掛かった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る