《FRAGMENT》女王の記憶


◇◇◇ FRAGMENT《女王の記憶》 ◇◇◇


 薪のぜる音。天を覆う黒煙、空から雪のように降りしきる熱い煤と灰。

 アケイシャ北部――不毛な泥炭地帯の中腹に位置する寒村で焚かれた炎は、祝祭の日でもないというのに、一種異様な熱狂を場にもたらしていた。

 暗い火の影を踏み、群集を前にひとりたたずんだ娘だけが、めた目で彼らを見つめている。美しい少女だが、白金色の髪は熱風に焦げ、ばら色の頬には煤で薄汚れている。しかし揺らぐことのない闘志、爛々と輝くすみれ色の眸は、彼女が選ばれた側の人間であることを如実に物語っている。

「――これは、わたくしが貰う」

 彼女の背後――炎の前には、いまにも火刑に処されようとしている少年がいる。

「代わりに伯爵家の魔術師を派遣させ、この不毛の土地でも育つような穀物の苗と種を選定させる。また、国庫を開かせ、食糧を供給するよう貴族院に提言を行う。異論は許さない。わたくしはアケイシャの女王となるべき存在。だれもわたくしを妨げることはできない」

 振り返り、地に臥した少年を見下ろす。側近に指示をし、彼を拘束する麻縄を切る。おそるおそる少女を見上げた両眼は鮮血のような赤、肌は黒褐色。

 一目見て、「先祖がえり」であると知れる容姿だ。

 先祖がえりは不吉な存在だ。太古にこの地を去った古代種の特徴を備えている。

 そしてこの寒村は、今年に入って主要作物が疫病により枯死し、厳しい食糧難に陥った。本来であれば状況が悪化する前に農耕分野を専門とする宮廷魔術師が派遣され、事態の解決に当たるはずだが、施政権を委任された貴族院は腐敗が進み、アケイシャを支える農耕民を下に見て援助しようとしない。その結果、飢饉が発生した。口減らしと積もりに積もった鬱憤を晴らすことを兼ね、先祖がえりを起こした少年を人柱として火刑に処そうとしたのが大方の顛末であろう、と少女は推測する。

(――変えなければ)

 正気を失い、寝たきりとなった現女王――彼女の母は、貴族院に提言をする能力さえない。もとから日和見な性格の彼女には、傀儡としての地位に満足し、社会を見澄まし変えようという発想はなかったようだが。

(魔術は貴族の利権のために存在するのではない。この社会を根底から変えるだけの力がある――)


 首都へ戻る馬車に、少女はそのみすぼらしい少年を同乗させた。

 向かいの席でずっと項垂れたままの少年に対し、「顔を上げなさい」と命じる。

「お前の顔を、わたくしに見せて」

 少年は嫌がるそぶりを見せたが、やがてゆっくりと顔を上げた。その長い前髪を指先でかきあげ、特徴的な赤い瞳を覗きこむ。そしてほうと感嘆のため息をこぼした。

「美しい顔ね。門の島に去ったという古代種も、みなお前のように美しかったのかしら」

 先祖がえりを実際に見かけたのは、彼がはじめてだった。

 先祖がえりが生まれる可能性はごく僅かで、アケイシャの歴史を紐解いてもこの二百年間は公的な記録にも存在しない。民間伝承では不吉な存在とされるが、本当に古代種の特徴を受け継いでいるならば、特異な魔術配列を有しているはずだ。魔術師として教育するにはこれ以上ない逸材である。

「……あの」

 魔術によって国を変えるという大きな野望を抱く彼女にとって、強力であり、何よりも忠実な魔術師は、喉から手が出るほど欲しい存在だった。たまの視察で良いものをみつけた、と上機嫌な彼女に対し、少年はか細い声で問いかける。

「どうして俺は、このような姿で生まれてきてしまったのでしょう」

 少年の言葉に、彼女は迷うことなく不敵な笑みを浮かべてみせた。

「わたくしのため。わたくしを死の淵から救うためよ」

 生まれてきたこと自体に意味などない。生まれた場所と環境で何もかも変わってしまうのだから――そう言いたいのをぐっとこらえ、さも確信があるかのように、少年の両手をしっかりと握ると、少女は語りかける。誰よりも自分を優先できる――自分のために命を賭せるほど忠実な僕を作り上げるその第一歩として。

「あなたが生まれてきた意味はわたくしのためにある。わたくしがあなたの女王になるの」

「じょう、おう」

 鸚鵡が人の言葉を真似るように、少年は言葉の意味をよく理解しなかった。

 しかし何度も繰り返しているうちに、次第に、その声に熱がこもりはじめる。

「あなたが、俺の、女王……」

 柘榴石ガーネットの瞳を細めて、彼は囁きを落とすと、それきり黙り込んだ。目を閉じ、ゆっくりと息を吸う様は、その言葉を大事に噛みしめているようにも見えた。


 そしてその瞬間、彼女と、彼女を取り巻く者たちにとって――途方もない道のりがはじまった。


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