ガーデニア Ⅲ

「――おい」

 笑い転げ、しまいには咳き込みはじめたジェイシンスを、サイラスは不快感を露わにして睨みつけた。

「ごめん、ごめん。そういえば、君はすっかり死んだことになっていたね、サイラスくん。実に十七年ぶりの娑婆しゃばというわけ」

 降参するように両手を掲げ、ジェイシンスはその場を立ち上がった。

 腰かけていた長椅子の背後に回り、彼が鼻歌まじりに覗き込んだのは、ひとつの水槽だった。

 砂と岩、そして海水を再現した液体に満たされた水槽のなかには、こぶし大の軟体動物が数匹。アメフラシだ。ここで飼育されているのは間違いないが、彼の愛玩動物ペットではない。宮廷魔術師出身で、研究者気質の強いジェイシンスが学園長室にまで持ち込んだ実験動物のひとつである。

「どこから話すべきかな。ええと……結論からいうと、エリファレット、君は女王の相続人のひとりなんだよ」

 「継承者の資格を有する、といってもいいかな」沈黙するアメフラシを眺めながら、他愛のない世間話でもするように、ジェイシンスは言い放つ。

「……女王?」

 突拍子のない話に、エリファレットは鸚鵡返しするだけだった。

「たしかに、三年前に女王陛下が崩御されて以来、今のアケイシャは統治者が不在です。でも、お世継ぎの方がいらっしゃいますよね。その方が、明日、先代陛下の三周忌で正式に後継者として認められると聞きましたが……もちろん、私はその方ではないですよね……?」

 「あたりまえだ。失敗作と俺の最高傑作を一緒にするな」――後ろから棘のある声が聞こえたが、ひとまず無視する。

 神聖王国アケイシャは、女王を頂点に戴く中央集権国家だが、その統治体制は諸外国と比較しても独自性が強い。まず、建国以来、最高権力者として地位を得たのは女だけ。女王がこの国の頂点であり、それが崩れたことはただの一度もない。

 また、女王を輩出する外戚が事実上存在しない。伝統的に、継承者の資格を有する世継ぎは、女王に指名された世襲貴族の家で扶育される。

 そして特筆すべきは、歴代の女王が総じて短命であることだ。前女王が崩御したのは御年三十四。かなりの「長寿」で、歴史を詳らかに紐解いてみたところで、三十五歳を超えて生きた女王は皆無。しかし、不思議とその血統が絶えたことはなかった。

 女王の血統を継ぐ者は相続人と呼ばれ、十六歳で正式に継承者と認められる儀式を行う。即位は最短で十八歳。役割は世継ぎを産むことに限られ、施政権は持てない。例外はあるが、世襲貴族の出身者で構成される貴族院が、女王から施政権を委任される形で国政を運営して出来上がったのがこの国だ。

「正式な後継者……エグランタイン様のことだね。アケイシャの女王は伝統的に外戚と呼ばれる家門を持たないから、今は一時的にアエルフリク侯爵家の当主ナサニエルの預かりになっている。ちなみに、エグランタイン様はエリファレットと同い年だよ」

 ジェイシンスが指先でアメフラシをつつけば、透明な海水に暗雲がたちこめるように紫色のもやが広がる。

(……アメフラシの防御反応を訓練しているとかどうとか……)

 何故そんなことをしているのか、聞けばしつこいくらい詳しく教えてくれるだろうが、今はそのタイミングではないだろう。

「どうして女王が短命なのか、エリファレットは知っている?」

「いいえ。いろんな噂とか、憶測みたいなものは聞きますが」

「女王、あるいは女王となる資格を有する者は、かならず決まった魔術配列を持つんだ。国名と同じ――《アケイシャ》と呼ばれる組み合わせで、言い換えれば女王血統の者しかもたない配列でもある。そして魔術配列は他の遺伝情報とは異なり、母親からのみ遺伝するね」

 エリファレットはうなずく。授業でも聞いた話だ。

「魔術配列は四種あるうち二種の文字スペルによって構成され、いくつかの類型に分類される。それによって、魔術の才能の有無が決まってしまう。この類型のひとつが、《アケイシャ》だ。ふしぎなことに、《アケイシャ》を持つ男児はけっして生まれず、妊娠したとしてもかならず流れてしまう。ゆえに、この国の統治者は女王だけなんだ」

「だから〝女〟王しか存在しないんですね」

「そう。そして厄介なのが……女王血統に伴性遺伝するものに、致死性の遺伝病があってね」

 「遺伝病?」エリファレットはどきりとした。

「この遺伝病をもつ者は、徐々に体が溶け、だいたい三十歳くらいしか生きられない。それを克服するための研究が、アケイシャでは長年続けられてきて……その一環で生まれたのが生体干渉魔術なんだ」

 自分の身で起きていることと、まったく同じだ。まさか揶揄われているのだろうか、と思い目線を向けた先で、ジェイシンスは眼鏡の奥にある目を細めた。「人の肉体を思いのままに改変する技術でもある」と小声でつけ加える姿は、真剣そのものだ。

「……俺は、女王陛下の遺伝病を克服するための研究にのめりこみ、生体干渉魔術を完成させた。そして、完璧な胚を作り出した。致死性の遺伝病を排除した、《アケイシャ》の魔術配列を持つ胚を。俺はそれをエグランタインと名付けた」

「で、エグランタインとして成功するまでの試作品がたくさんあって――そのうちのひとつが、サイラスくんの予期しないところで育っちゃったんだ。それが君ってわけだよ、エリファレット」

 たっぷりと間を置き、思い出したように、「はあ」とエリファレットは相槌を打った。

「サイラスは、先代陛下の王命で十七年間国外で過ごしていたんだ。帰ってきたのが数日前。エグランタインが無事に育ってほっとしたのも束の間、何と破棄したと思った失敗作――気を悪くしないでね、これはサイラスくんにとって――も育ってると聞いて、いてもたってもいられずここまで駆け付けたわけ」

「……なるほど」

 釈然としない顔で、エリファレットはうなずいた。粗方事情は説明しきったらしいが、正直理解が追いついていない。

(私が、女王の相続人……ということ?)

 寝耳に水だ。確かに父母は不明だったが、まさかいきなり女王の娘だと言われても信じづらい。かと言って、大の男が二人がかりで自分を騙そうというのも変な話だ。

「つまり、話をまとめると、私は《アケイシャ》とかいう魔術配列を持っているので、女王の継承者になる資格があるということですよね。ええと……でも私は継承権に興味はないので、あまり関係はないですよね?」

 自分の遺伝病の出所がまさか『女王』とは思わなかったですが、とつけ加える。

「権力闘争とか、そういう難しい話とは無縁だった私には無理だと思います。サイラスさんも、私に文句を言ってすっきりしましたよね? このままお帰りいただいて結構ですから」

「……何だこの女は」

「立派に育ったよねえ」

 うんうんとうなずいて、ジェイシンスは微笑んだ。

 そんな彼を横目に立ち上がり、サイラスがエリファレットを見下ろす。血のような柘榴石ガーネットの瞳に居抜かれ、エリファレットは首を傾げた。

「――話はそう単純じゃない」

 端正な顔立ちだ。しかし違和感がある。彼が宮廷を去ったのは、二十代前半の頃だと聞く。それから十七年経過しているとなると、ジェイシンスより少し上くらいの年齢になるはずだが――

 彼の見た目は、時が停まったかのように若いままだ。

「……ええと」

「女王の継承者の資格があるということは、すなわち、そこに権力関係が発生する。相続人が複数いるという状況は危険だ。本人の意思を除外してでも内乱に発展させようという悪どい輩はかならず存在する。それに――」

 サイラスは溜息をつき、「お前は遺伝病によっていずれ死ぬ」と囁いた。

「その……わたし、魔術配列に損傷があって……そのおかげで、体が溶けずに済んでいるんです」

「何を言っている? 女王の遺伝病は、細胞が自死するもの。たとえ魔術配列の影響を加味したところで、容れ物は所詮人間のままだ。人間の細胞が分裂できる回数には限りがあるからこそ、お前も若くして死ぬことには変わりがない」

 言葉を失ったエリファレットは、不意に強い力で腕を握られる。

 骨が折れそうなほど、その指先にもった力は強い。

「――エリファレットは、生まれてくるべきではなかった」

 赤い瞳を細め、サイラスが囁いた。

(……どうして、こんなことを言われなくてはいけないのだろう)

 政争の種? いずれ死ぬ運命? ただ生まれてきて、何も知らず過ごしていただけなのに、何故こうも容赦のない言葉を浴びせられなければいけないのか。

エリファレットの頭のなかで、ぷつんと糸が切れた。

「……離してくださいっ!」

 腕を掴む手は、容易に離れた。エリファレットはサイラスの顔を睨みつけると、「失礼だ、あなたは」と敬語も忘れて吐き捨てた。

 そして居てもたってもいられず、その場を駆けだした。

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