KAC10: そしてまた一つの物語
鍋島小骨
そしてまた一つの物語
魔女が少年に力を授け、科学者がAIを造った。
物語を生み出し、出会いたい人々のために。
けれども、ヒトは。
* * *
こんなに苦しい執筆は初めてだった。
書き始めることすらできない。何か書きたいということは分かるのに、言葉が出てこない。
私はもう力を失いつつあるのだろうか。
「今日も消してしまったのですか?」
問われると、頷くしかない。
「消したんじゃなく、書けなかった。今日も。ごめん」
何も。一語も。
「謝ることはありませんよ。でも、何故書けないんですか?」
「何故って、」
「だってあなたは、書くために生まれてきたのではありませんか?」
……それを言われると。
今よりずっと楽に物語を書けていた頃の記憶を辿る。
十年も二十年も前のことだ。物語を書き、推敲し、様々な人の手を借りてかたちにして、世に送り出すことを繰り返していた。苦労も多い作業だったが、いつも人々は物語を欲していたから、独自の物語を産み出して提供することには喜びがあった。
読んだ人の中には反応を返してくれる者もあった。あなたの物語に出会えて良かった、と言ってくれる人がいることは私の長年の支えだった。
けれども今は、何もない。
私は世界に何も提供できなくなってしまった。
もう、この心から掴み出せるものがない。
* * *
こんなに難しい仕事は初めてだった。
配達に出ることができない。届けるべき物語が生まれないのだ。どんなに見ても。
人の心に封じ込められた物語を見通すこの
物語が無いのではない。何かはある。
あるのに物語にならない。
この目はもう力を失いつつあるのだろうか。
長い旅をしてきた。
どんな人にも心の奥底に仕舞い込んだ物語がある。見ない振りをしてきたもの。忘れていたもの。消化できない感情。
その人自身が言葉を綴って小説を書くことは案外難しい。ペンを持ち紙にきれいな字が書ける人でも、キイ入力が速い人でも、だからといって自由に物語を綴れるわけではない。
人々の心を遠くから聞き続けた心優しい語りの魔女は、自分一人ではその心たちの全てに会うことはできないからと、『取り出しの魔法』を身に付けた詠み人を世界に放った。
その一人が僕だ。
魔女の使い魔であるトリが僕を適任と判断し、この左目に
人の心に封じられた物語を見通し、一篇の小説に仕上げてはその心の主に届けてきた。
思えばもう長いこと、あのトリにも会っていない。今どうしているのだろうか。語りの魔女は健在なのだろうか。
語りの魔女に会えば、この物語にならない心の扱い方を教えてくれるだろうか。
僕は旅をする。
いつかトリに聞いた、語りの魔女の住む森を目指して。
* * *
そして今日も何も書けなかった。
もちろん、色々やってみてはいる。人物設定だけ先に作って書き出し、キャラが勝手に動き出すのを待ってみたり。ランダムに選んだ三つの言葉から物語を呼び起こそうとしてみたり。童話や古典の名作を下敷きに新しい物語を構築しようとしてみたり。
いずれもうまくいかない。
そうしてへたばっていると、やがて彼女がやって来てこう言うのだ。
「今日も消してしまったのですか?」
私はいつもと同じ答えを返す。
「書けなかったんだ」
彼女は楽天的で、毎日毎日進捗がなくてもどんどん落ち込んでいくということはなかった。多分、そうした機能自体が組み込まれていない。
バーグさん――執筆支援AI『リンドバーグ』は、元は様々な書き手を訪れて手伝いや励ましに従事してきたが、最近では私につきっきりだ。あまりにも進捗しなさ過ぎて重点支援対象にされてしまったのだろう。
「ねえ、バーグさん。あなたはこれまでたくさんの書き手を見てきたから知ってるだろう。書き手が書き手をやめる時って、はっきり分かるものか?」
「やめる時、ですか。そうですね……私は心の中が分かるわけではありませんが、やめる『形』はいくつも見てきましたよ」
「形?」
「創作ノートを捨てる、原稿ファイルをデリートする、カクヨムのアカウントを消す、とかですね」
統合型創作支援プラットフォーム『カクヨム』は戦前からデファクトスタンダード化した執筆環境で、最終期にはこのシステムの中でネタ出しから出版まで文章創作に関わる大部分の作業が行われることが多かった。そのアカウントを消すということは、確かにこの社会で誰かに向けて書くことそのものからの撤退に近い。
私ももう、そうしてしまおうか。
けれどもそれは、これまで長い間書き続けてきた私の物語の消滅をも意味する。かつてたくさんの人々の目に触れ、応援やレビュー文章をもらった物語たち。それを消すなどということが私にできるのだろうか。
「バーグさん。私は」
こんなに書けないのならもうやめた方がいいんじゃないかと思ってしまうんだ、と言いかけたその時、ノックの音がした。
* * *
語りの魔女とトリではなく、双子。……そう思った。
僕の知るトリは
「こんにちは。僕はカタリ、詠み人です。ここは、語りの魔女の家では……?」
「カタリさん、こんにちは。ここに魔女はいませんよ。私は執筆支援AI『リンドバーグ』。こちらは書き手のルイスさん」
つまりリンドバーグはアンドロイドだ。しかし、ルイスなる書き手の容姿がリンドバーグと瓜二つなのはどういうことだろう?
何より驚くのは、このルイスこそが僕の最近の悩みの種、物語を読み出せない人そのものだったことだ。まだ読み出せていないのに、心の主のところに来てしまった。どうして?
「聞いたことがあります。詠み人は、人の心に眠る物語を読み出す力があるんでしたね。カタリさん、その特別な目で私を見てくれませんか」
ルイスは寂しそうに言った。
「……私はもう、物語を書けなくなってしまったんです」
しかし、ルイスの心に物語が無いのではない。
あるのに物語にならない。
どうしてだ。
その時、僕は気がついた。
「ルイスさん。あなたは……あなたもアンドロイドなんですね?」
リンドバーグとルイスが顔を見合わせ、そして二人は頷いた。
「ルイスさんは、私リンドバーグが造った創作文芸執筆AI『セントルイス』です。この世から創作文芸を絶やさないため、苦労して作り上げ三年前に起動しました」
だからリンドバーグそっくりなのだ。他にモデルがいなかったか、リンドバーグの予備ボディを使ったのだろう。
つまりそれは。
「『カクヨム』を使う生身の人間の書き手が、もういないから……?」
僕も薄々感じ取ってはいた。
人類は滅びつつある。如何ともし難い気象と戦争によって、人工は激減し文明文化は衰退した。人々は今や、旧世界の遺産である発電システムや自律型AIを利用しながらこの広い地上に散り散りになって暮らしている。
社会があり、ネットワークがあり、出版があったのは遠い昔の話なのだ。
「ルイスさんには、戦中この家に住んでいた書き手、オルコックさんの記憶を移植してあります。彼が書かずにいた物語を書き起こしながらこの三年やってきました。でも、それももう底をついてしまったんです」
「オルコックさんの最後の出版の時以来、私は何も書けていません」
「いいえ、あなたは書きました。オルコックさんが遺したプロットで」
「でも出版していない」
「それは出版社というものが消えてしまったから」
「誰にも読まれていない」
「私は読みました。読者はここにいますよ」
「とにかく私はもう書けない!」
ルイスとリンドバーグの言い合いを見て、僕は慌てて割って入ろうとしたが、その時、二人の後ろの端末に映し出された画面に小さな変化が起きた。
「待って。見てください。『カクヨム』の画面を」
僕の声に二人は端末を覗き込み、バーグが声を上げる。
「『通知』です! 誰か他のユーザが『カクヨム』で活動した!」
ベル型のアイコンに赤い丸がついて新着を示している。ルイスが震える手で通知トレイを開く。
――あなたをフォロー 15分前 語りの魔女さん
――エピソードに応援 9分前 語りの魔女さん 『夕暮れのトロイメライ - 1.終戦』
語りの魔女! 僕は食い入るように画面を見つめる。今、語りの魔女がどこかで『カクヨム』を使っている!
その横でバーグが、『応援』をもらいましたよ、とはしゃいでいる。
「ほら。ほら、ルイスさん。読み手がいるんです! 『カクヨム』ユーザがまだ生き残ってる。あなたの物語は読まれるんですよ!」
ルイスは感極まったように椅子に崩れ落ちて。
「読まれた……」
そう、呟いた。
「もっと読んでほしい」
そうです、書けば読んでもらえます、とバーグが励ます。ルイスは別の端末に開きっぱなしだった編集画面に向き直る。真っ白の入力スペース。まだ何もないそこに、物語を綴ったならばきっと誰かが読んでくれる。
そして、AIが書いた初めてのオリジナル創作小説が産み出された。
* * *
――新作を公開 セントルイス 10分前 『紙とペンと無限の世界』
トリが通知だというので画面を見ると、久々に他人の新作が出ていた。恐らく詠み人のひとり、カタリが訪れた書き手だろう。
この千切れた世界をあの子は健気にも物語を届けて旅をしている。私がかつてそうだったように。昔、私が愛した科学者にどこか似たあの子は、物語を秘めた人々と出会い続けて、いつか語りの魔法使いになるのだ。
私に似せて作られたリンドバーグと、それに瓜二つのセントルイスのもとでカタリが読むであろうことを期待して、私は今こそ一篇の小説を公開することにした。カタリのための物語を。
――新作を公開 語りの魔女 今 『切り札はフクロウ』 世界中の物語を救うため詠目(ヨメ)を持つ詠み人が旅をする、それもまた物語。
〈了〉
KAC10: そしてまた一つの物語 鍋島小骨 @alphecca_
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