応えよう

 先ほどとは打って変わり本物の感情に泣き崩れているクレアにカティの心臓は縮み上がった。

 助け舟は来ないものかとトレバーを見ると、彼もカティの無責任さに明らかに引いている。

 そういえば、彼も酔っぱらったカティにベッドに引きずり込まれたクチだった。

 カティはおどおどと謝罪を口にした。

「あ……あの……ごめん……あれほんと冗談でっていうか、覚えてねえんだ」

「カティ!!!」

 トレバーがどうも絆されてしまったらしい。

「ごめんねクレア。僕も酔っぱらったカティにいろいろされてこういうことになっちゃってさ……」

 何か私、すっげぇ悪者みたいになってねえか? とカティは思ったが実際そうだった。

「知らなかったこととはいえ無神経だった。本当にごめん。カティもほら、謝って!」

「酔っぱらってました。すみませんでした」

 クレアの泣き声が大きくなった。

「許さない! 許さないんだから!」

「うん許せないよね。わかるよ。カティさぁ、謝って済む事じゃないでしょお?! 誠意を込めて謝ってよ!」


――何?

――何でクレア側に行っちゃったんだトレバー?

――スクールガールのノリだぞ?!


 何だか置いてけぼりになっているカティをよそに、トレバーは大きな手で小さな痙攣する背中を擦った。

 クレアが弱々しく言う。

「ね……トレバー、カティ譲って……お願いよ」

「本当に気の毒だけど、カティはあげられないよ」

 今度はカティがモノ扱いでソープオペラが進行中だった。

「僕、本当にカティを愛しちゃってるんだ」

「わたしも……愛してるわよ……」

「ごめんね。だけどカティがいないと僕はだめなんだ」

 トレバーまで涙ぐんでいる。カティはとりあえずじわりじわりと移動を開始した。

「どうして……カティはあなたみたいなのを」

「たぶん、僕が惨めったらしくて泣き虫でどうしようもないやつだったから」

 そうだった。

 わたしがカティに抱きしめられて結婚を申し込まれたのも、わたしがつらくてつらくて愚痴りながら泣いてたときだった。

――弱くてどうしようもないひとをみると、ほっておけないのよね…

「……カティは……優しいもんね」

「うん」

「……わたし……まだ……カティを諦められそうにないの」

「無理しなくていいよ」

 背中の手の温かさにクレアは少し、ほんの少しだけこの男に対する見方を改めた。

 そして心の痛みを何とかなだめながら、千々に乱れていた自分の思いをこうまとめた。


 カティもトレバーも、正直許せない。

 こんなに虚仮にされてもカティのことは諦めきれない。

 だけど、トレバーとなら、もう少ししたらお友達にくらいならなれるかもしれない。

 同じひとを愛した勝者と、敗者として。


 クレアは震える喉で深呼吸した。

「トレバー、あなた羨ましいわ」

 この台詞をトレバーに聞かせたのはマーティンに続き二人目だった。


 一方、ここにいるのはまずい、とカティの野性の勘はずっと赤ランプ点灯中だった。

 今夜はジョリーのところへ避難しよう。うん、それがいい。

 っていうか、クリスマス休暇中ずっとジョリーんとこでおさんどんさせてもらおう。

 美しい八割がたの和解の光景を背にこっそりカティはコートを小脇に出ていこうとしたのだが、トレバーが素早く見咎める。

「カティ!! どこ行くの!!」

「あっあの~……私ちょっと会社に忘れ物しちまって……」

「……何を忘れたって?」

 涙目の二人にじっと睨まれ、カティは立ち竦んだ。

「えっと……ほら、あれだ。うんあれだよあれ」

「……逃げようとしてない?」

「……いえ」

「じゃあここに座って。話があります」

「……」

「座って!」

「……」

 立ち尽くしているカティに向かってクレアが涙声で叫んだ。

「座れぇぇぇ!!」

「……はい」

 今度はカティへのお説教タイムが始まった。


 こうして、クレアは豪奢な邸宅へ戻って行き、彼女に踊らされていた日々は終わりを迎えた。

 カティはトレバー不在時の禁酒を言い渡され、いつまで守れるかはわからないが、少なくともこの三日間は守っている。

 サンフアン行きの荷づくりも終わり、二人でささやかながらクリスマスの食卓も囲んだ。

 クリスマスソングが古びたラジオから静かに流れる中、ほとんど全部が交尾体勢に組み合わされてしまっている藁編みの動物たちが飾られたツリーの脇で、トレバーは強張った顔でカティに自分の身に起こってしまったことを告げた。

 カティは特に動じた様子もなかった。

 自分を見捨てないよう懇願するトレバーを、カティは笑って窘めた。

「下半身に振り回されるあんたって、コントみてぇで可笑しいぞ?」

「男には大問題なんだよ」


 その日の夜。大人になっている彼らにはファーザークリスマスはもう来ない。

 ベッドで肌を寄せ合ってはいるがやはり彼は本体・分身共にしょんぼりしていた。

 しかしカティは楽しそうだった。手を添え、柔らかく弾力があるそれをぷるんぷるんと振り回しながらカティは笑う。

「あっははは……できねえトレバーって新鮮」

「新鮮って……」

「もっちぐっされ~もっちぐっされ~」

「やめて」

 下がり眉で悲しい顔をするトレバーの首をカティは抱きかかえ、髪を撫でた。

「よ~しカティ様があんたをおもちゃにしてやる。目ぇ瞑ってろ」

 言われるがままに大きな目を瞑る男をカティはなかなか愛らしく思った。

 カティはトレバーの大きな耳朶を自分の鳩尾に押し当てた。

「なぁトレバー、楽しかったことを思い出せ」

「昔の? 最近の?」

「いつのでもいい。とにかく楽しいことだけ思い出せ」

 頬に乳房の柔らかさ、鼻腔に肌の匂い、耳に心臓の鼓動。

 言われるままに、彼は様々なことを思い出す。

 暖かい風が心臓の周りに巻き起こり、全身へ広がっていくような幸福感に包まれる。

「不思議だ」

 目を閉じたまま、彼は微笑した。

「君と会う前の楽しかったことって、あんまり思い出せない」

「認知症始まってんぞ」

「かもね」

 トレバーは小さく呟いた。

「ずっとこうしていたいな」

「そうか」

「死ぬまで一緒にいてよ」

「そうして欲しいならそうしてやろう」

 尊大に言った後、カティは喉の奥で柔らかく笑った。

 万感の思いを込めて、彼は腕の中の妻を祝福した。

「カティの上に、いつも幸せがありますように」

「トレバーにもな」

 そうやって、彼は微笑んだまま静かに寝息をたてはじめた。

 カティは、重い大きな頭を胸に抱え、腕がだんだん痺れてくるのを感じながらずっと黒い髪を撫でていた。


 彼女はお説教タイムにトレバーが叫ぶように言った言葉を思い出す。


――愛だとか、幸福だとか、そんなものを信じてないくせに変に采配を振るおうとするから君はだめなんだ!

――君を必要とする人間に、自分自身の気持ちで応えなよ!


 そう。それならば気が楽だ。

 この男がそんなに私を必要としているなら――


 だったら、出来うる限り応えよう、と彼女は思った。


 思ったのだが。


 朝、カティは身の奥に何かが侵入してくる痛みで目を覚ました。

「あ、カティおはよう! メリークリスマス!」

「トレバー……痛っ……メ……メリークリスマ……痛えっ!!」

 喜色満面のトレバーが全く自分本位に腰を振っていた。

「……あんまり可愛い寝顔だったからつい」

「できねえんじゃなかったのかよ」

「君の寝顔見てたらねぇ! 何か今ならできそうかな~って」

「い……てぇ……」

 準備段階も何もなく不意打ちを食らっているカティは歯を食いしばって呻いた。

「痛い? ごめんね?」

「う……ううう……」

「あはは~カティ可愛いねぇ」

 顔を歪めているカティに、トレバーはねっとりと舌を使ったキスをした。

「カティのお口は上も下も僕のもの~!」

 カティに変なドラマの見すぎを窘めるくせに、彼は明らかに変な本の読みすぎだった。

 独りよがりにがんがん揺すぶり、カティの身体がずり上がってヘッドボードにぶつかりそうになると腰を掴んで下の方へ体勢をリセットし、またひたすら腰を遣う。

 カティは自分の上の厚い胸板をぼかすか殴ったがあまり効いている様子はなかった。しまいには手首を捕まえられてしまう。

 そしてトレバーは浅い呼吸をしつつも甘ったれた声でよくまあ喋る喋る。

「でね、なんか今なら大丈夫かな~って僕の勘なんだけど! ゴムつけてないけどいいよね? ね?」

「ねえっ久しぶりだけどどう? なんか変わった?」

「なんかちょっと狭いね? しばらくしないとこうなっちゃうの?」

「口もいいけどやっぱどうしても歯が触ったりするときがあってさぁ……やっぱここに挿れるようにできてるんだよねぇ?」

「気持ちいい? ねえ気持ちいいの?!」

「しばらくご無沙汰だったからひょっとしたら『抜かず三回』ってできるかも! やってみていい?」

「ね、中でいい? 中でいいよね? ね?」

「あ、出ちゃうでちゃううううううっ出ちゃ……あっああぅっ」

「はぁ……カティ最高……愛してる……」

「よしじゃあ『抜かず三回』やるよ!」

 そこにはムードも何も存在しなかった。

 自分がロマンチックな気分の時には、カティがあけすけなことを言うと怒りだすくせに。


 なんでこんなやつに、とひどく悔しい思いをしながら、カティは抑えようのない感覚に深い森に囀る山鳩のような濡れた声を上げ始めた。




   おしまい

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僕たちはベッドの中 江山菰 @ladyfrankincense

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