まことに、かくあれかし
フランネルのシーツを持ってトレバーがリビングに入ると、キルトは畳んでラグの上に置かれていた。
そこに染みがついたというシーツはなく、ランドリールームの方でかたことと音がする。クレアが片付けてくれているらしい。
はぁぁ……
深く深く溜息をつくと、トレバーは高価なシャンプーの匂いが染み付い たソファーにばさっとシーツを広げた。ちょっと端を引っ張って皺を伸ばし、位置を調整する。
端の始末くらい、クレアにさせよう。
そう思ってソファに屈んでいた体を起こそうとしたとき。
どん、と衝撃が彼の身体に加わった。
「わっ」
人一人分の重みが彼をソファに押し付ける。
「なっ……」
彼の上には服を脱ぎ、なぜかピンク色のランジェリー姿のクレアが跨っていた。
「どいて!何ふざけてんだよ」
「ふざけてなんかいないわよ」
クレアは欲情というには程遠い、怒りの籠った刺々しい声で言う。
「ねえ、わたしって可愛いと思わない?」
「思わないよ!」
言いながら、背に乗ったクレアを振り落とす。
どさっとラグに落ちた彼女が大きな瞳で睨みつけてくる。
「失礼ね! わたしに恥をかかす気?」
言葉も終わらぬうちにこの体のどこから、という力でトレバーはソファに突き倒された。眼鏡が飛んだ。
再度跳び乗ってきたクレアは嘲笑を浮かべていた。小さな手が電光石火の素早さで局所に伸びる。
「嫌いとか言ったって、ここはそうじゃないって言ってる……わ……ん?」
ズボン越しにえげつなく触れられ、トレバーは慌ててクレアをかなり乱暴に突き飛ばした。
クレアは床で脇腹を打ち、顔を顰めながら起きあがる。
「……トレバー……」
「…………」
「…………」
「…………」
トレバーは慌ててリビングを出ようとしたが、素早くクレアが立ち塞がった。
「どけよ!」
「…………あなたもしかしてイン」
「黙れ痴女!!」
「……そう言えばそんな噂……聞いたことがあるわ」
ひどく惨めな気分で、彼は反論した。
「なんで大っ嫌いな女に触られておっ勃てなきゃいけないんだよ馬鹿じゃないの?!」
クレアを押しのけようとする手にクレアはしがみついて貧弱な乳房をぐいぐい押し当ててくる。
「だってそんなふにゃっふにゃの男今まで一人もいなかったわ! 最軟記録よ!! わたしに乗られて勃たない男は男じゃないわよ! ほらどうよわたしのおっぱい!」
大変にクソビッチな台詞をいただいてしまう。
もう一度、彼は呻くように抗弁した。
「僕はカティじゃないとだめなんだよ」
それはもう、「まことに、かくあれかし 」という祈りの結句を付け足したいほどの思いだった。
「生意気よ! インポのくせに!!」
また体当たりを喰らう。リミッターの外れた人間というのは恐ろしい。これほどの体格差があっても、伍することが難しい。
「カティの名前を呼ばないで! 汚らわしいわね!」
クレアは自分の薄い下着に手をかけ一気に引き裂いた。
白い肌理細やかな皮膚が露わになる。
「少しはやる気になった?! このふにゃ○ん野郎」
裂くときにサロンで美しく整えた爪で胸元が傷つき、紅色の筋が走っているのが何とも言えずいやらしかった。
さらに冷や汗びっしょりでじたばたと部屋の隅へ退避する大男に飛びかかると、ベルトの金具をまるでマジックのように一瞬で外す。それは手練れの技だった。
彼は吐き気と眩暈を覚えた。
「離せ!」
「はっなしませ~~~ん」
ズボンにぶら下がって無理矢理下ろそうとするクレアと必死に引っ張り上げようとするトレバーの負荷に、とうとうズボンの縫い目が音を立てて裂ける。
「もう40分経ってるわ、そろそろねトレバー」
「何が!」
「あなたの大事な大事なカティが帰ってくるのが、よ」
「君は何が目的なんだ!」
そのとき、玄関のスチールドアが勢いよく開かれる音が聞こえた。
「ただいま~マシュマロ買ってきたぞ~あと桃缶も安くなってたぞ~」
のんびりしたカティの声をかき消して、クレアが腹式呼吸の魂切るような悲鳴を上げた。
「きゃああああああああああああああやめてえええええええええええ!!」
「!」
「いやああああああああやめてええいやああああああああ!!」
「!!!」
「助けてえええカティいいいいい!!」
叫ぶクレアと面食らうトレバーのいるリビングへ当然のごとくカティが駆け込んでくる。
「どうしたクレア?!」
涙と洟を垂らして身も世もなく泣き喚きながら、クレアはカティに飛びついた。
「わああああああああああん! トレバーがぁぁぁ」
外気で冷えきったカティの身体に半裸を擦りつけながら、クレアが泣きながら訴える。
「トレバーが襲いかかってきてぇぇぇ!!! 怖かったあああん!!」
余りの展開に着衣の乱れきったトレバーはまた白昼夢に逃避しそうになったが、なけなしの勇を鼓し自助努力をすることにした。
「僕何にもしてないよ! クレアに襲われたのは僕の方だって!」
「怖いよおおおおおおおおカティいいいぃぃ」
「カティ! こいつやっぱり頭おかしいよ!!」
「う……っ……ひぐっ……ト……トレバーが着替え中入ってきて無理矢理わたしを……うっ……うっ」
「嘘を吐くな!!!」
「カティとは別れるからとか言って押し倒して、下着破られて…うっ…うわあああん」
「黙れクソアマ」
「怖いよおおおおおわたし嘘なんかついてないよおおおおおうわあああん」
「トレバークソアマはやめろって」
カティがクレアをぎゅっと抱きしめた。
「そうか、怖かったか」
「……うん……」
「…もう大丈夫だ」
嘘泣きも堂に入ったものだ。泣き出してしまえば気持ちも昂ぶり、本当に泣いているのとそう変わらなくなる。
こうやって、吐いた嘘だって、しばらくすれば本当になるのだ。
しかし次の瞬間、クレアは身を強ばらせた。
トレバーの手元で、機械的なクレアの声がした。
『わたしに乗られて勃たない男は男じゃないわよ! ほらどうよわたしのおっぱい! 』
彼の手に握られているのは会議記録用のICレコーダーだ。
「トレバー、録れたか」
トレバーはぐったりと疲れた様子で面長な顔を擦った。
「うん、何とかね」
彼は部屋の隅に飛んだ眼鏡を探しだし、のろのろと拾った。
カティはクレアを優しく撫でた。
「なあクレア。私はあんたをすっげえ可愛がってたつもりだったんだが……」
「……カティ……違うの……それはトレバーが作ったにせものの」
「とりあえず服着ろ。風邪ひくぞ」
あくまでも優しい口調だったがカティはひどく寂しい目をしていた。
クレアは、やっと服を着てぶすくれてソファに座っていた。
トレバーを誘惑して手を出させ、レイプされたとカティに泣きついてとりあえず二人の仲を壊してしまおうと思っていたのだがカティの思惑やトレバーが食いついて来なかったことが想定外で、さらにクリスマス休暇目前で焦ったこと、本日二人が久しぶりに閨を共にすると聞き逆上したのが敗因だった。
目の前にはひと通り音声データを聞き終わったカティとトレバーが並んでお説教顔だ。
「クレア、トレバーが好きならどうしてそう言わねえんだ」
「……」
「言ってくれれば譲ったのに」
「カティやめて。僕はモノじゃないから」
「トレバーだって、あんたみたいな美人の金持ち嬢ちゃんとくっつけば今より幸せになれるはずなんだ」
「カティ! やめろって!」
「結婚してまだ1か月だから、お互いダメージも少ねえし」
カティは強烈なネガティヴモードに突入している。
一人で裸踊りで自分の世界に入り込みトランス出来る精神構造は、裏を返せば自己陶酔や思い込みの深刻さを示す。
クレアの化けの皮をはいだのはいい。だがちっともトレバーの望む方向へは話が転がらない。それどころか悪化しつつある。
「カティ、僕のこと捨てる気?!」
「あんたらには普通に幸せになって欲しい。ついては、クレア、こいつ譲るからもう嘘ついたりとか人の気持ちにつけ込むとか、そういうのやめてくれ。な? 何でも正直に言ってくれよ」
「……」
クレアがぎりっとカティを睨んだ。
カティの横でトレバーが悲鳴を上げる。
「嫌だ! やめて! 捨てないで!」
底鳴りのするような低い声でクレアが言った。
「うるさいわね」
「……」
「何が『捨てないで』よ」
「うるさいのは君だろ! 君さえいなきゃ僕らはこんなことにはならなかったんだよ!」
トレバーは言わずもがなのことを言う。
「言っとくけどねぇ、僕はクレアなんか大っ嫌いだからね! 近くに寄るだけでさぶいぼがでるよ!」
「やめろトレバー……クレアがこんなにあんたを好いてるんだぞ」
カティの言葉に、クレアがとうとう我慢ならないと言った様子で喚き出した。
「はああ? 何言ってんの?! わたしがいっぺんでもトレバーを好きだとか言った?」
「え?」
「だいたいカティ、あなた、わたしに断りもなしになんでこんなのと結婚してセックスなんかしてるのよ。悪趣味極まりないったらもう」
「え?」
「そのくせ毎日毎日わたしとトレバーをくっつけようとしちゃってさ。気持ち悪いったらありゃしない。自己犠牲に酔っちゃってさ。ほんと、何なの」
「え?」
「トレバーもさ、空気読んでよ。わたしあなたのことはすっごくきもいって思ってるから。死んでくれたらすっきりするだろうなっていつも思ってるわよ」
「はい?」
毒を吐きつづけるクレアに、カティが恐る恐る尋ねた。
「あの……あんたトレバーが好きなんじゃねぇの?」
「ばっかじゃないの?!」
小さく華奢な足がローテーブルをがんっと蹴った。
トレバーだけでなくカティまでが一瞬慄く。
「わたしが好きなのはカティよ!!!!!!」
「ひゃい?」
カティの声が裏返り、トレバーは仰け反った。
「あなた、わたしと結婚したいって言ったじゃない!! 覚えてないの?!」
吊り上がった青い目に睨まれ、カティはひたすら思いだそうと脳内の記憶を引っ掻き回す。
やはり、そんな記憶はない。
「私そんなこと言った?」
「言ったわよ!入社してすぐ、同期の女子だけで飲みに行ったじゃない!」
「ああ、そう言えば」
「わたしが仕事のこと覚えられなくて泣いてたじゃない!」
「そ……んな気もします」
「そしたら、あなた、わたしを抱きしめて『結婚しよう』って言ったの!!」
「……そう……でしたっけ……か?」
ここは同性婚が認められている州だ。いくら女同士とはいえ洒落にならない。
カティの額から、トレバーに負けずとも劣らぬ汗が噴き出してくる。
――やべえ…やべえわ…全然覚えてねえ…
――やたらこいつがころころついてきて甘えてきたのはそういうことだったのか!
「わたしね、その日からずっとあなたと結婚するんだって思ってた! 男もみんな整理した! あなたが仕事してるの見て今までの誰よりもかすてきだって思ってた! 結婚式場のパンフとか、ドレスのカタログとかずっと見てた! あなたにご飯誘われた日はいつも勝負下着だった! あなたが求めれば、わたしがお父さんに言って昇進だって独立だって思いのままだった!」
「……」
「ずっとずっと待ってたわ! なのにあなたはこんなのと!!」
クレアは嗚咽に震えながらトレバーを指差し、今度は正真正銘の悲痛の涙を幾筋も流し始めた。
「だからわたしはここにきたのよ! カティがこいつに愛想尽かすように!」
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