続きは乞うご期待!

柚城佳歩

続きは乞うご期待!

「やっと終わった…」


漸く仕事の目処が付いて時計を見ると、就業時間は疾うに過ぎて、同じフロアには人気もない。

ぼろぼろになった気持ちで外に出ると、辺りはすっかり暗くなっていた。


大人になったらもっとキラキラとした服を着て、好きな物もたくさん買って、仕事だってかっこよくこなしているものだと漠然と思っていた。

子どもの頃に思い描いていた将来の自分像からは随分と掛け離れてしまったなぁ、なんてぼんやりと考えながら、帰り道を歩いていると。


「こんばんは。ボクはカタリィ・ノヴェル。貴方に物語を届けに来ました」


たった今そこに現れたかのように、少年が目の前に立っていた。

暗がりでも明るく見える柔らかそうな赤毛と、真っ直ぐで印象強い瞳。

不審者…には見えないけれど、新手の宗教勧誘か何かだろうか。何にしろ、この手の連中は相手にしないに限る。

踵を返して別の道から帰ろうとすると、その少年は慌てて追い掛けてきた。


「待って!別に怪しい者ではないんです。ボクは人の心に封印されている物語を小説にする事が出来るんです。そして、その物語を必要としている人の元へ届ける事を仕事にしています」


言っている事が益々怪しい。

うん、やっぱり見なかった事にしよう。


「あっ、ほら!これがその本ですよ」


少年は斜めに掛けた鞄の中から一冊の本を取り出して見せるが、その際に何かの紙もバラバラと地面に零れ落ちた。


「ああっ、地図が!」


急いで落ちた紙を拾いに戻る背中を横目で見遣りながらも早足で歩いていると、また隣に並ぶ気配がした。


「えっと…、カタリィさん?何かの勧誘だったら、他の人を当たってもらえませんか。私、お金持ってないですし」

「カタリでいいですよ。それと、別に商売ではないのでお金は頂いてません。この物語が、今の貴方に必要だと思ったから。受け取ってもらえませんか?」


タダより高いものはない。咄嗟に母の口癖が脳内再生した。

でもこうして話してみても、やっぱり目の前の少年が人を騙すようには見えない。

一度立ち止まって、警戒はそのままに、差し出された本を手に取ってぱらぱらと捲ってからすぐに閉じた。


「…あの」

「はい」

「私、昔から小説とか苦手で。だからこちらはお返しします」

「うっ…、それは、とてもよくわかるけど…、でもたまには活字もいいものですよ。それにこの本は、今の貴方にピッタリのはずなんです」

「でもやっぱり要りません。それでは」


尚も食い下がる少年を撥ね除けて、今度こそ自宅へと足を向けた。



* * *



翌日。

今日も何だかんだで帰りが遅くなってしまった。もっと仕事のやり方を工夫した方がいいのかもしれない。

あの少年は、きっともう現れる事はないだろう。

そう思いながらも、昨日と違う道を選んで歩いていると、後ろから声がした。


「あ、いた!よかったぁ、ボクまた道間違えたのかと思いました」


振り返ると、昨日と同じ格好をしたカタリ少年が息を切らせて走ってくるのが見えた。


「また来たの?私、小説は読まないって言ったよね」

「はい、そこで今日は、漫画を描いてきました!」

「漫画を?」

「こういう仕事をしときながら自分でもどうかと思うんですが、ボクも小説はちょっと苦手で…。でも漫画はすごく好きだから、この本も漫画にしたら少しでも読みやすいかなと思ったんです。描いたのは初めてだから見づらい所もあるかもしれませんが」


そう言って、昨日の本と一緒に一目見て手作りとわかる紙の束を差し出される。

見ず知らずの人に、どうしてここまで。


「…わかった。読んでみるわ」


そこまで私に読んで欲しい物語ってどんな話なんだろう。少し興味が沸いてきた。



* * *



家に帰って先程の紙束、もといあらすじ漫画を開いてみる。

急いで仕上げてくれたんだろう。何度も消して描き直したのであろう跡があったり、字が間違っている所もある。

お世辞にも上手いとは言えなかったが、一所懸命に魅力を伝えようとしてくれる気持ちは充分に伝わった。


「ちょっと、読んでみようかな」


テーブルの端に寄せていた本を引き寄せて、私は数年振りに小説を開いた。

字がびっしり並んだページを見るだけで心が折れそうになった時。


“たまには活字もいいものですよ”


最初に会った日のカタリくんの言葉が蘇る。


「たまには、ね」


閉じ掛けた手を戻し、最初の一行からゆっくりと読み始めた。


ストーリーとしては、幼い少女が夢を追い掛けて叶えるという、ありきたりな話だった。

だけどどこか懐かしい感じがする。

そして見覚えもあった。

そう、昔自分が夢中になって描いた漫画と似ていたのだ。


小さい頃、絵を描くのが大好きで、毎日絵を描いていた。

漫画に出会って漫画家という職業を知ると、なんて素敵な職業なんだろうと、自分も真似していくつも漫画を描いていた時期があった。

今思い返せば、あれはとても漫画とは言えないものだったけれど、夢中になって描く時間はとても楽しかった。


それがいつからだろう。段々と絵を描く時間が減っていって、“夢”よりも“現実”を見るようになったのは。

漫画だって最近は全然読んでいない。今でも好きなのに。


ふと、カタリくんの漫画が目に入った。

突然現れた不思議な少年。

必要な人の元へ物語を届ける仕事。

活発さが窺える表情と真っ直ぐな瞳。


「なんか、久しぶりに描きたくなってきたかも…!」


押し入れの奥に仕舞い込んでいた埃を被った漫画道具一式。数年振りに引っ張り出して広げると、思い浮かぶままに物語を描いていった。



* * *



さすがにもう会えないかもしれない。

私があの小説を受け取った時点で彼の仕事は終わり、今頃は次の街でまた仕事をしているのかも。

そうは思ったけれど、どうしてももう一度だけ会って直接話したかった。

街中探し回っても見付からず、諦めて帰り掛けた時。視界の端をあの赤毛が横切った気がした。


「いた!カタリくん!」

「あ、お姉さんこんにちは」

「よかった、もう会えないと思った」

「いやぁそれが、地図を一枚どこかに落としちゃったみたいで」

「大丈夫?探すの手伝おうか」

「いえ、先程無事に見付かったのでご心配なく。まぁ地図があった所で読めないんですけどね」


あっけらかんと笑う彼に、手に持っていた封筒を差し出す。


「これは?」

「昨日の漫画のお礼、かな。読んだよ、あの本。小説苦手な私が、読み始めたら止まらなくなっちゃった。たまにはいいものだね、活字も」

「でしょう?」

「それでね、久しぶりに私も漫画を描きたくなって、描いてみたの。読んでみて」


カタリくんは封筒から中身を取り出して、即席仕上げの漫画を丁寧に捲っていく。私は少し緊張しながらその様子を見詰めていた。


「すごい!ちゃんと漫画になってる…。しかもこれ、もしかしてボクですか」

「うん、そう。物語を届ける素敵で不思議な男の子と、その子と出会ってもう一度夢を追い掛けてみようって決心する元少女の物語」

「でもこれ途中までしかないみたいですけど…?」

「実は続きはまだ決めてないんだ」

「えっ」


この先がどうなるかは自分次第。

未来の事はまだわからないけれど。


「漫画の続きは乞うご期待!」





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