【KAC7】落ちこぼれは悪夢を許さない(お題:最高の目覚め)

 どうやら水の精霊に、旅を足止めされているらしい。

 滞在中の街アムルダの、宿屋兼酒場「キジバト亭」の一室で、僕は窓の外を眺めていた。

 厚い灰色の雲、派手な雷鳴、激しく打ちつける大粒の雨。キジバト亭のマスターが「おそらく五日は続くぞ」とウンザリした顔をしていた。今日は三日目だ。

 本当は、一昨日の早朝にアムルダを発つはずだった。しかし嵐のせいで馬車が止まってしまい、僕たちは旅に出て初めての「余暇」を過ごしていた。


 ぼんやりしていると、控えめなノックの音がした。エヴェン、と僕の名前を呼んでいる。恋人のサリエットだ。僕は急いで扉を開けた。

「あれ、一人なの?」

 てっきりアウちゃんが一緒だと思っていた。アウちゃんは「魔法アウル」という種類のフクロウで、僕たちと同じように会話ができるし、魔法も使う事ができる。

「アウちゃんなら、酒場でマスターと遊んでるわ」

 サリエットの声には普段の勢いがなく、そして何だか落ち着かない様子だった。

「どうしたの?」

 僕が問いかけると、サリエットは真剣な顔で、僕の目を見つめた。

「あのね……今夜、一緒に寝てもいいかしら……」

 サリエットの頬は赤く染まっていて、僕は一瞬だけ「恋人としての誘い」なのかと思ってしまった。だけど彼女は照れ屋で意地っ張りで、二言目には「エヴェンのバカ!」と叫んでそっぽを向いてしまうような女の子だ。夜の誘いをかけるだなんて、とてもじゃないけど考えられない。

「何か、あった?」

 サリエットは、素直に頷いた。

「このところずっと、嫌な夢ばかり見ているの。内容は覚えてないんだけど、不快感だけが残っていて……ごめんなさい、子供みたいね」

「謝る事ないよ、いつでもおいで」

 頼ってくれて、嬉しかった。だけど最後に「僕でいいなら」と付け足すと「他に誰がいるのよ」と睨まれてしまった。よかった、睨むぐらいには元気があるみたいだ。


 その日の夜、サリエットは僕の部屋に来た。二人きりというわけではなく、アウちゃんも定位置である鏡台の上に留まっている。

「ワシの事は気にせずとも良いのじゃぞ、所詮ワシはフクロウじゃからの。それともワシはサリエットの部屋で寝た方が良いかの?」

 僕たちをからかうアウちゃんに、サリエットが「丸焼きにするわよ」と凄んでみせた。アウちゃん相手にここまで毒舌になるのは珍しいから、かなり照れているんだろう。

 それでも僕が「おいで」と言うと、サリエットは素直に身体を預けてきた。僕たちは抱き合って、互いの鼓動を確認しながら、ゆっくりと魔力を繋げていく。

 二人の魔力が一つの輪になり、循環を始める。

 後は僕が彼女を抱きしめていれば、魔力の繋がりは切れないはずだ。これで安心して眠れるだろう……きっと、僕も。

「今日は良い夢になるよ。悪い夢でも助けに行くから、心配しないで」

「うん……ありがとう、エヴェン……」

 サリエットはとろんとした表情で、おやすみなさいと言うが早いか、あっという間に寝息をたて始めた。

 ほっとする僕に、アウちゃんが「連日というのが、少々気にかかるのじゃがな」と首を傾げてみせた。

 そして、その不安は見事に的中した。


 深夜、サリエットの唸り声で僕は目を覚ました。魔力の繋がりは切れていない。彼女の魔力は、大きな魔法を乱発しているような流れ方をしていた。

 彼女の様子に気付いたアウちゃんも飛んできて、僕の肩からサリエットの顔を覗きこんだ。

「サリエットは、夢魔インキュバスに狙われておるのかもしれぬな」

「夢魔だって?」

 夢魔とは、夢の中で誘惑してくる悪魔の事だ。強力な誘惑テンプテーションを使う彼らには、普通の人間はまず抵抗できない。しかし魔力に耐性のあるサリエットなら、正面から戦っている可能性もある。

 連日戦っているのなら、消耗して当然だ。長く続けば精神を病むか、根負けして悪魔の子を孕むかのどちらかだろう。

「僕、夢の中へ行ってくるよ」

 夢への介入は、養成所の基礎実習で経験済みだ。まだ見習いの僕は魔法の使用を禁止されているけれど、他人の夢に入る事は、呪文の効果を発動させるわけではなく、自分の意識を送り込むだけだ。

「夢の中に入るだけなら、禁止事項には当たらないよね」

「そうじゃの。まぁ夢の中は所詮ただの夢じゃ、規則は気にするでないぞ」

 僕のお目付け役のアウちゃんは、今回も見逃してくれるようだ。本当にありがたい。

「ワシが身体を見張っておいてやるから、存分に暴れて来るのじゃ!」

 アウちゃんが護ってくれるなら、現実の身体は安心だ。僕は抱きしめていたサリエットを改めて抱え直すと、少しずつ彼女の中へ、自分の意識を潜らせていった。


 ――夢の中は、この宿屋の八号室だった。ここは十日ほど前、マスターに頼まれて「幽霊騒動」を解決した部屋だ。サリエットが自ら囮になり、魔法を悪用していた痴漢を取り押さえた。

 そしてサリエットと戦っていたのは、夢魔などではなかった。あの日、確かに警備隊に引き渡したはずの変態男――魔術師、ダリスだった。

「それ以上、近寄らないで! どこかへ行って!」

 壁際で怯えているサリエットは、ぶんぶんと魔法杖ロッドを振り回しながら、炎球を何発も撃ち込んでいる。

「つれないなぁ。保釈になったその足で、毎晩会いに来てるってのに」

 ダリスは細い右腕だけで、簡単に炎球を打ち消していく。そしてその手は、全ての指が失われている――僕が怒りにまかせて、あの手を魔法で焼いたからだ。

「今日あたり魔力切れで大人しくなるかと思ったら、やけに粘るね。現実で魔力を注ぎ込まれたのか……ああ、俺の右手を焼いた男の匂いだ」

 僕に気付いたダリスが、不敵に笑いながらこちらを見た。だけどサリエットは僕に気付かず、部屋の中をキョロキョロと見回すだけだ。

「どこに……いるの?」

「見えないよ、介入は対策済みさ。俺と君以外は遮断シールドしてある、彼は身体を持てないんだよ」

 そう言われて僕は、自分の身体がない事に気付いた。普通は夢に介入すれば、自然と身体があるものだけど、その生成を阻まれていた。

「どうせ夢魔だと思ってたんだろう? 目が覚めれば、彼女は夢を覚えてないからね。残念だったね、出しゃばるからだよ!」

 ダリスは一瞬で掌の上に風球を出し、それを直接サリエットへと投げつけた。風球を回避したサリエットは、バランスを崩してベッドの上へ倒れこんだ。

「あーあ、ずっと頑張ってたのにね。彼氏の目の前で、とうとうヤラれちゃうね!」

「嫌ぁ!」

「どうせ夢なんだからさ、楽しもうよ!」

 サリエットへ圧し掛かっていくダリス、拒否の声をあげるサリエット、そして何一つできない僕……怒りと悔しさで、気が狂いそうだった。

 才能溢れるサリエットと違って、僕は留年寸前の落ちこぼれだけど、助けに行くって約束したんだ。サリエットだけは護りたいんだ、僕は何の為にここにいるんだ――そう思った瞬間、繋がったままの僕たちの魔力が、急速に熱を帯びていった。

「サリエット!」

 僕の口が、彼女の名を呼んだ――僕の身体が、ここにある!

「なっ……!」

 ダリスが驚いたように顔を上げ、さっきまで僕を認識していなかったサリエットの視線が、確かに僕を捉えた。

「エヴェン! これ使って!」

 サリエットが、自分の魔法杖をこちらへ投げた。咄嗟に伸ばした僕の右手は、しっかりと魔法杖を掴んだ。

「このガキっ、余計な事をするな!」

「ぐ、う」

 ダリスに首を絞められたサリエットが、苦しげに呻いた。

「その手を離せ!」

 反射的に僕は、ダリスの頭部を狙って魔法杖を叩きつけた。ぎゃっ、と短い悲鳴をあげて転がったダリスを蹴り飛ばすと、サリエットが咳き込みながら僕の方へ這い出してきた。彼女を後ろへ隠すように、僕はダリスの前に立った。

「クソガキがあぁあぁあぁ!」

 床に転がったまま喚いているダリスは、完全に集中力を失っていた。もはや魔法を詠唱できる状態じゃない。いくら魔力があっても、これでは魔法使いにはなれない。

「魔法使いになれなかった理由、よく分かったよ」

「うるせええええ、殺してやる殺してやるぅ殺す殺す殺すうぅ」

「……そうだね。どうせ夢なんだから、殺しても罪には問われないね」

 人間としての生命を奪う事は、僕が「魔法使い」である以上、決してできない事だけれど――魔術師としてのコイツの命は、僕がこの手で終わらせる!

「もう二度と、彼女の前にその顔を見せるな」

 僕はダリスに魔法杖を突きつけて、魔力を込めながら「全てを寄越せ」と命じた。

 ストローで吸い上げるかのように、魔法杖を通してダリスの魔力が流れ込んでくる。それはざらりとしていて非常に不快で、僕は吐き気をこらえて吸い続けた。

「なっ……何でだよ! 普通は溢れるだろ! 嘘だ、嘘だぁ……」

 ダリスの姿が、喚く声が、少しずつ薄くなっていく。魔力を吸い尽くしたところで、ダリスは完全に消えてしまった。

 これで彼はもう二度と、魔法を使う事はできないはずだ。

「エヴェン……こわかった、こわかったの!」

 サリエットが僕に抱き付いて、声をあげて泣き始めた。抱きしめて背中を擦ったところで、視界の全てが仄白くなり始めた。

 サリエットの見ている夢が、閉じようとしている。

「もう大丈夫だよ。僕がいつでも、一緒にいるよ」

 泣きじゃくりながら頷くサリエットの額にキスをしたところで、僕は彼女の夢から追い出された。


 僕の腕の中で眠っていたサリエットが、ゆっくりと目覚めていく。

「サリエット、おはよう。よく眠れた?」

「うん……ぐっすり眠れたみたい……」

 恥ずかしそうに笑うサリエットは、毛布へ潜り込むようにして、僕の胸に額を押し付けた。

「だから……これからずっと、一緒じゃダメ?」

 震える声が、彼女の緊張を伝えてくる。大切な君のお願いを、僕が断るわけはないのにね。

「いつでもおいで、僕でいいなら」

「他に誰も……いないわよ?」

 彼女は笑う。照れ屋で意地っ張りな僕の恋人は、少しだけ素直になったみたいだ。

 嵐は既に去っていて、窓の外にはいつもより明るい空が広がっていた。

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