【KAC6】落ちこぼれと十二時の鐘(お題:最後の3分間)
響き渡る鐘の音が、間もなく十二時だと告げていた。
「エヴェン、三分じゃ無理よ!」
「いいから行くよ、サリエット!」
僕たちはゲッツェ侯爵の居城を脱出するため、庭園を目指して駆け出した。
なぜこんな事になったかと言えば、話は数日前に遡る。
魔法使いの資格を得る為に必要な課題、魔法具「羽ペン」の製作をクリアできない「落ちこぼれ」の僕は、魔法使いフクロウのアウちゃん、親友のサリエットと共に、素材となる羽根を求めて旅をしている。その道中で「魔力が大きすぎて普通の羽根には拒絶されている」と助言を受けた僕は、魔力の高い羽根を加工できる職人を探す為、大都市アムルダへやって来た。
宿屋兼酒場「キジバト亭」で紹介された情報屋の男性を訪ねたのが、一昨日の夜の事だった。
表向きは路地裏で「占い屋」を営んでいるマリニは、店に入った僕たちを見るなり、僕だけを値踏みするように眺めた。
「面白いね、初めて見るタイプだ。興味深いな、少しキスさせてくれないかい?」
「はぁ!?」
僕よりも先にサリエットが声をあげ、マリニは笑って「違う違う」と両手を振った。
「失礼、性的な話じゃないよ。魔力の交感は粘膜接触の方が効率的、知ってるだろう?」
「それは、まぁ……」
サリエットは耳まで赤くなり、口篭りながら俯いた。他人の魔力と接触するのに、キスは確かに効率的だけど、今時そんな事をするのはプライベートで親密な場合だけだ。
「僕の魔力はともかく……あの、紹介状があるんです」
キジバト亭のマスターが書いた紹介状に目を通したマリニは、指を三本立てて見せた。
「腕利きの魔法職人ご紹介、金貨三枚。でもお金が無いって事だから、明後日ちょっと働いてもらうよ」
お金がないなりに方法があるのは助かるけれど、どんな仕事だろうかと思うと憂鬱になる。金貨三枚は、キジバト亭に正規料金で一ヶ月泊まれる金額だ。
「私の依頼は、ゲッツェ侯爵のお城で開かれる舞踏会に潜り込むことだ」
マリニは簡単に言ったけれど、もちろん見つかればタダでは済まない。サリエットも目を丸くして、完全に言葉を失っている。
「物騒な目的ではないのじゃろうな?」
「違うよ、ただ届け物を頼みたいんだ。城には侯爵の娘で、シエラというお嬢さんがいるのだけれど」
「惚れとるのかの?」
アウちゃんのからかいに「そうだよ」と答えたマリニは、緑色のローブの懐を探り、小さな箱を取り出した。その中に収められていた指輪には、アメジストでできたバラの飾りが付いている。
「もともと私は城勤めの魔法使いでね、シエラ様との仲がバレて追い出されたのさ。ま、こうして生きてるだけでもありがたいけどね」
マリニは指輪を撫でながら、優しく微笑んだ。
「私は今でも愛していると、彼女に伝えて貰えないか?」
その言葉に嘘はないと信じた僕たちは、依頼を引き受けることに決めた。
マリニはたった一日で、僕の燕尾服とサリエットのドレスを用意して、偽の招待状まで手に入れてきた。アウちゃんはフクロウのままだと目立つので、僕と出会った時のようにブローチへと姿を変えて、サリエットのショール留めになった。
「私は顔を知られているから、店で待っているよ」
そう言って、マリニは僕たちを馬車へ乗せた。
湖にかかる橋を渡り、僕たちはそ知らぬ顔で、正面から城の敷地へと入り込んだ。
偽の招待状が見抜かれる事もなく、僕たちは広間へ通された。シエラ様は舞踏会に出席しておらず、ゲッツェ侯爵はその理由を「体調が優れないのだ」と言った。
初顔の僕たちは不審がられないよう、しばらく広間へ残る事にした。農家生まれの僕と違って、サリエットはこうした場にも慣れている。優雅に微笑みを浮かべ、流れるように適切な言葉を返し、時にはダンスの誘いも受けた。僕はまだ社交界に不慣れな弟とでも思われたのか、サリエットの印象を良くしたい男どもから絡まれ続け、何だか無性に腹が立って仕方なかった。
頃合を見て僕たちは広間を離れ、念の為に場所を確認していたシエラ様の私室を目指した。
しかし回廊のような廊下は、なかなか僕たちを私室のある塔へ進ませてはくれなかった。塔へ繋がる扉を見つけたのは、おそらく一時間くらいが経った頃だ。三階の廊下へ入り込み、いくつかある扉のうち、最も豪華な装飾の扉をノックした。
侍従もメイドもいないのか、扉が開く気配はない。僕たちは思いきって、その扉を開けた。
「……どなた?」
そこには銀髪の、透き通るような白い肌の女性がいた。童話に出てくる姫君のようで、僕もサリエットも見惚れてしまうほどだった。
「何かご用がおありなら、早くなさいな。広間へ使いに出ている使用人が、そろそろ戻ってきてしまうわ」
「私たち、マリニに頼まれて来たのよ」
サリエットの言葉にシエラ様は微笑み、嬉しそうに両手で頬を覆った。
「ああ、マリニ……マリニは、わたくしを忘れたわけではなかったのですね?」
「もちろんです」
僕はポケットから指輪を取り出して、シエラ様に差し出した。
「これを、マリニがわたくしに?」
「はい、伝言も預かっています……今でも、シエラ様を愛していると」
一瞬だけ目を輝かせたシエラ様は、あっという間に泣き崩れた。
僕たちはシエラ様の部屋を出て、元いた広間へと向かう。後は他の招待客に紛れて街に帰れば、無事に依頼は完了だ。
「なんだか、可哀想だね」
「……そうね」
達成感はあまりなく、多分サリエットも同じ気持ちだ。
今日の舞踏会は本来、シエラ様の婚約を公表する為のものだったらしい。彼女が私室に立て篭もった為、婚約の公表は後日となったが、それはあくまでも延期だ。
「貴族として生まれたからには、逃げられないの。あとは駆け落ちでもするしかないのよ」
下級貴族の家系であるサリエットは、大きな溜息を吐いた。そしてこの時には既に、僕たちは大きなミスを犯していた。
広間へ辿り着く前に、ゴーン、と鐘の音が鳴り響いた。するとサリエットは慌てたように僕の手を掴み、勢い良く駆け出した。
「ど、どうしたの?」
「マリニが言ってた事、忘れたの? 鐘が鳴り終わったら十二時よ、城全体が朝まで閉鎖されちゃうの!」
そう言えば、確かに言っていた。そんなに時間がかかると思わず、適当に聞き流してしまっていたんだ。
城の閉門を知らせる鐘は、十二時までの三分間、十五秒に一度鳴る。日付が変わってから夜明けまでの間、城から出られる唯一の橋は閉鎖され、城全体を魔法壁で覆ってしまう。
つまり、僕たちは城から出られなくなる。
「たったの三分じゃここから橋まで、とても辿り着けないわ!」
橋まで辿り着けたとしても、素直に出られるとは思えない。初顔の僕たちが勝手に城内をうろついていたのだから、完全に不審者だ。まだ残っているのが見つかれば、きっと素性を調べられるだろう。飛んで逃げる等の派手な行動も、できるだけ避けた方がいい。
「アウちゃん!」
僕が呼びかけると、サリエットの胸元に留まっていたブローチが淡い光を放ち、アウちゃんがフクロウの姿に戻る。
「エヴェンよ、ワシでも城の魔法壁は破れんぞ?」
アウちゃんは僕らに付いて羽ばたきながら、申し訳なさそうにそう言った。
「わかってるよ。マリニに伝えて欲しいんだ、シエラ様の伝言を――永遠に、愛してるって」
僕が足を止めて手近な窓を開けると、アウちゃんは「必ず戻るのじゃぞ」と言い残し飛び立って行った。
「エヴェン、三分じゃ無理よ!」
「いいから行くよ、サリエット!」
今度は僕がサリエットの手を引いて、階段を一気に駆け降りていく。急かすように鐘が鳴り響く中、僕は庭園の外れを目指した。橋がダメなら後はもう、城の真下の湖に飛び込むしかないのだ。
庭園に出て、真っ直ぐにその端へ行き、湖にせり出したテラスの柵を越えた。普通に落ちればひとたまりもない高さだけれど、怖がっている暇はない。もうすぐ鐘が鳴り終わり、飛び降りる事もできなくなる。
「飛ぶよ!」
サリエットは頷いて、僕に向かって両手を伸ばす。僕たちは強く抱き合って、そのまま一緒に飛び降りた。
サリエットが魔法具無しで唱えた
僕は自分の魔力を、サリエットへ繋げる事に決めた。迷っている暇などないのだ。
「唇、少し開けて」
僕はサリエットの唇に、生まれて初めての口付けをした。一瞬だけ浮遊の効果がゆらぎ、そしてサリエットは僕を受け入れた。互いの魔力が繋がって、混ざり合って、僕たちは一つになっていく。
二人分の魔力を使った浮遊は、水面ギリギリになって、ようやく本来の威力を発揮した。
僕たちは抱き合ったまま、大きな空気の塊に包まれて、ゆっくりと水中へ沈んでいく。水は澄んでいて、月光できらめく水面が幻想的で、まるで世界に二人きりみたいだ。
「私、初めてだったのよ……これが一生の思い出になっちゃうじゃない」
「僕も初めてだから、それで許してくれないかな」
それじゃ仕方がないわねと、頬を染めるサリエットは綺麗だった。
「エヴェンも、一生忘れないでね」
サリエットが唇を重ねてきて、僕たちの魔力が再び繋がる。互いに受け入れて、受け入れられて――今の僕たちには生まれも立場もなく、ただ、どこまでも深く繋がりたかった。
「好きよ」
サリエットが告げた想いも、僕は迷わず受け入れた。
きっかり十二時を知らせる鐘が、とても遠いところで鳴っているように聞こえた。
約束の紹介状をアウちゃんに託したマリニは、翌朝には姿を消していた。そして昼過ぎには街中で、シエラ様が行方不明だと騒ぎになった。
おそらく、あの指輪にはマリニの転移魔法が込められていたのだ。夜明けと共に、二人は旅立ったのだろう。
「惚れたら理屈などないのじゃ。みな幸せになると良いのぅ!」
キジバト亭の酒場のカウンター席で、アウちゃんはすっかりご機嫌だ。きっと幸せになるわねと、サリエットが僕を見つめながら微笑んでいた。
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