あなたのための物語

戸松秋茄子

本編

 あいつとの出会いは突然だった。街を歩いていると、路地裏で行き倒れている少年を見つけたのだ。俺はすぐさま駆け寄った。体を抱え起こして「大丈夫か」と呼びかける。すると、そいつはうめくようにしてこう言った。


「お腹、減った……」


 俺はそいつを家までかつぎこんだ。なぜかはわからない。でもそうしなきゃならない気がしたんだ。パンに残りもののシチューを与えると、そいつはすぐさまがっつきはじめた。


 見るからに奇妙な少年だった。赤い髪に空色の瞳はここらじゃ見ない組み合わせだし、どことなく中性的な印象がある。声を聞かなきゃ女だと思っていたかもしれない。半袖のジャケットに短パンとこの時期にしては露出が多く、羽飾りがついたマリンキャップに丸めた地図が飛び出たショルダーバッグを身に着けている。


「お前、いったい何者なんだ」


「僕?」あいつは口の周りを汚したまま言った。「僕はカタリィ・ノヴェル。みんなにはカタリって呼ばれてる」


「みんなって誰だよ」


「みんなはみんなだよ」あいつは言った。「世界中のみんな」


「有名人か何かか」俺はあてずっぽうで言った。「それとも世界中を旅してるとか」


「ピンポーン。大正解。僕はある目的で世界中を旅してるんだ」


「目的?」


「そう。世界中の人に物語を届けてるんだ」


 あいつはさらに語った。自分には特殊な力があり、他人の心に眠る物語を本に変えることができること。そして、その本を必要とする人たちに届けるのが自分の仕事だということ。そのために、あらゆる世界や時空間を超えて旅をしていること。今日、ここで行き倒れていたのは連れとはぐれて迷子になってしまったからだということ。


 いいだろう。あいつの言うことが全部本当だとしよう。だからといってなんだっていうんだ。他の世界や時空間がどうかは知らない。けれど、少なくともいまこの世界で物語を求めてる奴なんていやしないんだから。



 二つの月が昇る頃、そいつらはやってきた。


 帝国の爆撃機部隊だ。


 爆撃機は街中に焼夷弾を振りまき、機銃で市民を虐殺した。街は火に包まれ、無数の死体に埋め尽くされた。


 爆撃機が去った後、俺はあいつを連れて街を見下ろす小高い丘に登った。丘からは廃墟と化した街が見渡せた。


「見ろよ。これが現実だ」俺は言った。「これを見ても、まだ人には物語が必要だと思うか?」


 あいつは言葉を失ったようだった。無理もない。俺だってこんな光景は長々と眺めていたくない。


「物語は死んだんだ」俺は呟いた。「もう誰も求めちゃいない」


「そんなことはない」あいつは言った。


「なら、言ってみろ。どうしてだ。どうしてこんな悲惨な現実を前にして人は物語を求める」


「それは、人は現実にしか生きられないから」


「どういうことだ」


「人は現実にしか生きられない。だけど、それが全てとは思いたくない。だから、違う現実を求める。物語を求めるんだ」


「そんなのはただのまやかし。現実逃避じゃないか」


「そうかもしれない」あいつは認めた。「でも、それだけじゃない。物語があるから、人は現実に立ち向かえるんだ」


「そんなことは……」


「そんなことはないって? だったらあなたはどうして小説家なんてやってるの」


 俺はかぶりをふった。


「俺だって最初は信じてたんだ。物語の可能性を」


「なら、もう一度信じられるはず」


 あいつは言った。それからあいつの目のあたりがぽうっと光って、次の瞬間にはあいつの腕の中に薄い本が抱えられていた。


「これがあなたの物語だよ」


「俺の?」


「そう、心の奥底に眠っていた物語」あいつはうなずいた。「誰かが必要とする物語」


「誰かが……」


「そう、誰かが必要としている」あいつは確信を込めて言った。「僕にはそれがわかるんだ」


 すると、どこからともなくフクロウが飛んできて、あいつの肩に止まった。


「じゃあ、僕はこれで」あいつは言った。


「どこへ行くんだ」


「次の場所へ」あいつは言った。「物語を必要とする人たちのところへ」


 次の瞬間、さっと強い風が吹いて、気が付いたらあいつはその場からいなくなっていた。


   ※※※ ※※※


 その本は郵便受けに突っ込まれていた。無線綴じの薄い本。手に取ってみると、真っ白な表紙に「あなたのための物語」という題が振られている。著者名は書かれていない。あなたは不審に思いながらも部屋に持ち帰った。そして読みはじめる。


 ――あいつとの出会いは突然だった。


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