少年は謁見した
昨日と同じ強い目で見下ろされていた。昨日と同じように高圧的で、迂闊に動けなかった。
皇帝が手招きをした。と思う。
進んで良いものか悩んでいると、誰かが近づいてきた。
「皇上がお呼びです。前へお進み下さい」
ホンジョウだった。
長身の顔を見上げると、優しく微笑んでいた。大丈夫、と言われているようだった。
武官(見習い)の言葉も思い出した。皇帝はお怒りではない。お叱りを受けるわけではない。……と思う。
「俺だけ、ですか?」
「はい。どうぞ前へ」
心を決めて足を進め、なんて無用心なんだろうと思った。皇帝に手が届く。得物は預けてきたから丸腰だけど、殺す術はいくらでもあった。素性のわからない者の接近を許していいのか。
——違う。自信があるんだ。
襲われても退ける自信なのか、周りに控える警護の能力か。
それともホンジョウのおかげ? 彼からの信頼は疑うべくもない。それがそのまま皇帝に伝わっているんだろうか。
皇帝は楽しそうな顔のまま、手を差し出した。ロムの知る限り、帝国の立居振る舞いにそんな所作は無い。西洋の握手に合わせてくれたとしても、甲を上にしているから違和感があった。
意図がわからず顔をうかがうと、そこで初めて皇帝は面白くなさそうな顔をした。
「どうした? 西洋式の挨拶をしないのか」
「え……あ、あの……?」
「西洋の者は、手の甲に口付けるのではないか?」
まさか、ここでそれを求められるとは思わなかった。やり方は知っていても、実際にした事はない。でもアドルから聞いた話では。
「えっと……でも、それは、相手の甲ではなく、自分の指に……」
「細かい事は知らん。とにかくやって見せろ」
有無を言わせぬ圧力に、観念してひざまずいた。差し出された皇帝の手に、下からそっと手を添えた。
指先に固い皮膚が触れた。見かけはすらりと美しいが、随分と鍛えられた手だった。先程の自信は強靭な体躯によるのかもしれない。
油断ならないと思いながら、甲に回した自分の親指に口付けた。時間をかけると失礼らしいので、すぐに離して立ち上がった。
見様見真似なので、アドルが見たら失笑される所作だったと思う。いやどうせ正解を知る人なんか居ない。……はずだ。要は皇帝のご機嫌さえ損ねなければいいんだ。
皇帝は手を戻し、それをしげしげと眺めた。
「これの意味するところは何なのだ?」
「……尊敬と崇拝です」
「なるほど。悪くない」
思わず安堵の息が漏れた。何がどう皇帝の逆鱗に触れるかわからず、何をするにも緊張した。
同時に、背後から吹き出すような声がした。振り返ると、ホンジョウがわざとらしい咳払いをしていた。
「失礼、喉が……」
嘘だ。絶対に笑いをこらえている。だって肩が小刻みに震えている。
こっちは必死なのに、面白がらないで欲しい。そもそもこの人が皇帝なら、予め教えておいて欲しかった。今更どうでもいい恨み言を、心の中でつらつらと重ねていた。
ため息をつきながら元の位置、アイラスの隣に下がった。
彼女は可哀そうなくらい委縮していた。それはそうだろう。昨日殴った相手が、皇帝として目の前に居るのだから。
でも周りからの視線に悪意は感じない。あの一件は伏せられているのだと思う。だとしたら、ここで謝罪するのは不自然だ。
かといって何も言わないのは不誠実に思う。彼女のいたたまれない気持ちは、わかりすぎるほどわかった。
アイラスの気持ちを和らげる方法はないかと考えて、小さな手をそっと握った。
微かに震えたそれは、力を込めて握り返してきた。
再びホンジョウが近づいてきた。
「ロム様、紹介状を」
その敬称は何なのと思いつつ、アドルからの紹介状をホンジョウに差し出した。彼は両手で恭しく受け取り、掲げるような姿勢で皇帝の元に運んでいった。
なんというか。全ての所作が、今まで見てきた彼と違い過ぎて、感心を通り越して呆れてしまった。
大体、一番に紹介状を確認すべきじゃないの。色々と突っ込みたかったが、この場でできるわけがない。心が揺さぶられる事が多すぎて、すっかり疲れてしまった。
皇帝は紹介状の封を解き、眉をしかめて誰かの名を呼んだ。文官らしき者があわてて近寄ってきた。さすがの皇帝も異国の字は読めないのだろう。
翻訳する声を聞きながら、早く帰りたいと願っていた。
「貴殿らの要望は聞いている。シンについて知りたいのだったな」
来た。表情を変えないように気を付けて、丁寧にうなずいた。
こちらの胸の内を知っているのかいないのか。たっぷり勿体ぶってから、皇帝は口を開いた。
「資料は自由に見てよい。全ての官に話を通しておこう。港の記録も同様に許可する」
「ありがとうございます……!」
心の底から感謝して、本心から頭を下げた。
これでやっと前へ進める。後は、無茶な見返りを要求されなければいいのだけど。
「ところで……」
その心配が的中したかのように、皇帝が口を開いた。嫌な予感しかしなかった。
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