少年は慄いた

「……何、でしょうか?」


 深呼吸して、努めて冷静に聞き返した。知りたくないけれど、聞かないわけにはいかなかった。

 嬉しそうな皇帝の顔からは、動揺までも見透かされているような気がした。




「絵を見せてもらった。是非、私の肖像画も頼みたいと思ってな」




 ――来た。




 それを狙っていたのだけれど、いざとなると不安が頭をもたげた。

 アイラスに負担ではないか。言葉もわからないのに、無理難題を持ちかけられないか。皇帝は、ただでさえ一筋縄ではいかなそうなのに。


 即答できずにいると、皇帝が眉を寄せた。




「資料閲覧の見返りではなく、別に報酬も出すぞ?」

「それは、その……ありがたいのですが……」

「いや、こういった事は本人に聞いた方が良いな。黒髪の少女と聞いたが……どっちだ?」

「どっち……?」




 少女は一人しか、と考えてハッとなった。

 もう一人の黒髪――ザラムを振り返った。かつてロム自身、彼を女性と見間違えた事があった。




 その顔が、明らかに不機嫌になっていた。

 口を開きかけたので、遮るように言った。


「ま、待って、ザラム! ここは、落ち着いて……」

「ふむ、そっちか?」

「ち、違います! こっちです!」


 慌ててアイラスの背を押した。会話を理解していないであろう彼女がうろたえている。


「な、何? やっぱり、謝った方がいいノ?」

「あ、ち、違うよ。絵の事だよ。誰が絵を描いたのかって……」

「その者は言葉がわからないのか?」




 二人から問いかけられるし、ザラムは爆発寸前だし、気を配ることが多過ぎて混乱してきた。




「もう、俺、やだ……」

「落ち着いて、ロム」




 ホンジョウが耳元でささやいた。接近に気付かなかった事に驚き、自分が平常心ではないのだと気が付いた。

 すがる気持ちで顔を上げて、彼の余裕の笑みを見て少し落ち着いた。




「あいつあんなだけど、取って食ったりはしねえから。……多分」




 最後に付け加えた言葉が怖すぎなのだけど。

 抗議した目に気づいたのかどうか。ホンジョウはアイラスの手を取り、皇帝の前に進み出た。


「皇上。献上した絵を描いたのは、こちらの少女です。ただ、彼女は我が国の言葉を知りませぬ故、通訳が必要かと存じます」

「なるほど。では詳細は追って決めるとしよう。私の意向だけ伝えておいてくれ。下がって良いぞ」


 振り返ったホンジョウが片目をつぶって見せ、ようやく謁見が終わったのだと気がついた。

 皇帝を見ると、早くも別の官から何かの報告を受けていた。






「いやぁー、面白いモン見せてもらったなー」


 帰りの馬車の中で、ホンジョウが楽しそうに笑っていた。今回はロムも中に乗っていた。


「……俺は面白くなかったです」

「いや、あいつさぁ、前は断ったんだよ」


 前? 何の話? 唐突で意味がわからない。


「数年前、西洋から使者が来たことがあるんだよ。その時に手に口付けされそうになって」

「されたんですか?」

「いいや、断固拒否。あいつ、苦虫を噛み潰したような顔でさー」


 その様子が鮮明に浮かんだ。あの端正な顔が嫌悪に歪んだかと思うと、ロムも笑いがこみ上げてきた。


「髭のおっさんは嫌でも、金髪美少年ならいいのかよ? って思ったら、もう、おかしくって……」


 言いながらホンジョウは、また肩を震わせていた。

 でも美少年は止めて欲しい。


 そう思ってふと気が付いた。昨日皇帝に掴まれ、美しいと言われた。あれは髪の事じゃなくて――




「あ、あの……」

「ん?」

「皇帝は、その……」


 言いかけて止めた。これを聞くのは、あまりに失礼かもしれない。




「ああ。男色の気があるよ。何人か美少年を囲ってるし」


 思わず立ち上がり、低い天井に頭をぶつけた。


「心配しなくても、俺の客人に手を出す程、無節操じゃないよ。でも……」

「でも……!?」

「直にあいつのトコ行ったり、他の親王を頼ってたら『そういった事』も求められてたかもしれないなァ……」

「あ、危なかったのう……」

「何? どうしたノ?」

「アイラスには説明しなくていいから!」




 馬車の中では、ホンジョウとザラムが楽しそう、アイラスはキョトンとして、トールとおそらく自分自身が、青い顔をしていたと思う。






 五親王府に着いて馬車を降りた。馬車は城の所有物だったそうで、昨日からお世話になりっぱなしの彼が返しに行くらしい。




「二度手間になりますね。すみません」

「……え?」

「……え? だって、馬車を返して、またここに戻って来なきゃ……」

「戻ってはきませんよ。私は城で下働きをしていますし、住居も内城にありますので」

「え、じゃあ、昨日はなんで……」

「私は皇帝のお供で、こちらを訪れていただけです」


 でも、だって、ここの人達とも親しそうにしていたのに。考えるそばから、通りかかった官が頭を下げて彼も返礼した。


「皇帝と五親王は大変に仲がよろしいので、よくこちらの王府を訪れるのです。だから皆様にも覚えて頂いています」


 なるほどと思っている間に、彼は御者席に上った。


「それでは、失礼いたします」

「あ、はい。ありがとうございました。お気をつけて」






「じゃあフーヘン、ありがとうな!」




 後ろからホンジョウが叫んだ。覚えのある名前に驚いた。名を呼ばれた方も驚いていた。

 そうしてロムを見た。申し訳なさそうな顔で頭を下げ、馬車を走らせて行ってしまった。

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