少年の名前

「すみません。今、なんて……?」

「あれ? 聞こえなかった? 手慣れてるねって言ったんだよ。磨り方が上手いと思ってさ」

「え、えぇ……俺は……」


 ぼんやりする頭で答えかけて、ハッとした。それを口に出していいのかと。


 何の説明もなしに、この地域特有の道具を渡された。

 西洋人としてはアイラスの反応が正常だろう。やけに詳しい自分の方がおかしい。




 墨を硯箱に入れてトールとザラムを見た。警戒するような顔をしていた。探りを入れられた事に気が付いている。




「わしらの出自について、手紙には書いておらなんだか?」


 ホンジョウは苦笑しただけで、はいともいいえとも答えなかった。

 驚きもしないのだから、書いていたのだろう。知っていて、試すような真似をした理由は?




「皇帝への交渉に支障が出るでしょうか?」

「う〜ん、そうだなぁ……」


 またもや、ホンジョウは困ったように笑った。歯切れが悪い言い方だった。




「とりあえず、絵を描いてもらえる?」


 うながされて、慌ててアイラスに場所を譲った。


「先が柔らかいから気をつけて。上手く描けなくても、出さなければいいだけだから、気楽にね」

「ウン、大丈夫。水彩みたいなものだから」




 心配するロムを他所に、アイラスは意気揚々と筆を手に取った。


 筆を構えると表情がスッと変わって、真剣な顔になった。絵を描く時の彼女で、言霊を記す時の彼女だった。

 その顔でホンジョウを見つめるものだから、少し複雑な気持ちになった。嫉妬深い自分が嫌になる。






「あのさ……」


 顔はアイラスの方に向けたまま、ホンジョウが話し始めた。


「多分あいつは、ロムを一番気に入ると思うんだ」


 この流れであいつと言うのは、皇帝で間違いないだろう。そう思う理由は何だろう。他の三人に比べて自分が目立つ部分といえば?




 考えながら、自分の前髪に触れてみた。さっき別の親王から美しいと言われた、この髪かもしれない。

 掴まれた手を思い出して、また背筋がゾッとした。




 西洋好きの皇帝が、一番それらしい自分を気に入ったとして、それが実はシンの出身だと知ったらどう思うだろう。

 深く考えなくても、簡単にわかる結論だった。




「だから悪いけど……君だけは出自を黙っててもらえないかな?」

「ロムに嘘をつけと申すのか?」


 トールが不満そうに言った。声も少し大きかった。部屋の外から緊張した気配が伝わってきた。家臣の一人が心配そうに中を覗き込んできた。


 まずいと思ったけれど、ホンジョウが笑顔で手を振った。ただそれだけで、その家臣は安心した顔で下がっていった。






 ホンジョウは多分、わがままで身勝手な親王なのだと思う。それでも確実に慕われている。それは外城で会った武官からも感じていた。


 きっと悪い人ではない。少しでも上手く行くよう、考えてくれているのだと思う。




「わかりました」

「ごめんねー。君達の事は、西洋からシンについて調べにきた、と記しておくから」


 つまり、それ以上を悟られるなという意味だろう。

 トールが、ホンジョウにはわからない言葉で確認してきた。


「よいのか?」

「大丈夫だと思う。俺、この人を信じるよ」

「どうしたノ? 何か言われたノ?」

「俺がシンの生まれであることは秘密にしておくんだ。みんなも口裏を合わせてほしい」


 口にしてから、アイラスには言ってなかったと気が付いた。驚くかと思ったけれど、彼女は頷いて続きを描き始めた。

 逆に拍子抜けした。自分には興味ないのかとがっかりもした。いや、トールから聞いてるのかもしれない。




「さっきみたいな事もないように、気をつけて欲しい」


 会話が途切れたのを見てか、ホンジョウが重ねて忠告してきた。


「は、はい。すみません」

「大丈夫かのう? ロムの所作には癖が残っておると思うのじゃが……」

「名前もシンじゃないものに変えてあるし、平気じゃないかな」




 心臓が止まるかと思った。昔の名前まで手紙に書いてあったのか。ザラムがため息を付き、トールが息をのむ気配を感じた。


 あの僧侶は一体どこまで知ってるんだろう。そして、どこまで手紙に書いたのか。知られたくない事まで書かれていたら? 確認したいけれど、今それをするのは怖かった。




 トールが遠慮がちに口を開いた。


「ロム、おぬし……」

「描けた?」


 セリフを被せるように、ホンジョウが身を乗り出してアイラスの手元を見た。




「上手いじゃん! これなら十分見返りに値するよ!」

「え、あ、あの……なんて、言ってるノ?」

「ホンジョウは、皇帝に出せるって言ってるんだよ。ありがとう」

「少し乾かしておこう。そのままそこに置いておいて。部屋に案内させるよ」


 ホンジョウは立ち上がり、こちらの都合も聞かずに部屋を出て行った。

 アイラスに説明して、慌てて追いかけた。






 部屋の外にはアイラスに似た女性が待っていた。奥方様だ。微笑みながらアイラスの後ろに回り、背中を優しく押した。


 ホンジョウの妻なら大人だと思うのに、並んだアイラスとあまり身長が変わらない。じっとしていれば、少女と言われても疑わない容姿だった。




 連れて行かれるアイラスを、当然のようにトールが追いかけた。だが、別の女官が遮るように立ち塞がった。


「女性は別部屋だからね」

「わ、わしは、アイラスの使い魔じゃ。一緒に居っても構わんじゃろう? それにアイラスは、言葉がわからぬのじゃぞ?」

「まーその辺は、うちのが何とかしてくれるよ。君らはあっち」


 ホンジョウが指し示す先に、痩せた老人が立っていた。目が合うと、恭しく頭を下げてきた。

 昼に会った武官は居ないのかと見回したけれど、薄暗くなった辺りには見当たらなかった。




「あ、ロムは俺と一緒に来てくれる? 文書を書くから一緒に見てほしい」


 なぜ自分なんだろう。そう思ったけれど頷いた。


「荷物は預けておいて。君らの寝室は一緒だから」

「わかりました」


 ザラムに手荷物を渡そうと近づくと、急に手首を掴まれた。


「手紙」

「……え?」


 ホンジョウ達にはわからない言葉で、小さな声で短く言われた。聞き返したけれど、ザラムは下を向いたまま顔を上げなかった。


 次の言葉を待っていると、彼の手が手首からするすると手先に移り、そのまま手荷物を掴み取られた。

 そしてようやく、口を開いた。




「何、書いてるか。もし、見れたら……」




 それは、ロムにも気になっている事だった。

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