少年は猛省した

 誰もが唖然として動けない中、一際大きな笑い声が響いた。




「お前! 女の子に殴られてやんの!」




 五親王だった。いや、笑い事じゃないでしょう。


「だ、大丈夫ですか……!?」


 男に差し出した手は振り払われた。やばい。かなり怒ってる。




「ア、アイラス……! な、何て事、するんだよ……! 謝って!」

「嫌!!」

「えぇ……?」


 こんなところで、彼女の強情さが出てくるとは思わなかった。


 少なくとも、五親王と同程度の地位の人に手を上げてしまった。これが皇帝の耳に届いたらどうなるだろう。

 先の事を考えると気が滅入るばかりだった。






「悪かった」


 独り言のような小さな声で、謝罪の言葉が聞こえた。


 驚いて振り返ると、男がふんぞり返っている。全く謝っているように見えなくて、聞き間違いかと思った。


「え、えっ……と? あの……?」

「日を改める」


 いや、二度と来ないで欲しい。




 男は入ってきた時と同じように、大股で歩き出した。


「あ、ちょっと待った! 殴られた痕を付けたままだとまずい! 俺みたいに治してやってくれない?」


 五親王が頬を指差して言うと、トールが慌てて立ち上がった。

 とりあえずあっちは大丈夫、と思いたい。




 問題はこっちだ。ロムはため息混じりに声をかけた。


「アイラス」


 極力優しく言ったつもりだけど、彼女の身体は大きく震えた。


 意固地になっているように見えた。なんて言えばいいんだろう。言葉を探していると、肩をポンと叩かれた。




 いつのまにか、五親王が側まで来ていた。

 彼がちょいちょいと指差す先を見ると、握り締めたアイラスの手が、小刻みに震えているのがわかった。




「彼女、自分がやった事の意味、わかってるんじゃないかな。わかった上で、我慢できなかったんだよ」


 気がつかなかった。

 自分より五親王の方が、アイラスの気持ちを察していた。

 それが悔しくて、情けなくて、返す言葉は出てこなかった。




「君、すごく怯えた顔してたもんねえ」


 くっくっと笑いながら言われた。思い出すと恥ずかしくて、顔から火が出そうだった。

 自分の心が弱いから。それなのにアイラスを責めた。




「……俺……俺の、せいだ……」

「悪いのは君じゃなくて、あいつ。だーいじょうぶ、あっちは俺が何とかするから。君は彼女の事だけ考えて?」


 もう一度、背中を押すように肩を叩かれた。でも、返事をする余裕はなかった。




「さーあ、みんな仕事に戻って! いつものように、今見たことは他言無用でね!」


 いつもって何だよ、と吹き出した。いつも問題を起こしてるのかと思うとおかしくて、少し気持ちが軽くなった。






 目を合わせてくれないアイラスに、それでも勇気を振り絞って声をかけた。


「ごめん、アイラス。俺を助けようとしてくれたんだね……」




 返事はなかった。

 まだ震えている小さな手を、包み込むように握った。

 彼女の手から力が抜け、指が絡み合った。


 アイラスが顔を上げ、小さくごめんと呟いた。

 そのまま、倒れるように胸にもたれかかってきた。




 頭が真っ白になった。




 柔らかい黒髪が鼻に当たって、石けんの香りが鼻腔をついた。

 頭がクラクラする。

 今朝、ニーナの館でお風呂に入ったからだ。

 いや、今朝じゃない。三日前だ。

 いやでも、自分達にとっては今朝だ。




 どうでもいい思考が頭の中をぐるぐる回った。




 小さな肩を、抱いてもいいんだろうか。




 手を伸ばしかけた時、強く胸を押された。バランスを崩して、壁に寄りかかった。


「ご、ごごめん! わ、わた、私……!」


 アイラスは真っ赤な顔で、横を向いていた。意味がわからない。また五親王が激しく笑っていた。






「よーし、落ち着いたところで、 歓迎会の続きだ!」


 いや、全然落ち着いてない。不満と疑問だらけだけど、ザラムが取皿をロムの方に突き出していた。


「肉」

「はいはい……」


 ため息と共に取皿を手に取った。とびきり辛いやつにしてやる。そう考えながら、無数に並ぶ大皿を見渡した。






 食後の焼き菓子を食べながら、五親王は僧侶からの手紙を読んでいた。眉間にシワが寄っている。

 彼の従者ならともかく、彼自身がそんな顔をするのは初めて見た。難しいんだろうかと不安になってきた。




 外を見ると、空が赤くなり始めている。それなのに、今夜の宿も決めていない。

 ザラムは嫌がるかもしれないけれど、あのお寺を頼った方がいいんじゃないかと考えていた。






 ようやく五親王が口を開いた。


「……わかった」

「何とかなりそうですか?」

「何とかして見せるさ。この人にも君達にも恩があるからね」


 手紙をひらひらと振りながら、彼は元の笑顔に戻っていた。

 ほっと胸を撫で下ろし、丁寧に頭を下げた。


「ありがとうございます、助かります」

「ただ、すぐは無理だな。他の文官の手前もあるから、正式な手続きを踏んだほうがいい。明日、文書を奏上しておくよ。でも……」

「……でも?」

「あいつ、西洋大好き人間だから。そこから来た君らに、何も要求しないとは思えないんだよなぁ……」


 皇帝をあいつ呼ばわりしても、この人だからと思うと今更驚かなかった。

 腹違いの兄弟とだけ聞いているけれど、共に暮らした時期もあるのかもしれない。




「貴金属を少し、持ってきてはいるんですが……」

「そういうのはなぁ、希少性より細工技術を重視するからなぁ」

「はぁ……こだわりが強いんですね……」


 面倒だという含みを持たせてしまい、慌てて口を押さえた。五親王はニヤニヤしただけで、何も触れずに話を続けた。




「そうだ。西洋建築に興味持ってたっけな」

「そんな知識は持ち合わせてないです……」

「うーん、後は……」


 考えながら五親王は、残りの焼き菓子を口に放り、お茶で流し込んだ。

 天井を仰ぎながら、小さく呟いた。




「……そういえば、西洋画家に肖像画を描かせてたな」




 えっと思ってアイラスを見た。話の内容がわかっていない彼女は、目をぱちくりさせていた。

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