少女ともう一人の少女

「あの子が、ミア……?」

「そう。オレの、『知識の子』……」

「……亡くなってるノ?」

「死んでる」


 少女は、氷の中に直立で入っていた。長い黒髪と、白い肌が美しい。顔は安らかで、氷の中でなければ眠っているようだった。


 歳の頃は、アイラスと余り変わらないように見えた。背が高いので、少し年上かもしれない。


 


『知識の子』は全て、同じ記憶を埋め込まれると聞いている。彼女も同じように、記憶とは違う自分の姿と、言葉もわからない異国の地に、戸惑ったんだろうか。

 もし、与えられた身体も自分と同程度だったとしたら。目覚めてから死ぬまでに、わずかしか生きられなかった事になる。




「アイラス……泣いてる?」

「……エ?」


 言われて初めて、自分が涙を流している事に気がついた。あわてて手の甲で目をこすった。


「わ、わからない……私、よく、わからない……」

「そうか……。オレも、よく、わからない……」




 そう言ったきり、ザラムは黙り込んでしまった。

 何かを迷っている。そんな気がした。




 だからアイラスは、心を込めて笑いかけた。彼には見えなくても、気持ちが伝わるように、精一杯の心を込めた。


「迷ってる時はネ、自分の事だけ考えたらいいヨ。自分の心が、どう感じるか。自分が後悔しないようにするには、どうするのが一番いいかって考えるノ」


 ザラムは少し驚いた顔をして、それから困ったように微笑んだ。


「ミア、同じ事、言ってた。『知識の子』、心、同じ」

「そりゃあ、同じ経験の記憶があるんだもノ。似たような考え方になるヨ」


 そう言って、再び彼に笑いかけた。彼も笑っていた。




「ねえ、ザラム。もしかして、ミアっていう名前は……?」

「うん。オレ、付けた。アイラスは、トールが?」

「ううん、ロムが付けてくれたノ。北国の言葉で、綺麗って意味なんだって」

「『真の名』と、同じ意味、だな」

「ミアの『真の名』も、私と同じなノ?」

「『知識の子』みんな、同じ。問題ない。知ってるだけじゃ、支配できない」




 こんな雄弁なザラムは初めて見る。きっとミアの事だからだと思う。彼は彼女を、とても大切に思っていたんだろう。それこそ、家族のように。

 いつかニーナから聞いた、彼が亡くした大切な人というのは、彼女なんだろうなと思った。




「美しい、彩りの、娘……」


 ぽつりと、ザラムが呟いた。それは、自分とミアの『真の名』の意味だった。


「分不相応だよネ。私達の髪は、こんなに真っ黒なのに」

「ミアとアイラス、髪、同じ? 真っ黒って、どんなの?」

「黒、わからない? ザラムは、生まれつき、目が見えないノ?」

「うん。アルビノ、盲目、多い。ニーナも、ヘラも、目、弱い」

「そうなんだ。……黒はネ……うーん……」


 自分の髪の色は、正直好きじゃない。でも、ミアの髪の色も同じ。だったら、印象が悪くなるような例えはしたくなかった。


 自然にある黒は、夜空の色。夜といえば?


「眠る色、かな」

「眠る色……」

「そう、安らぎの色」

「そうか。いいな」


 ザラムが嬉しそうに笑って、アイラスも嬉しくなった。




 でも彼は、黒がわからないのに、なぜ自分の髪と目を、その色に変えていたんだろう。白からなら、どんな色にでも変えられるというのに。


 彼の顔を伺うと、ミアの方を向いていた。アイラスも見た。そして、気が付いた。




 ——ああ、ミアと同じにしたんだ。




 ザラムがどれほど彼女を想っているか、思い知った。そして今、亡骸になっている事実に、胸が締め付けられた。






 そうすると、また疑問が湧いてきた。自分を連れて、ここを訪れた理由は何なんだろう。その答えは、まだ聞いていない。

 同じ『知識の子』として、ミアに何か出来る事があるんだろうか。


「……ねえ、ザラム。なんで、私をここに連れてきたノ?」

「それは……」


 穏やかだった顔が、苦悩に歪んだ。聞いてはダメだったかもしれない。


 答えなくていいよと言いかけた時、またザラムの表情が変わった。今度は、焦燥の色が現れていた。




「ど、どうしたノ?」

「見てる」

「エ?」


 素早く、ザラムが言霊を唱えた。小さな声で早口で、聞き取れなかった。

 彼は相当滑舌がいい。今までそんな事はなかったから、その能力も隠していたのだろうか。




 内容はわからず、周囲で何も変化も起きない。彼が何の魔法を使ったのか、アイラスにはわからなかった。

 それを聞こうとする前に、ザラムが一言呟いた。


「来てる」

「誰が?」

「……ロム達が」


 ロムが近くに居る。アイラスの心は踊ったが、ザラムの表情は明らかに怯えていた。何がそんなに怖いんだろう。




 ザラムが次に言霊を唱えると、ミアが見えていた穴の奥で、大きな岩がゆっくり動いた。岩は穴を完全にふさぎ、光は遮られた。辺りは再び漆黒の闇に染まった。


「どうするノ?」

「わからない。逃げる」


 彼はアイラスの腕を掴み、転移の言霊を唱えた。

 だが魔法は発動しなかった。


 ザラムが悔しそうに呟いた。


「ニーナの、結界。逃げられない……!」

「逃げなくても、いいじゃない! みんなに謝ろうヨ。勝手に出歩いて、ごめんなさいって」

「ロムは、オレを、許さない……」

「私が関わってるから? それなら、私は大丈夫だって話すヨ。ザラム、私に何か、魔法をかけてない? それを解いて。トールに連絡するから」

「ダメ……ダメだ!」


 アイラスの腕を掴む手が、震えていた。


「オレ、アイラスを……」


 続きを待ったが、ザラムはそれ以上話さない。

 痺れを切らして、続きを促そうと思った。でもその前に、彼が強い声を上げた。


「結界、破る」

「エエッ!? ダメだヨ! そんな……」




 アイラスが言い終わる前に、ザラムは深く息を吸い込んで、長い長い言霊を唱え始めた。

 魔法の言霊は、唱え始めると中断することはできない。途切れると、不完全な魔法が術者に跳ね返ってくる。

 アイラスには、もう彼を止める事ができなかった。






 途方にくれた瞬間、アイラスにもわかるくらい、強い殺気を感じた。




 ——ロムだ。




 何故だかわからないけれど、そう確信があった。誰を殺すつもりなのか、考えるまでもなかった。

 ザラムがそんなに悪い事をしたのか。自分を心配してだろうか。


 だが今、そんな事を考えている余裕はなかった。ザラムは詠唱で手が離せない。




 辺りは漆黒の闇で、アイラスには何も見えなかった。この闇のどこかに、ロムが潜んでいる。

 ただ、ザラムの手は自分の腕を掴んでいる。彼の位置はわかる。


 ザラムの身体の中心、致命傷を与えられるであろう胴に覆いかぶさった。頭と首は、腕を回して覆った。背後は壁だから、襲われる心配はない。




 その直後、ザッと間近で立ち止まる足音がした。


「アイラス……!? なんで!?」

「ロム……!」


 身体を離したアイラスを、ザラムが抱きしめてきた。長い詠唱は終わっていた。彼は再び、転移の言霊を唱えた。




 魔法の光に照らされて、ロムの姿が浮かび上がった。その顔には、困惑の色が浮かんでいた。

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