悪魔

少女は震えた

 今日はザラムも一緒に工房へ来ている。ロムとレヴィが冒険者ギルドに出かけたので、その間の護衛として来てくれたらしい。

 その事はロムが説明してくれた。昨日一日だけで、彼らはぐっと仲良くなっていた。


 本当はアイラスも一緒にギルドに行きたかった。受付のお姉さんは、刀鍛冶のおじさんの奥さんだと聞いている。一度会ってみたかったが、レヴィにさぼりすぎと叱られてしぶしぶ諦めた。


 今描いている絵が終わったら、またゆっくりした生活に戻るだろう。そうしたら紹介してもらおう。


 子供のアイラスに絵を依頼する人なんて、あの騎士団長以外に居ないと思う。精々スケッチを描いて売るくらい。

 今度はザラムの絵も描いてみたいと思う。




「臭い。何、してる?」

「絵の具の臭いだネ。絵を描いてるんだヨ」

「絵……?」


 ザラムは生まれた時から目が見えないんだろうか。もしそうなら、絵という概念がわからないのかもしれない。


「肖像画……えっと、人の顔を描いてるノ。騎士のグリフィスさんに頼まれて。グリフィスさんが好きな女の人なんだヨ。いつでも顔が見られるように、飾っとくんだって」

「なぜ? 本人、会えない?」

「女の人ネ、亡くなってるノ……」


 ザラムが珍しく絶句した。なんて答えていいかわからないという顔をしている。ここまでうろたえるとは思わなくて、アイラスの方が驚いた。


「……どんな、人? 触ったら、わかる?」

「絵は平らだからわからないし、絵の具で手がベトベトになるから……」




 念話で絵は伝わるんだろうか。トールが、念話は心の会話だと言っていた。伝えられた心を自分の言葉やイメージで置き換えるから、言葉がわからなくても会話が成り立つのだと。ザラムに絵の、いや視界の概念が無いのなら、結局ダメなのかもしれない。


 それでもと思って、ザラムの手を取った。そして墓場で見た女性、フランさんの顔を思い浮かべた。優しく、悲しそうに微笑んでいた顔を思い浮かべた。


 ザラムが手にぎゅっと力を込めた。何かが伝わったのかもしれない。




「綺麗……」


 ぽつりと呟いた。


「ウン、綺麗な人だったヨ」

「見えたら、良かった……」

「エッ?」

「お前の絵、見たい」

「う、うん」


 ちょっと、どう答えていいかわからなかった。嬉しいのは嬉しいけれど、盲目の人にそれを言っていいんだろうか。見えない事が余計に辛くなったりしないだろうか。

 返答に困っていると、ザラムが手を離した。今の戸惑いが伝わってしまったのかもと焦った。


「ゴ、ゴメン……」

「なぜ、謝る?」

「エェト……」




 不意に、空気が波打った。何か良くないものが近づいてくる感覚があった。

 あわてて立ち上がる。ザラムとトール、リンドも同じ事を感じているようだった。


 ザラムがそばに立てかけていた刀を手に取った。トールが工房の入り口からゆっくり外をうかがった。


「ふせろ!」


 ザラムの叫び声で、トールがすばやくかがみこんだ。そのすぐ上を何か白いモノが通った。通り抜けざまに入口上部が破壊され、木が粉々になってトールに降りかかった。


「トール! 大丈夫!?」

「何じゃ、あれは……?」

「なんで……!?」


 ザラムが信じられないという口調でつぶやき、外に飛び出した。


「気を付けよ! 強い魔力を感じる……!」


 アイラス達も後を追って外に出た。




 そこには、白い悪魔と形容するしかないモノが居た。首と手足が異様に長い人に、翼が生えたような形をしている。皮膚も、所々に生えた羽毛も白く、目と口にあたる部分だけ黒く空洞になっていた。


 白い悪魔が高く上昇した。対峙していたザラムを飛び越え、アイラス達を狙ってきた。いや、トールを目掛けて急降下してきた。速い。避けられない。


「トール!!」


 雷が落ちたような音が響いた。

 強い風が吹き、あおられてアイラスとリンドが後ろに吹っ飛んだ。打ち付けた身体の痛みに耐えながら、顔を上げてトールが居た場所を見た。


 振り下ろされた悪魔の爪が、彼の張った魔法の防御壁に阻まれていた。


「正解。お前、避けられない。あいつら、頼む」


 トールは余裕がないのか、返事をせずに言霊を短く唱えた。アイラスとリンドの周囲にも、魔法の防御壁が張り巡らされた。


「来い。オレしか、食えないぞ」


 ザラムが挑発するように笑った。白い悪魔は高い金切り声をあげ、彼に向かって一直線に飛んだ。




 その剣筋は、アイラスには見えなかった。ロムより早いかもしれない。何が起こったか、わからなかった。白い悪魔が地に落ちた。ザラムは刀を鞘におさめた。


「一匹、か……?」

「やったのか?」

「死んでる。魂、ない」


 トールが壁を消し、三人はザラムの元に駆け寄った。




「おぬし、こいつを知っておるのか?」

「シン、滅ぼした」

「シンが滅んだのは、戦で使われた魔法が原因で、島が沈んだのではなかったか?」

「違う。こいつ、たくさん、出た。人、食べる。『神の子』、島ごと、消した」


 ザラムは辛そうな顔でうつむいた。


「口、血、ついてる? 誰か、食われて、ない?」

「おぬしが真っ二つにしたせいで、口どころか全身血だらけで、ようわからんわ……」

「血、同じか……」




「ねぇ、見て……姿が、変わる……」


 震える指で白い悪魔の遺体を指した。皮膚から羽毛がパラパラと抜け落ちた。白い悪魔は、ただの人になっていった。




「人……なノ?」

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