心の傷

少女は目を覚ました

 温かい感触に、アイラスは目を開けた。目の前には明るい金の髪が揺れていた。首に息が当たってくすぐったい。


 ——何? 今、どういう状況?


 身じろぎすると金髪が揺れて、触れ合っていた身体が離れた。蒼い目が心配そうに顔を覗き込んでくる。頬に残る涙の跡が痛々しかった。


「ロム……」


 口を動かすと、血の味がした。口の周りに何かがこびりついていて喋りにくい。すぐにそれは乾いた血たとわかった。


 何が起こったのかわからなかった。自分の胸に刀を突き刺したのは夢だったんだろうか。夢だったのなら、この血は何なのか。現実なら助かるはずがなかった。


 抱きかかえられていた膝から降り、地面に座り込んで自分の胸を見た。服とマントには穴が開いていたが、その奥の肌には傷一つなかった。


 穴から小さく膨らんだ胸が覗いていて、見えはしないかと気になった。

 穴を隠すように胸を抱いたら、ロムがマントを二枚拾って来た。アイラスが預かっていた、彼とザラムの物だった。その一枚を肩にかけてくれた。使い込んだ方だったので、ロムの物だと思う。




「私……どうなったノ?」

「みんなが助けてくれたんだよ。俺、何もできなかった……」


 あれが現実だったのなら、言いたい事は山ほどあった。なぜ逃げなかったの? なぜ目を閉じたの? でも今の彼を見ると、責める言葉を口にすることはできなかった。




「アイラス……お願いだから、俺の前から、居なくならないで……」


 アイラスは答えられなかった。自分のした事に後悔はなかった。同じ事が起こったら、また同じ行動を取るだろう。今のアイラスに、ロム以上に大切なものはなかった。

 だから、答えない自分を棚に上げてロムの手を握りしめた。


「お願い。生きる事を諦めないで。何があっても、それだけは諦めないで」


 ロムは首を横に振った。駄々をこねる小さな子供のように見え、愛しさがこみ上げてきた。


 なぜこの少年は、あんなに強いのに、武術大会で優勝できるくらい強いのに、こんなに弱々しく儚げなんだろう。

 強くて、優しくて、真面目で。でも心はガラスのようにもろい。表情は静かで大人っぽいのに、時々とても幼い顔を見せることがある。そういうところに、アイラスは惹かれていた。




 ロムの肩越しに、リンドを抱えて座るトールの姿が見えた。自分が彼女に何をしたかは覚えていた。レヴィも傷つけた。そういえばその姿が見当たらない。彼女が突っ込んで崩れたテントは、どこにも見当たらなかった。片付けられたんだろうか。


 立ち上がると、少しだけふらついた。支えようと差し伸べられた手を取り、顔を見上げて聞いてみた。


「レヴィはどこ?」

「あの刀を持って、ニーナと一緒に帰ったよ」

「無事なんだネ、良かった……」


 刀を持って行ったという事は、ニーナがあれを調べてくれるのだと思う。なんであんな刀が含まれていたんだろう。他の武器とは違って、立派で異質だった。大会運営が用意した物とは、とてもじゃないけど思えなかった。




「操られてる時も意識があったの?」

「ウン。でも勝手に動く身体を止められなかった。だから、方向を変えたノ」

「そんな事、しないでよ……」


 大きなため息がカンに触った。カッと頭に血がのぼり、繋いでいた手を振り払った。


「……ロムのせいだヨ!」


 言わずにおこうと思った言葉が、口をついて出てきた。


「ロムが、逃げないから! 諦めるから! ……なんで目を閉じたノ? 私の手で、ロムを殺すなんて、絶対に、イヤ!! そんな事するくらいなら、私が死んだ方がましだヨ!!」

「でも……」

「でもじゃない!」

「喧嘩、するな」


 ザラムが呆れ顔で割って入ってきた。


「お前、歩けるか?」

「あ、うん」

「じゃあ、歩け。帰るぞ」


 ザラムはロムの後方で座り込んでいるトール達を示した。


「あいつら、動けない」


 そう言って歩き始めたので、あわてて後を追った。ロムもとぼとぼとついて来ていた。




 トールは、近づくアイラスから目をそらさなかった。ずっと優しい目を向けてきていた。それが少し恥ずかしくて、顔を伏せてリンドを見た。


「リンドは大丈夫なノ?」

「気絶しておるだけじゃ。傷は軽い」


 トールは、しゃがみこんだアイラスの頬に手を触れた。


「無事で、良かった……」


 絞り出すような声だった。だから視線を彼に戻し、目を合わせて言った。


「……心配かけて、ゴメン……」

「気にせずとも、良い」


 そう言っていても、この優しい獣がどれだけ心を痛めたか、アイラスにはよくわかっていた。

 かける言葉は見つからず、首にしがみつくように抱きついた。なでてくれる手が嬉しかった。




「大会はどうなったノ?」

「閉会式は中止となった。当然じゃの。賞金と賞品は、後日保護区に届けてくれるそうじゃ。先程アドルが来て説明してくれての。おぬしを大層心配しておったぞ?」

「そっかァ……」


 ザラムがリンドの傷を癒していた。それが終わると、トールが声をかけた。


「すまぬが、歩く力が残っておらぬ。魔力に余裕があるなら、わしとリンドを変化させてくれぬか? その方が運びやすかろう」


 ザラムは無言で頷き、二人に対して変化の言霊を唱えた。トールは猫に、リンドは小鳥になった。彼女の意識は、まだ戻っていなかった。




 リンドをザラムに託し、トールを抱き上げた。ロムが代わるよと声をかけてきたが無視した。まだ彼に腹を立てていた。

 歩き始めると、後ろから呼ぶ声が聞こえたが、振り返らなかった。

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