少年は魔法使いに会った
ニーナの館に着くと、門の前で狼がお座りをしていた。二人と一匹が近づくと立ち上がり、道案内をするように先に歩いて行った。
「俺が来た時は、いつもこいつが迎えてくれるんだ」
ロムは慣れた足取りで歩いて行った。トールを抱えたアイラスも後に続いてきた。
門をくぐると同時に、トールの様子がおかしくなった。耳が垂れ下がり、尻尾が足の間に入っている。すっかり怯えている。ニーナが何か話しかけてるのかなと、ロムは少し同情した。怒ったニーナは怖いから。
案内された部屋に入ると、黒いドレスと黒いベールで身を包んだニーナが、怖い顔で座っていた。
アルビノで光に弱いニーナは、昼間なのにカーテンを閉め、明かりも少ない。部屋が暗く、本人は黒い衣装で、表情も険しいものだから、とても迫力がある。そして何も話さない。きっとトールと話してるんだろうなぁと思ったけれど、いつ終わるとも知れない二人の話を待つ訳にはいかない。
「こんにちは、ニーナ」
ロムが遠慮がちに声を掛けると、ニーナははっとしてロムを見た。
「あっ……ごめんね。そこの化け猫は古い馴染みでね。つい……」
ニーナは取り繕うように、ぎこちなく笑った。ニーナのそんな顔は初めて見た。聖母のように笑うニーナより、少しだけ親近感を覚えた。
「話は一通りそこの化け猫から聞いたわ。冒険者ギルドにどう報告するかも考えなくちゃね。とりあえず、みんな座って」
ニーナが示した先にある、豪華なソファに二人は腰を下ろした。軽いアイラスは、ソファの弾力でふわんと浮き上がってニコニコしている。ニーナがアイラスの隣に座って、彼女の手を取った。トールはいつのまにか、ニーナから一番遠い位置に移動していた。
「トールも人型になってくれる? 話しにくいったらありゃしない。この館の中なら大丈夫だから。……はい! さっさと変化!」
強い口調で言われ、トールは仕方なく、後ろ足で耳を掻いた。赤い耳飾りが揺れると同時に、表面に何か文字が浮かび上がるのが見えた。トールの身体がわずかに光り、輪郭が揺れた。光が消えた時には、そこには人の姿となったトールが居た。
あの耳飾り、魔法補助具かな? ロムは横目でしっかり見ていた。
人の姿になったトールを見て、ニーナは一瞬だけ優しい表情をしたが、すぐ消えてしまった。こんなに表情がコロコロ変わるニーナを、ロムは見た事がなかった。なんだかんだ言って二人は友人なんだと思うと、少し羨ましくなった。
「まず認識証を渡しておくわね。これが無いと保護区はおろか、この街には住めないから」
ニーナはアイラスの手に、小さな金属の板を握らせた。いつ用意したのか、すでにアイラスと名前が入っていた。名付け親と主は空欄で、使い魔が……赤い小さな石?
「それはトールを表しているの。彼、赤い石の耳飾りを付けているでしょう? 使い魔には、何かしら石を使ったアクセサリを付けることになってるの。使い魔である証拠ってわけ。使い魔を名前で呼ぶ魔法使いばかりではないから、名前の代わりに同じ石を付けるのよ」
ニーナはアイラスの手を握ったままなので、思念で同じ内容を伝えているんだろうなと思った。
「わしとアイラスの正体を、明らかにしてよいのか?」
「この街には私の他にも魔法使いが何人か居るの。魔法使いであることはバレる可能性が高い。隠さない方がいいわ」
「でもトールが使い魔って…」
それだと立場が逆だ。トールがアイラスの『真の名』を知った事は伝えてないのかな。部外者の自分が言っていいのだろうか。悩みながら、ロムはトールを見た。彼はニーナと目を合わさないように横を向いていて、顔が見えなかった。
その様子を見て、ニーナは苦笑しながら言った。
「事情は聞いているわ。でも獣に支配された人が居るとわかったら、色々問題があるのよ。だから三人共、その辺はしっかり口裏を合わせてね」
ニーナの言う意味はわかる。でもロムには不安があった。
「でも、魔法使いには『繋がり』が見えるんですよね?」
「それはちょっと違うわね。普通は『繋がり』を見ることはできない。だけど、確認する方法はあるわ」
心配するロムに、ニーナはいつもの笑顔で話を続けた。
「でもね、その方向がわかるのは本人達だけなの。周りからはどっちがどっちを支配しているかなんて、わからないのよ。ましてや獣に『真の名』を教える人なんて居ない。人と獣の間に『繋がり』があれば、当然人が主で獣が使い魔だと思うし、本人達がそう言えば疑われやしないわ」
改めて説明されると、本当に面倒な事になったんだなと呆れた。
「『繋がり』を消すことはできないんですか?」
ニーナはちらっとトールを見て、それから答えた。
「ええ、無理ね。でも心配しないで。トールはバカだけど、人に危害を加えたりは絶対にしない。支配権も、使う事はないでしょうね。その点は私が保証するわ」
「記憶の操作はせんのか?」
突然トールが口を挟んだ。物騒な事をあっさり言うので驚いた。この場合、操作されるのは自分だけだろうから。
「そんな事しなくても、ロムなら大丈夫よ。それより、人型になった時の姿がソレだと困るわ。『神の子』であることも絶対秘密よ。形はそのままでいいけど、色合いはさっきの猫みたいな茶系にしてね」
トールは不満そうだったが、わかったと小さく頷いた。不満に思ったのは、自身の色を偽る事か、ロムに秘密の記憶が残る事なのか。そこまではわからなかった。
「後は冒険者ギルドになんて報告するかだけど……嘘を付くには真実を織り交ぜた方がいいわ。トールとアイラスの支配関係と、トールが『神の子』であること以外、全てありのままを話すの」
三人は顔を見合わせ、それからまたニーナを見た。
「筋書はこうよ。ロムは森で魔法使いに会った。アイラスは記憶を失い、森を彷徨っていた」
「被害届には、どう言えばいいですか?」
「あれはアイラスじゃなくて、トールを……『神の子』を狙って返り討ちにあったのよ。ギルドには、そうね……使い魔が主人を守ろうとした……正当防衛とでも言っておいて」
「わかりました」
「向こうにもやましい事があるのだから、深くは追及されないでしょう。被害者は把握しているから、『神の子』の記憶は近いうちに消しておくわね。アイラスの素性については、私が調べているとでも言っておいて」
話は矛盾も無さそうでいいけれど、ロムには別の心配事があった。
「トールに上手く嘘が付けるとは思えないんだけど……」
「確かにそうね!」
ニーナは心底おかしそうに笑った。トールはバツが悪そうにそっぽを向いた。そういうところだよ……とロムは呆れた。それにしても、声を立てて笑うニーナも初めて見た。今日はニーナの新しい一面を沢山見た気がする。
「大丈夫。トールはずっと猫の姿で居ればいいわ。使い魔の変化は、魔法使い側が行う場合が多いの。よっぽど信頼していないと、使い魔に魔法補助具を与えないからね。アイラスは言葉がわからないのだから、もし変化を求められても、とぼけておけばいいのよ。猫のままだったら詰問もできないでしょ?」
「じゃあ、ギルドでは俺だけが話すんですね」
「そう。頼んだわよ」
「わかりました」
「最後にもう一つ。魔法使いでも認識証があれば、普通の子と同じように保護区に入れるわ。でも、使い魔の餌代は出ない」
「ちょっと待て! わしは自分の食べる物くらい自分でなんとかするぞ」
「街中に野生動物なんて居ないわよ。何を捕食する気?」
ニーナに睨まれて、トールは言い返せない。
「『繋がり』がある以上、アイラスとトールは離れない方がいいわ。だからアイラスは、お金を手に入れなければならない。その辺りは、ロムが助けてあげてね。アイラスみたいな子供でもお金を稼ぐ方法、あなたなら知っているでしょう?」
急に頼まれて驚いた。アイラスが保護区に入ったら自分の役目は終わりで、彼女ともトールとも関わる事は無いだろうと思っていた。でもそれは、嫌な事ではなかった。
「でも、それなら俺が稼いだ方が……」
言いかけたロムを、ニーナは手で遮った。
「使い魔の世話も、魔法使いの大切な役目よ。アイラスがこの先、魔法使いとして生きるなら必要な事なの。それができるよう教えてあげて頂戴。もちろんトールを使ってもいいのよ。使ってこその使い魔だしね」
「わかりました」
そういえばトールは、建前だけとはいえ自分が使い魔になる事に不満は無いんだろうか。他の事にはいちいち異議を申し立てていたが、その点だけは何も言っていない。ロムにはわからないけれど、不老になると悟りの境地にでも至るのかなと、ぼんやり考えていた。
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