庭のキリン
安良巻祐介
◇◇◇
「ねえ、キリンがいる」
部屋で遊んでいた子どもが、そんなことを言いに来た。
彼は今日で五歳になる。ちょうど、誕生日の贈り物について思案していた私は、古テレビで動物番組でも見ているのかと思い、
「アフリカ…サフアリかい?」
そう聞いたら、「ううん、へやの外」と答えた。
部屋の外。いったい何を見間違えたのだろう。立ち上がり、子どもの後についてゆきながら、ははあ、さては窓から見える雲の形だな、詩的な感性をしているものだ…などと考え、「わかった、お空を走るキリンだ」と言ってみると、「違うよ。へやの窓のすぐ外。お庭にいるんだよ」と返って来たので、ちょっと混乱した。
「庭って、そこの庭にキリンがいるのかい」
「そうだよ。座ってるんだ」
「座ってる」
私が何度も聞くのが鬱陶しいのかもどかしいのか、子どもは幾らかいらいらした調子で、
「座ってるんだよ。服も着てる」
などと言う。
「服を着て座るキリンだって…」
私は訳が分からず、頭に巻いた汗取りのタオルを掻きながら、鸚鵡返しをするしかなかった。そんなものがいるのは、あのヘソの曲がったテレビ──拾い物のせいか、少しおかしな色で物事を写す、あの頑固で古い機械──の、教育番組の着ぐるみか、
しかし、子どもの顔は、ふざけている様子でもない。
狂言でないとすれば、何かそれらしきものが庭にいるという事になるのだが…
彼のあとについて、子ども部屋に辿り着く。
その中に入り、そこから庭を見た私は、わっと思わず声を上げた。
居た。
正座をしていた。
ひどく長い首を伸ばして、綺麗な着物を着たものが、揃えた膝の上に行儀よく手を乗せて、座っていた。
「ね。キリン」
子どもはそう言って笑ったが、私はそれが全くキリンなどではないことを知っていた。
庭に降り、正座しているそれの元へ近づくと、ううんと唸った。
――確かに、首は長いし、まつげも長いが。
――そこだけじゃないか。
島田を結い、簪をさした、美しい顔だった。
色打掛けを羽織り、裾を丸くした絵踏衣装の姿で、なよやかにしている。
膝の上に置いた手にもヒヅメなどはなく、綺麗に手入れされた指先が、白魚のように優しい。
そして、その首はすべすべと異様に長く、大蛇のそれのように、鎌首をもたげている。
首の先の顔は、
――舌も、キリンに似ているかもな。
私はため息をついて、そいつの体を、どっこらしょと抱きかかえた。
「あら」
驚く声を上げたそれに、「この子には、母も姉もないのだ。見る限り、なかなかに教養のある姐さんのようだから、ちょうどいい」と一方的に話しかけ、目を白黒させている間に、家へと連れ込んでしまった。
「わあい、キリンだ」
「お前のお姉さんだよ」
子どもの前へ座らせ、肩をぽんぽんと叩いて、事情を話すと、困惑したような顔のまま、やがて渋々と承諾してくれた。有り難い。
「誕生日おめでとう」
私は子どもにそう告げて、にっこり笑って見せた。
「…あのねえ、あやとりできる?ゲームも…」
子どものはしゃぐ声と、おろおろしながらも話をしている彼女の声とを背に聞きながら、安堵の息をつく。
ここはいったん任せることにして、一服のために、再び庭先へ出た。
男手一つ、というのも不安だったのだ。この方が、あの子のためにもよかろう。
何よりの誕生日プレゼントが出来た。
──しかし、「出る」と噂の家にわざわざ来てくれるのは、やっぱり「出る」ような奴だけか。
生まれてきた日に、おめでとう、という、何でもない……けれど一番大切な言葉をかけてやれる者が、あの子にはもっと必要だ。
頭のタオルを取り、すっかり湿ってしまった二本の角をやれやれと拭きながら、破れかけた屋根へ、ぱらぱらと通り雨が打ち始めるのを、私は静かに聞いていた。…
庭のキリン 安良巻祐介 @aramaki88
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