元治元年のサバイバルゲーム(花の秘剣番外KAC9版)

石束

元治元年のサバイバルゲーム

(守る……)


 目の前に、ちいさな颶風がやってくる。それは若侍の姿をしている。竹刀を持ち、遠目にも鮮やかな、白襷。

 色の抜けた紺袴。股立(ももだち)を取った足元に小砂利を巻き上げ殺到する。


(守れ、と……)


「と、東作っ きたぞ。師範代だっ」

「ちくしょう。あと二人は今度はどこにいるっ!」

 慌てふためく、周囲の声に応えようとして――喉の奥に「何か」が引っかかる。

「……どうする? どうする東作!」


(くそ。守らねば)


 東作は手にした槍を握りなおした。小菅道場の名物『変わり稽古』。自分めがけて走ってくるのは、道場の師範代。あの矢倉新之丞だ。自分よりも六つも下なのに、大の男どもに、休まず一刻あまりも稽古をつけ続けて、全員叩きのめす怪物だ。竹刀に対して、稽古槍の長さ重さの有利はあるが、相手は免許皆伝の師範代だ。全部、織り込んで対抗してくるだろう。

 だとしても、それでも、逃げるわけには行かない。


(……それだけは、できぬ)


 稽古だ。殴られてもいい。負けてもいい。師範代も、師も、理不尽に叱る人ではない。そこに理由があるのなら、工夫があるのなら、槍を放り出しても構わない。だが。今、東作の四肢は固くこわばっていた。「逃げてはならぬ」という声に縛られていた。いや、四肢だけではない。声も出ない。目も動かない。


 刹那。目の前を覆いつくすかのような、『雪』を幻視する。

 この金縛りの『正体』は承知している。『あの日』、自分は守るべき主君を守れなかった。いや、守るために付き従うこともできなかった。

 すべては、この身の『未熟』ゆえ。


「ぬあああああああああ」


 振り払うように。あるいは、振り切るように。

 手にした槍を突き出す。


 込めた気勢と裏腹に、それはひどく雑な打ち込みだ。あっさり躱される。なすすべもなく、彼は矢倉新之丞の竹刀に、打ち据えられた。


◇◇◇


 近江国にある、一万石ちょっとの小さな月浜藩に、晴願流の達人『小菅甚助』の道場がある。当世は剣術道場がどこも流行っていたが、晴願流は、子供や町人、女子の入門者もいとわず受け入れるのもあって、特に活気があった。ただ受け入れるのではない。その指導法が少し変わっていた。


 剣術の稽古というのは、大体、成人男子に合わせて作られていて、子供に稽古させる場合も素振りだけをさせるくらいのものだ。だが晴願流という流派は、そういった成人男子向けの稽古だけでなく、「子供用の稽古」とか「女性用の稽古」とか、「初心者用の稽古」とかがある流派だった。


 この流派に興味を持ち、小菅甚助を月浜に招聘したのが、現藩主、小橋繁之だった。繁之は継嗣のいない月浜小橋家に東北のさる譜代大名家から養子に入ったという経歴の持ち主だったが、月浜の地によほど愛着を感じるようになったのか、精力的に働き始めた。

 まず江戸・京・大阪・西国に積極的に人を派遣して情報を収集分析する。そして政情不安とみるや、かつて藩内で盛んだったものの今はすたれていた火薬の製造や、鉄砲鍛冶を復活させる。さらに人材の収集・育成に心血を注いだ。江戸や京・大阪・長崎に藩の若手を派遣し、有名な砲術指南家を領内に預かったりした。そんな身分を問わない人材登用を進める月浜藩にとって、教育対象を選ばず、むしろ教育対象や育成目的に合わせて指導法を開発する『晴願流』はまさにうってつけだったのだ。


 まあ、そんな流派なものだから、通常生まれえない人材なり、稽古法なりが、生まれることがある。


◇◇◇


『――今、貴公らは敵兵を捕らえて尋問し敵勢の情報を得ようとしてる。当然相手方は囚われの味方を取り返しに来る。この時計で、そう……十分間守り抜けば、援軍が来る、としてみよう。この時計がある限り何度でも同じ条件で繰り返し、訓練することができる』

 二本の針が動くさまを指さして、如何にも才走った男が言い放つ。

『この十分間。土蔵の奥の間を守り切れば、守り手の勝ち。攻め抜いて仲間を救出すれば、攻め手の勝ち。さあ! 諸君! 勝敗や、いかに!』


という、小菅道場の門下生の一人、藤居駿斎の言葉で始まった今回の『変わり稽古』であるが、最初はいろいろ問題が出た。


 まず、「斬られたか、斬られてないのか」わからない。


「上堂どの! みさえが背中を斬りました!」

「いいえ! 届いてません!」

「(むか)届きました!」

「(むか)たとえ届いていたとしても、わからないほどです。あたった内に入りません!」

「いてっとか、おっしゃったではありませんかっ!?」

「いってません!」


 まさか真剣でやるわけにもいかないので、木刀である。ケガをさせるのも本意ではない。軽く打てば、その成否はあいまいになる。ついでに熱も入ってくると、うっかり斬られたら、悔しくて認めがたい。

 それが「斬った」「斬ってない」の押し問答になれば「やめんか馬鹿者」と結局、師匠に怒られてしまう。


 新之丞が手を挙げた。


「斬られた後、どうするかも決めておかねばなりません。斬られたフリも兵法の内ですが、今日の場合は稽古自体が成り立たぬようにも思います」


 ふむと、あごに手をやって甚助が「東作」と声をかけた。


「いかに考える?」

「は。……」と言われて少し迷って、返答した。


「確かに。『自分は斬られた』と正直に手を止めているのに『お前は何をしている』と言われるのは、少々つらいものがありますな」


 ぐじぐじと心の奥でにじむ痛みにふたをして。東作は言葉をつづけた。


「全員、白襷をするのはいかがでしょう? 斬られたら自己申告で襷をとってその場にしゃがむとすれば言わずともわかるかと」


 うむ。と師が頷く。なるほどと、師範代が頷いた。彼はいつも素直に納得を顔に出すので、しゃべっていて、ほっとする。


 すると「はい。」と又、手が上がった。

 師匠の息女、加代殿だった。


「木刀を使っておりましたが、竹刀に持ち替えましょう。竹刀ならあたった時に音がしますので、打突の成否が明確になります」


 意外といっては失礼だが、さすが名人小菅甚助の娘。普段稽古場に来ないので知る機会がなかったが、師範代とも互角に打ち合う姿には肝を抜かれた。いうことにも筋が通っている。


「それでも、勝敗が微妙なら……はる様。何かありませんか?」

 呼ばれて、今度は水口藩から入門してきた三雲はるが小さなツボを取り出した。

 何の変哲もない信楽焼のツボである。

「お団子に色を付けようと作った色粉ですが、調合に失敗しまして。でも、今回はこれがお役に立つのでは、と」

 みなの視線があつまる。はるは少し怯んだが、息を吐いて背筋を伸ばした。

「その。もったいなくて捨てられなかったのですが。色が赤すぎて、ちょうど血の色っぽく」

 もったいない、とは、いずれ誰かに食わせるつもりだったのだろうか。と思ったが、常識人の東作は、口には出さなかった。


 と、このように様々な工夫をしながら、この日の『変わり稽古』は続けられていった。


 ◇◇◇


「師範代」と東作が呼びかけたのは、四度目の攻防が終わってからである。

「はい。」といつも通り、自然体で振り返る彼に、素直に尋ねてみた。

「師範代なら、どのように守られますか?」

 自然丁寧な口調になる。東作は彼に、何か測りがたいものを感じていたので、自身のそれにまったく不審はもたなかった。


「わたしは槍は不得手ですが……しかし、そうですね。嫌なのは、やはり振り回されることですね。間合いの不利は如何ともしがたい」

 それが槍の有利、なのであるが。

「そうおっしゃるのは、ご自身も工夫がおありなのでしょうな」

「無論です」

 この達人はこともなげに笑った。そうであろうと、東作も思った。

「それと、東作殿。『一人で守ろう』となさらぬことです」

「……」

「稽古ですから。東作殿。色々と工夫をして、失敗をすればよいのだと思います」

「失敗、ですか」

 ぐらり、と自分の何かが揺れるのを感じながら、東作は表面と繕う。

「師範代は失敗しそうにありませんが」

「いいえ。失敗してばかりですとも。――では」

 がんばりましょう。と声をかけて、開始位置につく背を、東作はしばらく眺めた。


 ◇◇◇


 そして、五度目。


 東作は指示を飛ばして、土蔵入り口を固めた。師範代側についている二人は無視した。土蔵の中にも、人は配置されている。

 二人でも三人でも止められなかった師範代を、人数すべて四人がかりで抑え込むことにした。


 そして、先ほど聞いた通り、師範代が言った通りに、彼の嫌がることを。

「ぬうん」

 

 槍を振り、距離を測って、その場に押しとどめる。また、足を狙った。踏み出しをつぶして、相手の「見」を揺さぶる。

 ――と。

 新之丞が、懐に手をやったのが見えた。

 飛び道具!

 とっさに、自身を庇おうとして――東作は踏みとどまった。

 ばっと、両手を広げて、受けて立つ。そして、いっそう大きく大きく槍をふるう。


「ぬあああああ!」


 東作は闘志を振絞った。


 ◇◇◇◇


 五度目の攻防も、やはり、土蔵前は突破されたが、新之丞も捕虜を救出できなかった。

 師の講評では、五度目にして東作が一番手柄と褒められた。

 六度目が始まる前に新之丞が歩み寄ってくる。


「お見事でした。東作殿」

「師範代が、飛び道具を使われていたら、わかりませんでしたよ」

 その後で「はた。」と思い当たった。

「あれは、もしや、はったりでしたか?」

 新之丞は懐から、何やら取り出した。

 色粉を塗した小石だった。

「はったりではありません。確かに使うつもりでしたとも」

 と、はかなげで優しい笑顔を浮かべた後で

「これが私の奥の手でした。が、東作殿が覚悟を決めておられたので使えませんでした」

 新之丞はまっすぐ東作をみた。

「苦無なり小柄なり。その身に受けてもよい。と覚悟されたのでしょう? 自分が、けがをしても、あるいは倒れても誰かが守る、と、思われたのでは」


 ああ、そうか。と、東作はおもった。


「はい」


 新之丞は、おめでとう。と、小さくいった。


「越えられましたな。東作殿」


 師範代にそう言われて、ようやく東作もそんな気がした。


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元治元年のサバイバルゲーム(花の秘剣番外KAC9版) 石束 @ishizuka-yugo

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