錯覚ヒステリー

かきはらともえ

魚釣木しらすと、最後の謎解き。


     1.


 僕という人間が生涯を振り返ったとき、きっと、この高校の四年間を思い返すことになるだろう。

「ってだぶってるじゃないですか、柏木かしわぎ先輩」

「うるさい」

 魚釣木ぎょつるぎちゃんから指摘を受けた。馴染みのない生徒たちと共に卒業をすることになったが、僕もこうして無事学生を終えたわけだ。

 僕がこうして、この『存在しない教室』にくるのも最後だろう。

「寂しくなりますね、先輩」

「そうだね」

 感慨深く思う。しかし、いつまでもここにいるわけにはいかない。卒業式を終えて、既に数時間。窓の外には夕日が見えている。

「僕はそろそろ行くよ」

 教室の扉を開けようとしたが、開かなかった。

 見てみると、いつの間にか鍵がかかっていた。

「あれ?」

「柏木先輩」

 振り向く。

 夕日を背にして、机に足を組んで座っている魚釣木しらすちゃん。


「先輩が卒業する前に、ひとつだけ謎解きをやっていきませんか?」


 と。

 少女はえらく可愛らしく微笑んだ。


     2.


 この学校にある七不思議のひとつ――『未練を持つ女子生徒』というのがある。

 校舎の東階段付近に、それは『出る』らしい。校舎にある入口の場所が場所だけに西階段を使う機会が多く、東階段を利用する機会は少ない。当然のことながら、まったく使わないわけではないが、西階段に比べれば使われる頻度は少ない。

 そんな理由もあってか東階段はどこか寂しげな場所で、日陰になりやすいこともあり前々から不気味な場所ではあった。


 東階段の一階で問題の幽霊とやらは目撃された。


 東階段でが佇んでいたとのことだ。

 発見した人物は驚いて声をあげたが、すぐにその女子生徒は姿を消していたとのことだ。

 うちの学校では女子はセーラー服を着ている。故に見間違いもあるだろうとのことだが、そんなことはあり得ない。


 何故ならば、


 だから見間違いはあり得ない。

 だが、この学校は昔、黒いセーラー服だったのだという。

 未練を持った過去の生徒が、ここに出現しているのだと――の、

 …………。突然出現した話の割に、七不思議にカウントされるのが随分と早い気がする。ほかの七不思議にどのようなものがあるかわからないけれど、この話を、わざわざ魚釣木ちゃんからされなくとも、僕は知っていた。

 どうせ、誰かが広めた嘘だろうと思っている。

 だが、同時に。

 本当の幽霊かもしれないとも。


     3.


「幽霊なんて存在しません」

 魚釣木しらすちゃんは否定した。

 僕からすればきみという幽霊がいるから一概に否定できないのだけれど……。

「にしたって、何人も見たって聞いたぞ。嘘や作り話にしては広まり過ぎじゃないか? 作り話にしては偉くシンプルだし、ここまで広まってるのに噂が飛躍し過ぎてないだろ? その幽霊が血まみれだったとか、追い駆けてきたとか、何か言ったとか。そんな風に広まってもおかしくないだろ」

「逆ですよ、柏木先輩」

「逆?」

「尾鰭背鰭のつかない噂話なんてないんだよ。だからその話自体が尾鰭背鰭のついた話なんですよ」

 ついた……あと?

 幽霊を見かけたというだけの、ただ見かけただというだけの内容で、既に尾鰭背鰭がついている?

 話が、既に盛られている?

「話なんてものは人を介するだけで絶対に変化するですよ。人に話をするときってさ、ありのまま伝えることって少ないじゃないですか。わかりやすく説明しようとか、面白いと思ってもらえるようにちょっと大袈裟に説明しようとか。人を一度でも介した時点で話は変わってしまうんです。私が思うに――誰も幽霊なんて見ていない」

「でも、火のないところに煙は立たないっていうだろ?」

 誰かが見たからこんな噂が流行ったのだろう。

 誰も見ていなければ、噂なんて――噂になんてならない。

 でも。魚釣木ちゃんは今の状態で『話が盛られている』と言っている。

 目撃したって情報を、盛って……。

 それなら『元』はどういうものだったんだろう?

「柏木先輩。おかしくも何ともないですよ。ちょっと散った火花を――小火騒ぎにまで変えるのが民衆の力です。小火騒ぎを、大火事に変えるのがマスコミの力です。これほど些細な問題が、これほどにまで大流行したのには、当然それ相応の理由があるんですよ」

 言ってしまえばしょうもないこんな話が大盛り上がりしているのはおかしな話だ。しかも、そんな話が随分と続いていて、それでいて七不思議なんてもののひとつにカウントされてしまった。


「話題がなかったからです」


「…………? 話題がなかった?」

「そう、ほかの話題。ほかに流行しているものがなかったんですよ。たまごっちとかポケモンとか、モンハンとか、そういう流行しているものがあるときって、ほかのものが話題になることって少ないじゃないですか」

 えらく古いのを比較に出してきたなあ。たまごっちって。世代じゃねえよ。

「それらの話題がない――うーん、無風っていうのかな? 風が吹いていると、ちょっとした火花は流されて火にはなり難いけど、でも、無風なら――扱い次第じゃ火花も火に変わるじゃないですか。風が吹いてるときのほうがウイルスとかも流されて散り散りになるけど、無風ならその場所に停滞するじゃないですか。『流行がなかった』『話題がなかった』ってのが、これほどまで話が広まった理由だと思うんです」

 どんな場所にも、人が寄り付かない場所はどうしてもできてしまう。誰かが、そうしたわけではなく、誰かが始まりではなく――みんながそうするからそうなる。


 みんなが寄りつかないから誰も寄りつかない。


 幽霊が出たと言われている場所だって、この『存在しない教室』がある場所だって、そうだ。

「この話が、これほどまで広がったのはわかったけど、じゃあ、あの幽霊の正体ってなんだ?」

「それは見間違いです」

「見間違い?」

「はい。その場所に女子生徒がいたのを目撃した。普段、誰も寄りつかない場所にいたから不気味に思ったとか、そういうのが始まりだったと思います」

「でも、真っ黒なセーラー服を着てたって話あるけど、あれは何なんだ? 真っ黒なセーラー服って部分が盛られた部分なのか?」

「半分正解です。真っ黒の『真っ』の部分が盛られた部分だよ」

「…………?」

「目の錯覚ってやつですよ。背景の色とか、位置とか。そういうのから本当は白いはずなのに、黒く認識しちゃう。丁度この場所がそんな錯覚が偶然起きる場所なんですよ、あの場所は」

「……へえ、凄いな。ええっと、つまりはここにいた女子生徒を目撃した奴は、昔使われていた色のセーラー服を着てるものだから不気味だと思って、それを友達とかに話して広まって行った……ってこと? ん? いや、それっておかしくない?」

「うん、おかしいですよね。柏木先輩の言い方だと、どうして目撃者は黒色のセーラー服が昔使われていた制服の色だと知っているのかってことになっちゃいますよね」

 不敵に笑う魚釣木ちゃん。

「まあ、いろいろと知る方法はあると思いますけど、別にこの場合。昔のセーラー服が黒だったって情報は知らなくてもいいんですよ。ただ、普通とは違うってだけでいいんだよ。昔のセーラー服にそんなのがあろうとなかろうと――よ。適当に言っておけば、群衆が意味づけしてくれるんだから」

 だとすれば、同じような幽霊を目撃したというのも納得がいく。

 行動力のある輩は既に探索をしにきているのだから、同じような現象に見舞われた者も少なくはないだろう。そこで真相に気づいた者もいるだろうけど、どれだけ真実を告げても――つまらない真実を告げても、面白そうな噂に流れて、流行に乗れない。

 真実に気づいた者たちの中にも、ただ煽るような、囃し立てるような輩もいるだろう。

 だから、目撃者が続出した。

「一種の集団ヒステリーみたいなものです。小さなおじさんみたいなものです。小さなおじさんは見たって人が沢山いる。周囲から見たという話を聞き続け、やがて信じ込んでしまい存在しないものを見てしまう。脳が、そういうふうに認識してしまう」

 結局のところ、見たものを見たと認識しているのは脳である。

 脳が見たと認識すれば、目で見ていずとも見たことになる。

「なるほどね……。それにしたって、魚釣木ちゃん。僕はこの話に聞き覚えがあるんだよ」

「そりゃあ七不思議ですからね」

「そっちじゃなくて、目の錯覚のほうの話」

「先輩。よくよく思い出してください。?」

「二〇一五年の三月だろ?」

「ネット上で、『何色に見える?』というワンピースのツイートが流行したのって、最近じゃありませんでしたっけ?」

「ああ……。なるほどね」

 既視感の正体はそれか。

 これもあって、面白がって話の流行に拍車がかかったのか。


「――なんだか、魚釣木ちゃん。きみと離れ離れになるのは、寂しいよ」

「そう言っていただけただけで、私は幸いです」


 ――――先輩に殺されて、よかったです。


 その言葉に、僕は苦笑いを浮かべる。

 がちゃん、と。扉の鍵が開く。

「ああ、柏木先輩。最後にひと言だけお伝えしなければならないことがあります」

「ん? なんだい?」


「卒業、おめでとうございます」


 そういえば、まだ魚釣木ちゃんからは言われていなかった。

「ありがとう。きみと出会えてよかったよ」

 言ったときには、僕は廊下にいて、『存在しない教室』への扉も消えていた。

 まるで、四年間通い続けた日々が夢だったかのように。

 ふと、耳元で声が聞こえた。

 だけど、それはきっと気のせいだ。

 だって、幽霊なんていないのだから。



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

錯覚ヒステリー かきはらともえ @rakud

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ