人生に「おめでとう」がたくさんあった

橘花やよい

人生に「おめでとう」がたくさんあった

 ――他人の出来事を、自分のことのように喜べる人になりなさい。


 彼女は母からそう教えられて育った。

 彼女は母の教えを忠実に守ろうとした。

 母は人気者だった。誰にでも優しくて、人の話を聞くのがうまくて、みんなに好かれていた。彼女は母のことを尊敬していた。そんな母からの教えなのだ。彼女は喜んでその教えを受け入れた。


 誰かがゲームで勝ったとき、彼女も一緒に喜んだ。誰かのテストの成績が上がったとき、彼女も一緒に飛び跳ねた。誰かの恋愛が成就したとき、彼女も一緒に喜びの声をあげた。

 そうして母の教えを守っているうちに、彼女もまた母と同じように人気者になった。

 彼女といると会話が弾むと、みんなが口々にそう言った。

 やはり母の教えは正しいのだと、彼女は喜んだ。



 高校生のとき、彼女には好きな人ができた。

 読書が好きな男子生徒だった。最初はあまり話をしてくれなかったが、次第に打ち解けてよく話をするようになった。

 普通の人とは違う、独特のテンポで話す生徒だった。彼女はそんなところを気に入っていた。


「僕はあまり話すのが得意じゃないけど、君と話すのは好きだな」


 はにかみながら彼はそう言った。彼女はとても嬉しかった。



 ある日、彼は「好きな人ができたんだ」と言った。彼女はどきりとした。もしかしたら――と期待した。しかし、彼の口から出たのはクラスメイトの女子の名前だった。


「そっか、おめでとう」


 彼女は笑った。

 本当はとてもショックだった。けれど、彼にとって誰かを好きになるということは、きっと素敵な出来事なのだろうと思った。そして、自分も一緒にその出来事を喜ぶべきだと思った。彼女はそうやって生きてきたのだから。

 彼は「照れくさいな」と言って頬を染めた。恋愛には疎いから相談に乗ってくれないかと彼女に言った。彼女はすぐに承諾した。

 そうして、彼女は何度も彼の相談に乗った。彼が楽しそうに好きな人の話をすることを喜ばしく思わなくてはと、彼女は自分に言い聞かせて笑顔を作った。



 そのうち、彼に恋人ができた。


「そっか、おめでとう」


 彼女は笑った。

 笑うべきだ、喜ぶべきだ、そう思った。彼女の胸はずきずきと痛んだ。それでも彼女は綺麗に笑顔を作ってみせた。

 二人は高校を卒業してからも連絡を取り合った。彼はすっかり彼女に心を開いていたのだ。大学での授業のこと、恋人のこと、家でのこと、好きな本のこと、彼は色々なことを彼女に話した。



「今度、結婚するんだ」


 彼ははにかみながらそう言った。


「そっか、おめでとう」


 彼女は笑った。

 嬉しそうに彼が話をするから、彼女も笑顔でその話を聞いた。胸はずっと痛かったけれど。それでも笑顔を繕った。でも少し、頬が引きつった。

 結婚式にも参加した。

 彼も、その恋人も、とても幸せそうに笑っていた。彼女もとびっきりの笑顔で祝福をした。頬がつりそうだった。

 彼女は途中で化粧室に行くと、鏡の前で頬に指をあてて、無理やり口角をあげた。

 ――喜ばなきゃ。

 式場に戻る頃にはしっかりいつもの笑顔を貼り付けた。



「妻が妊娠したんだ」


 彼は恥ずかしそうにそう言った。


「そっか、おめでとう」


 彼女は笑った。

 うまく笑えただろうか、彼女には自信がなかった。それでも口角をつりあげた。


「ごめん、今日体調悪かった? 大丈夫?」


 彼は心配そうに彼女をみた。

 笑顔は歪なものになっていたらしい。彼女は驚いた。


「ごめんね、ちょっと今日は帰るね」


 彼女は逃げるようにその場を立ち去った。

 彼女はもう限界だった。



 翌日、彼から電話がかかってきた。


「どうしよう、妻が事故に遭ったんだ。もう、助からないって。お腹の子も」


 彼の声はとても震えていた。


「そっか――」


 彼は早口に言いたいことだけを伝えて電話を切った。誰かに話を聞いてほしかったのだろう。彼女は最初の一言以外喋らなかった。

 電話が切れて、彼女は空を見上げた。雲が一つもない、青空だった。


「おめでとう――!」


 彼女は空に向かって叫んだ。


 おめでとう、私。

 これでやっと楽になれる。

 彼女はまたとない笑顔をみせた。

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人生に「おめでとう」がたくさんあった 橘花やよい @yayoi326

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