第34話
「そういう事だ。もちろん我が局の危機管理体制には全幅の信頼を置いているが、その上でも彼女は危険極まりない存在と言える」
現在純夏の身柄は、局内の隔離実験エリアに収容されている。本来は生け捕りにしたレプタイルなどが入れられるその場所は、最初に彼女が運び込まれた隔離医療施設とは違い、例えママルであっても中からの脱出は不可能な設備になっている。
総司からすればそれは必要以上の厳格な拘束だが、純夏が局の設備を破壊した上で脱走した経緯がある以上は妥当な扱いだった。
「はっきり言っておくが、私はあくまで公正な立場だ。彼女が局員を傷付けた事も施設を破壊した事も、鑑みた上で結論を出す」
それは立場ある大人だからこその言葉だった。何も背負わず、自分と自分に近しい者の事だけを考えていればいい総司とは違う。
だからこそこうして言葉を交わし、大人と同じ視点に立とうとするのが、子供が大人になる過程なのだろう。
「……あいつは、ファニー・ジョーに勝った」
少し考えて、総司はそう口を開いた。
「暴走とか本能とかじゃなく、戦って勝利したんだ。人の手でママルに勝ったのは初めての事だろ。あいつは戦力になる」
「根拠薄弱な力は戦力として数えられん。あの症状については分からない事が多すぎる上、本人は昏睡しているんだぞ。そもそもママルに勝ったと言っても、一騎当千の強さというわけではあるまいに」
「だったら実験でも何でもすれば良い」
表情を硬くしたまま、総司は勢いに任せて言い切った。ここは正念場だ。口先の罪悪感に躊躇う事は出来ない。
「超法規的措置が取れるんだろ。殺せるんなら調査実験くらい容易いハズだ。あいつの血でも人が
あの身体の理論を解明すれば、決して不可能な事ではない。設立以来研究開発にほとんどの力を注いで来た特務局ならば、ファニー・ジョーに打ち勝った純夏のような、執行人の"混ざり物"を増やすことも出来るはずだ。
しかし零は厳かにかぶりを振った。
「戦力を増やすだと?簡単に言うな。どれだけ調べても、
「
啖呵を切るように、総司は声を張り上げた。——否、それは実際に宣言だったのだろう。
「俺を実験台にしろ。成功例さえあれば、後に続く人は出てくるだろ。自分の手で奴らを殺したいほど、執行人に恨みを持ってる人間はごまんといるからな」
「お前が成功例になれる保証は無い。あの"血"には未知の部分が多すぎる。死ぬかもしれんぞ」
「それでも構わない」
「……本気か?」
総司ははっきりと頷きを返した。実際に実験台となる覚悟もある。目の前に座るこの男は、口先だけの方便が通じる相手では無い。
「何故——お前がそこまでする?」
そう問うた時、零の顔からは普段の薄笑いが消えていた。滅多に見ることのない彼の真顔を前に多少気圧されながらも、総司は答えを返す。
「狩宮が生きるためだ」
「彼女がお前の何だと言うんだ。好き合っている訳でもあるまい。命を賭ける理由は無いだろう」
「それは——」
その先を言うべきか、総司は逡巡した。いま自分が言おうとしているのは、まさしく子供の理論でしか無く、よりにもよってこの零に向けて言う言葉では無いように思えたからだ。
しかしそんな躊躇を、総司は僅かに目を伏せるその間に否定した。——大人を相手に理を通せないならば、そも、自分の言葉に意味など無いと。
「——あいつが、友達だからだ」
その答えを聞いて、零はほんの少しだけ目を細める。感情の読めないその反応に厭う事なく、総司は続けた。
「友達だから、助けるために行動する。当たり前の事だろ」
「……確かにな。だが程度というものもある。その言葉で括られる相手は、命まで懸ける部類の人間じゃないだろう」
「俺にとっては違う」
友達と面と向かって呼べる人間が、今まで総司にはいなかった。ああまで切迫した状況に迫られなければ目の前の人間を友と呼ぶこともできないほど、彼の精神は年相応以上に捻くれていた。だからこそ初めての「友人」を前にして、至った一つの結論があった。
人は人と理解しあえない。それは全ての人間に共通の真理。ならば友達と名の付く特別な間柄に求められるのは、
――何しろ大切なモノというのはなべて得難いが、失う時は一瞬にして消え、しかも喪失感という病を伴い、得る前より心の空虚を際立たせていくのだから。そんな「空」に戻るくらいならば、死んだほうがマシだった。
「あいつが生きるためなら、俺は死ぬ。――ああ、きっとそうする」
言ってみて総司は、自らの望むコトの身勝手さを悟る。
純夏のためと言いながら、総司は彼女の生存を望んだ。それは彼女を思うからでなく、自分自身が彼女を失うという経験をしたくないが故である。
「純夏の喪失」などを味わうくらいならば、自らの命を擲ってその悲劇の認識を回避する。外聞は一見すると利他的であるようで、その中身は、どこまでも自分本位な考えだ。
そしてそんなことはお見通しなのだろう、零は嘲るような表情を作り、
「ふん。
と呟いた。
「まあまあ?」
「まあまあ現実的かつ、まあまあ可愛げのある我儘だ。普通なら跳ね除けるところだが相手はお前だ、聞いてやる気にはなった」
言いながら零はきぃ、と背板を軋ませて、脱力したような様子で革製の椅子にもたれかかった。
「狩宮純夏は条件付きの保護観察対象とする。彼女が我々にとって危険だと思われればこちらで処理するが、そうでないうちは責任を持って守ろう」
「じゃあ——」
「お前の意見を聞き入れる、という事だ。まあ安心しておけ」
その答えを聞いて、総司は安堵の息を吐いた。三日前の事件から張り詰めていた表情にはようやく緩みの色が見え、その顔にはいくらか、年相応の柔らかさが戻っていた。
そんな素直な感情表現を見て、零はらしくもなく微笑んだ。——少なくともその顔に浮かぶ薄笑いが、そんな意味合いを持ったように総司には思えた。
「話は終わりだ。お前は寝るといい。ベネッドにも無理矢理休めと命じたからな。学校は明日——もとい、今日も休みなんだろう」
「ああ。……うん、そうだな。急に眠気を自覚してきたよ」
「身体はもちろんだが、精神が保たないと人は簡単に駄目になる。安心したならさっさと惰眠を貪れ」
総司はその言葉に首を縦に振って応えると、椅子から立ち上がり、執務室を出ようと扉のノブに手をかける。が、ふとそこで総司は何かを思い出したように立ち止まり、
「……その、ありがとう。零」
どこか恥じ入るような語調で、そう呟いた。
零は一瞬キョトンとした表情を作り、それから鼻で笑うように「ふ」と口から息を漏らした。それは久しく見る、彼の「親の顔」という奴だった。
「我儘を聞くくらい、たまにはな。仮にもお前の親代わりだ」
「ああ。……感謝してるよ」
そう言い残して、総司は局長執務室を後にした。アンティーク調の部屋から発せられるきつい木の匂いや紅茶の香りも、単純なもので、この時ばかりは心地良かった。
*
子供の頃の夢を、一つも覚えていない。果たして自分に夢なんてものがあったのかどうかも、正直なところ定かではない。
物心ついた時にはもう訓練に明け暮れていたし、余計な事を考えている余裕はなかった。——多分それは、今考えれば空の心を埋めようと躍起になっていたのだろう。そしてそれは、不安でもあった。
しかし——目の前でベッドに横たわる少女も、きっと同じなのだろう。そう思うと、自分と同じような存在がこの世にいるという安堵は、何物にも代え難く依存的だった。
「……お前は、どうなんだろうな」
眠る純夏は答えない。総司は溜息をついて、それからやり切れないような微笑を浮かべた。
隔離実験エリアにて"保護"されている純夏だが、ベネッドの申請があれば面会は可能だった。総司がそれを知ってこの部屋を訪れた時には既に一通りの諸検査は終わっていたらしく、純夏は数々のよく分からない機器から解放された。唯一その身体に繋がっているのは、栄養補給用の点滴のみだ。
そしてその外見的容姿も、廃工場で対面した時よりはいくらか人間らしいものになっている。
皮膚の色は未だやや黒ずんでいるが、身体中に走っていた血管のような赤筋や、見るからに肉体から乖離している外殻の存在は見て取れない。多少の注目を集める覚悟さえあれば、普通に町中を歩けるレベルだ。
ただし、ヘイデンによって切断された右腕だけは例外だった。恐らく完全に肉体が執行人のものを変質しているのだろう、その部分だけは表皮が目に見えて分かるほど変質し、時折何かを求めるように動いていた。
「結局、これって何なんだろうな。お前は何になっちまったんだ?」
恐るでも悔やむでもなく、ただ素朴な疑問を総司は呟く。
結局のところ、執行人とは何なのだろう。
彼らの血によって純夏はこうなった。少なくとも肉体的には、確実にこの世の生物というカテゴリーを逸脱した存在だ。だが同時に、純夏は彼らを人だと言った。涙を流し、自らの手で殺めた幼い命を嘆いていたと言う。
そう聞いた時、総司は、それは罪だと思った。
自らが犯した悪を認識しながらも、それを悔いることしか出来ない。仮に彼らが自らの意思を剥奪された人形だとしても、だからこそ彼らは、「償う」事が出来ない。自らの悪を識りながら、それを償わない。償うことが出来ない。——それは何よりの罪であり、そして罰だ。
しかし罪と罰という概念を背負うことが出来るのは、ヒトだけだ。
ならば彼らはヒトであり、そして彼らは、悪をもって正義を為しているのだろう。
零は、多数決の原理が人の生み出した概念だと言っていた。それがどうしようもなく"正しい"事だとも。 ならばそれを執行するシステムは、結局のところ世界にとって「正義」でしか無い。そしてそれらに相対する自分は、「悪」だ。
——でも、それでも良い。
そんな風に思うことも、今は出来るようになっていた。
何も総司は、正義の味方になりたかった訳ではない。元より心の空を埋めるため、戦うと決めたのだ。それが叶ったのだと自覚出来た今、総司が望むのは、既に心を満たしているモノを失いたく無いという事だけだった。
目の前に在るちっぽけな幸せを、失いたくない。
人が何かに抗い戦う理由は、元来それだけで良い。
ただ——出来ることなら、総司はもう一度彼女と話をしたかった。
純夏はあの夜に気を失ってから、一度も意識が戻っていない。何がどう作用してそんな状態が作り出されたのかは分からないが、彼女は終わりの見えない昏睡状態にあった。
だから、話をしたい。いや、話というほど長くなくても良い。
せめて一言、「ありがとう」と、そう伝えたかった。
あの夜、ファニー・ジョーから救ってくれたこと。そして、心の空が満ちているのを自覚させてくれた事。それらに対して、総司は感謝を伝えたかった。そのくらいの筋は通さなければいけない気がした。
「……だって、俺たちは友達だから。そうだろ?」
いつになく穏やかな気持ちで、総司は笑った。
と、不意に純夏の唇が僅かに開く。何かを喋るのだろうかと一瞬期待するが、彼女は言葉にならないうわ言を繰り返すだけだった。どうやら意識のないまま口が動いただけのようだ。医学的には「寝ている」状態らしいから、寝言なのだろう。
肩を落として、それから総司は、夢でも見ているのかなと思った。だとしたは、幸せな景色を見ていると良いな、とも。
「——?」
純夏の口にするあやふやな言葉の中に、ふと意味のある発音が紛れ込んでいた気がして、総司は耳を澄ます。
「——なまえを、よんで」
か細い声音で、純夏はそう呟いた。子供のような弱々しい声だった。
「……ああ、狩宮——」
答えてから、総司ははたと自分の勘違いに気付く。
ここで言う「名前」とは、そういう事では無いのだ。彼女が求めているのは恐らく、今まで総司だけがそれを要求してきた、とても気恥ずかしいことで——でも、友達なら当たり前のこと。
周りに自分一人しかいない事を確認して、それから総司は困ったような表情で頬を掻いた。
「——純夏。なあ、さっさと起きろよ。待ってるから」
そう言って総司はベッドの上の純夏の右手に、自分の手を重ねる。質感は明らかに人間のものではないが、その奥底からは、僅かに温もりのようなものが伝わってきた。
意思の消えた純夏の表情に、笑顔が浮かんだ気がした。
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