小恐怖 他人の無料券

@nakamichiko

小恐怖 他人の無料券

 以前に会社の年配の人から聞いた話だ。その人は転勤族で日本各地を引っ越していたが面白いことに「水」と関りがあったという。今のように携帯電話がなく、しかも固定電話の番号はそれぞれの地区のものを使わなければいけない時代だった。


「電話を引くたびに、「○○川水源地ですか」とか「水道屋さんですよね」とか

面白いのは「水陸両用車の開発をなさっていますよね」と言うのもあったよ。まあ私が釣り好きだだったせいかな」と先輩は笑っていたが、僕にもそんな偶然が急に訪れた。

転勤で地方の町から大都市に行くことになり、大変だとは思ったが楽しみもあった。実は食べることが大好きで、今でもそれをブログで書いている。大きな都市にはそれだけいろいろな種類の飲食店もある、独身なので、趣味としてこのことにお金を使っていた。そして都会の一般的な家賃の所に引っ越したが、以前住んでいた人が郵便物の住所変更を忘れていたようで

「面白いなあ、飲食店からのダイレクトメールが多い、同じ趣味なんだな」

男性の名前で届いていたので、配達員も気が付かずに入れていたのだろう。だが困ったことが起き始めた。


「え! 引っ越されたんですか? 電話がつながらないので、お宅に伺ったんです。しかも着払いで」

宅急便の配達員は発泡スチロールのケースを持ったまま困り果てていた。僕もそう言われてもとも思ったが、持っているものを見ると、半年待ちと言われている有名なお菓子だった。

「僕がお金を払いますよ、それならばいいでしょう? 」と急な出費だったが双方良い思いは出来るので、そうすることにした。確かにそのお菓子は美味しくて、この偶然をブログに載せたら大好評だった。そんなことが一度だけではなかったため、時には家中の小銭までかき集めなければならなかったこともあった。

だがさすがに時が経てばそれも減ってきて、その家に住んで半年になろうかというときだった。


「きれいな封書だな・・・洒落ている」


彼宛てのものだったが、差出人が「世界の料理店 SHEEP」となっていた。

手書きで、すべてが美しく、特にSHEEPは筆記体で見事に描かれている。人の物なので悪いと思ったが、わくわくするような気持ちで開けてみた。すると宛名と同じきれいな字でこう書かれていた。


「当選おめでとうございます。この度私の店SHEEPでは開店三周年を記念いたしまして、以前ご来店いただいた方の中から、抽選で無料券を配布することになりました。期限内の使用にはなりますがぜひお越しください。またその期限内にご本人様がおいでになれない場合は、裏に名前住所を書く欄がございますので、そこにご記入くだされば、ご友人などの別の方がお越しくださっても結構です。ご来店してくださることを心よりお待ち申しております」


「そうか・・・それならいいよな」

としか考えなかった。今まで彼の代わりに食べてきたが、値段と中身のバランスがひどいと思うものもいくつかあった。そのことがあったので自分には行く権利もあるはずだし、また世界の料理と言うのが楽しみだった。無料券に僕は名前と住所を書き、予定を立てた。



 数日後、僕は雑居ビルの二階にあるその店に入っていった。客が二十人も入ればいっぱいになるだろうか、ちょっと暗い雰囲気で、壁紙も床もあまり見たことのない色や模様だった。客は僕一人だった。


「いらっしゃいませ」


背の低い、案外年配の男性がやってきた。どこかミステリアスな所が感じられ


「あの・・・これを・・・」内心どきどきしながら無料券を渡し、


「わかりました、お待ちくださいね、でもこの券は「お任せコース」になりますけどよろしいですか」


「ハイ、もちろんです」


「それは良かったです、ではお待ちください、フフフ」

異国情緒漂う人だと思った。


 最初に出てきたのはパンだった。パン籠を持ってきたのもその男性で、どうも彼がシェフであり、一人で店をやっている様だった。


「パンプニッケルですか、大好きなんです! 」

このパンはほとんどがライ麦で酸味もあるため、人によって好き嫌いが別れる。実は僕はこのパンが本当に好きで、外国人が多い大都会に来たら、これが自由に手に入るということが嬉しくて仕方がなかった。店主はすぐさま厨房に戻ったので、僕は早速パンを食べた。

「美味しい! これどこのだろう? 後で聞いてみたいな」今まで食べたものの中で、最高に美味しいものだった。酸味が十分にあり、ポロリと崩れ落ちるよようなものが多い中、しっとりとして、歯で噛むまで、口の中でしっかりと残っていた。すると今度は店中にいい香りがしてきた。どこかで同じものを嗅いだ記憶がある。甘い、でもどこかパンプニッケルとは違う酸味を感じた。すると店主が小さなスフレ皿を持ってきて、自分の前に置いた。


「いちごジャム、出来立ての? 」


「せっかく温かいので、今のうちに、でも火傷しないでくださいね、フフフ」と言ってまた帰っていった。大きなイチゴがゴロゴロと何個か入っている


「そうだ、よく食べていたっけ」実家の近所にはイチゴ農家があって、母が毎年形の悪いものをそこから買ってジャムを作っていた。結構な量を作るのだが、やはりイチゴがそのまま入ったものは美味しくて、瓶詰めで保管する必要もないほどに、すぐに食べてしまっていた。

懐かしい思い出に浸っていると、魚のフライがやってきた。

「これもなるべく温かいうちにどうぞ」とすぐさま戻っていくときに、はじめて他の客が入ってきた。

「マスター、いつものを」「ハイ、わかりました」と常連の様だった。

僕は魚のフライを食べ始めた。


「サーモンだ! 美味しい! 」

こちらに来てすぐ、僕はロシア料理店に入った。そこで食べたサーモンの美味しいフライに全く引けを取らない。

「僕の好きなものばかりだ」と本当に嬉しくなっていると、コーンスープが運ばれてきた。

「ごめんなさい、スープが先の方が良かったんですが、前後してしまって」

「いえ、かまいません」常連さんにもスープを持っていったようで、彼女は

「本当にここのコーンスープは美味しいのよね」とまるで僕に言っているようだった。母が一度手作りで作ってくれたが、コーンスープはとても手間がかかる。コーンを煮て裏ごして、さらにまた煮てだ。新鮮なコーンを使っているのがすぐにわかった。それを飲んでいると、次に持ってこられたのは


「白きくらげと豚の炒め物」だった。

それを見て常連客は

「珍しいわね、マスタ―、中華料理? 」

「ハイ、たまには、フフフ」


 僕は驚いた。この料理は僕にはなじみ深いもので、実家の夕飯のメニューによく登場していた。豚と卵と白きくらげというシンプルな素材で、中国の家庭料理だという、最近このメニューを出す中華料理店も増えきた。

食べると、卵はフカフカで、豚肉は固すぎず、柔らかす過ぎず、きくらげはとても良いものを使っているのだろう、豚肉のエキスを存分に吸い込んでいた。だが頭をかしげながら食べていると次の料理が出てきた。


「ジャーマンポテト・・・」


これはベーコンで玉ねぎとジャガイモを炒めたものだが、ジャガイモには十分に火が通されていた。

「これは本当はジャガイモをシャキッとしたままにするんだけど、私は美味しく感じないから」ドイツに住んでいたことのある叔母の得意料理で、家に行くとせがんで作ってもらっていた。

そしてデザート


「お餅? マスター? 」 常連は本当に驚いていた。

三つの仕切りのある小皿にきな粉と白砂糖と赤砂糖、そして別皿に一度焼いてからお湯にでゆでられた餅


「おばあちゃんはどうして赤い砂糖を使うの?」

「味が違うんだよ、特に後味がね、食べ比べてごらん」

そう言って幼い頃祖母と実験のような事をしたことがある。確かに白い砂糖は甘いが少しそれが残りすぎるような気がしたのを覚えている。でも三種類を混ぜたものが僕は好きになった。



「全部僕の好きな料理・・・全部・・・」

詰まるような気分で餅を食べ、店を後にした。



 次の日出社した僕の状態がおかしいので、ある先輩が声をかけてくれた。この話をすると


「君はブログをあげているだろう」

「でも本名じゃないし、顔写真も載せていないんです! 」

「出された料理の話は載せたことがあるの」

「ハイ・・・」

「じゃあ、それが原因じゃないか? 」それでも少し疑問が残るので、数日後その店をまた訪れた。


「あの・・・すいませんが」

話をしてくれたのは先輩だった。するとフフフと笑って手紙を見せてくれた。差出人は例の彼だった。


「マスター、 すいませんがお願いがあります。僕はあまりに急な海外赴任で自分の所にお取り寄せのものが来るのをすっかり忘れてしまっていました。携帯電話が故障もしていて、連絡が取れません。ネットで解約をしようとしたのですが、もう郵送したといわれてしまいました。色々手を尽くして調べていると、「前に住んでいた人間のお取り寄せグルメが最高に美味しかった」という記事を見つけました。どうも同じタイプの人間がそこに住んでいるようです。すいませんが、何とか彼に連絡が取れないものでしょうか」


「それで・・・あなたに無料券を贈ったのです」

「でも・・・僕がいつ来るなんてわからなかったでしょう? 」

「まあ、しばらくコーンスープとイチゴジャムの日々でしたがフフフ」


それからは僕もこの店の常連になった。そして海外にいっている彼とも連絡がつき、帰国したら会う約束をしている。僕の会社の何人かも良くここに来るようになり

「やっぱりあなたは福の神だったんですね、フフフ」とマスターから言われた。

最初から教えてくれればよかったのに、と言える仲になったので、彼の本音を聞くこともできた


「恐怖が勝つか、美味しさが勝つか、見て見たかったんですよ、フフフ」


やっぱり少し変わった人である。



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