小学生の列を見て思い出す、虐待といじめの記憶

午後2時を過ぎた。

私は運転席にいた。

片側一車線の道路で信号待ちをしていた。

すぐ隣の歩道を、小学生の列が通り過ぎていく。

ぼんやりと、この子たちの背中を見ていると、忘れていた記憶が、突然、目の前に現れた。


私は小学4年生だった。

昼の掃除の時間に、数人に囲まれ、校舎裏に連れて行かれた。

そこで集団リンチを受けた。

犬の生ウンチを食べさせられた。

そのとき、担任の若い女教師が「お宅の子供は、掃除の時間に、掃除をさぼってどこかで遊んでいる」と家に報告した。

私はそれを知らずに家に帰ったら、えげつない言葉とともに、殴る蹴るの暴行を受けた。

私が幼稚園のときから、ずっといじめられていたのは、お前たちの育児放棄が原因だと、誰に言えばよかったのか……。

そんな相手は、この世のどこにもいない。

あの時点で、すでに、学校にも家にも居場所が無かった。

いじめ・虐待・不登校なんて言葉があふれる今の時代ならどうにでもなるけど、あの昭和の時代にはそんな言葉すら存在していない。

いじめは、子供同士のやんちゃな遊び。

虐待は、しつけ。

それで終わり。

そういう時代だった。

あのとき、私が自殺したら、今、自殺した子の両親がやっているのと同じように、まるで殺人事件の被害者遺族のような被害者づらをして、自殺理由を別の事由にすり替え、学校を訴えたりしていたのだろう。

もらった賠償金で、悠々自適な人生を送っていたのだろう。


信号が青に変わった。

小学生たちの笑顔が、とても眩しく映った。

私は下校時に誰かと一緒に居たことは無い。

いつも独りだった。

あんな苦しみだけの幼少期でも、思い出が遠く離れていくだけで、なぜか、虚しい。

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