228 お花見
三月になった。
現代に直せばおそらく四月で、今日は朝から試衛館出身のメンバーを中心とした花見が開かれている。
午後、一緒に巡察を終えた原田さんと宴に合流すれば、近藤さんを始め井上さんや永倉さん、斎藤さんに藤堂さん、そして山崎さんもいて、随分と賑わっていた。
非番の永倉さんは朝から張り切って飲んでいるらしく、見事に出来上がっている。
「お、左之春〜。遅いぞ〜」
「誰だよ! 俺らは今まで巡察だ!」
なぁ? と同意を求めて私を見下ろす原田さんの顔は、言葉と裏腹に笑っている。
「新八! 俺が酔うまで潰れんじゃねーぞっ!」
「ったりめぇよ〜!」
「新八さん、自覚ないだろうけどすでに潰れかけてるからね」
藤堂さんらしい突っ込みが入り、騒がしくも微笑ましいいつもの光景に安堵する。
そんな藤堂さんの隣に腰を下ろすと、おつかれ、と私に杯を手渡してゆっくりとお酒を満たしてくれた。
「いつまでも、オレが面倒見てあげられるわけじゃないのにね……」
「……え?」
「何でもない。こっちの話。オレ、今夜は巡察だから先に帰るのになって」
「なるほど」
「あんまり酷いようだったら籠でも呼んであげて。もちろん、支払いはあの二人から取っていいし手間賃もふんだくっていいから」
「ふふ、了解です」
何だかんだ言いながらも、藤堂さんの仲間思いは変わらない。それを無性に嬉しく思えば、緩んでいるらしい頬をつままれた。
「生意気」
「にゃっ!?」
次の瞬間、盛大に吹き出した藤堂さんは、私が払うより先に離した手をお腹にあてがい大笑いする。
「アンタってホント面白い」
そうしてひとしきり笑ってから、目尻に溜まった涙を指で拭うのだった。
ふと反対側を見れば、斎藤さんの杯が空になっていた。
徳利を持てば意図を読み取ったのか、無言で杯を差し出してくる。
「斎藤さんも、朝からいるんですか?」
「ああ」
「じゃあ、すでに結構飲んでそうですね?」
「そうでもない」
……絶対に飲んでいると思う。
藤堂さん曰く、永倉さんよりも遥かにたくさん飲んでいるらしい。しかも、このあと藤堂さんと一緒に巡察だというから驚きだ。
「大丈夫なんですか?」
「問題ないな」
いや、出勤前に多量の飲酒は問題だと思う。
とはいえ、相変わらず酔っているように見えないのは、もうさすがとしか言いようがない。斎藤さんならきっと大丈夫、そう思えてくるから不思議だ。
しばらくして、井上さんに呼ばれ場所を移動すると、井上さんの隣に座る近藤さんも歓迎してくれた。
そして、二人と向かい合うように座っていた山崎さんが、隣へどうぞ、と少しだけ場所をずれてくれた。
「春、食べるだろう?」
そう言って、腰を下ろすなり正面に座る井上さんが手渡してくれたのは、桜をかたどった練り切りだった。
「わっ、可愛い!」
「だろう? この時期人気だからな。売り切れる前に買えて良かったよ」
勿体ないと思いつつも一気に半分ほど頬張れば、井上さんが嬉しそうな笑みを浮かべながら私の頭を撫でた。
「美味しそうに食べる春を見ていると、妙に安心する」
いつだったか、私のことを自分の子供みたいだと言っていたことを思い出せば、うんうんと近藤さんまで頷いた。
「春の食べっぷりは見ていて気持ちがいい。食べ方まで頼もしいな!」
頼もしいってどういうこと!?
少し酔っているのか、顔を赤くしながら豪快に笑い出す近藤さんにお酌を終えた山崎さんが、飲み過ぎないでくださいね、と過保護発言をしながら私にも注いでくれる。
忠告通りゆっくりと飲んでいたら、突然、山崎さんの顔が近づいた。
思わずのけ反るも、さらに距離を詰めてくるほんのりと赤味をおびた顔が、何でもないことのようにさらりと言い放つ。
「春さん、目をつむってください」
「……え?」
ち、近い。近過ぎるっ!
なおも近づく顔から逃れようと後ろへ下がるも、今度は片手で後頭部を押さえられた。
逃げ場を絶たれたあげく、なぜかもう一方の手まで伸びてくる。
や、山崎さーん!?
頬に山崎さんの手が触れるのと、力任せに押し返すのはほぼ同時だった。
直後、鳩が豆鉄砲を食ったような顔の山崎さんが、後ろ手で身体を支えながらもう一方の手を掲げた。
「まつ毛がついていたので取ったのですが……」
「……え。ま、まつ毛?」
「驚かせてしまってすません……」
「こ、こちらこそすみませんっ!」
盛大な勘違いを指摘される前に、平謝りするのだった。
土方さんと沖田さんも合流すると、少ししてから近藤さんと井上さん、そして山崎さんが仕事で屯所へと戻り、沖田さんまでふらりと桜を見に行ってしまった。
小高い丘のような場所で桜を見上げる沖田さんを、花見に来ていたらしい子供たちが囲むけれど、すぐに残念そうにしながら去ってしまった。
そんな光景を一緒に見ていた土方さんが、手にしたお酒をグイっと飲み干し不思議そうに言う。
「総司が子供と遊ばねぇなんて珍しいな」
「そういえば、近頃ずっとあんな調子らし……あっ」
今頃になって理由が繋がった、気がする……。
年明けに藤堂さんと壬生寺へ行った時も、子供たちが去年の末頃からずっと遊んでいないのだと言っていた。
沖田さんが不調を自覚したのも冬の初め頃で、日が経つにつれ
どうしてもっと早く気がつかなかったのだろう。
悔しさと同時に痛む胸を着物ごとぎゅっと握れば、行くぞ、と土方さんも立ち上がる。
二人で沖田さんのところへ向かえば、桜を見上げ、背を向けたまま声を掛けられた。
「桜、今年も綺麗ですね〜」
時折花びらを散らしながらも咲き誇る桜は、確かに綺麗だけれど、土方さんは桜ではなく、沖田さんを真っ直ぐに見つめたまま、さっきの光景について問いただした。
たったあれだけの情報で気づいてしまうあたり、さすがだな……と思う。
そして意外だったのは、沖田さんはいつものように誤魔化したり適当にいなしたりせず、あっさりと白状したことだった。
やっぱり、あえて子供たちを避けていたのだと。
弱っていく姿を晒したくはなかったのだと……。
「子供って勘が良いというか、変化に敏感ですからね〜」
そう言って、何でもないような笑顔をはりつけた顔が振り向いた。
「まぁ、
「沖田さんっ!」
思わず声を荒らげてしまったせいか、そこから先はもう止まらなかった。
「病気になったのは沖田さんのせいじゃないです! なのに……どうしてそうやって無理に笑おうとするんですか! いつも勝手に巻き込んでくるくせに、こういう時だけ一人で抱え込んで……どうしてもっと頼ってくれないんですか!?」
あふれそうになる涙を隠すには、言葉も口調も選んでいる余裕なんかなくて、まるで問い詰めるような格好になった。
それなのに、沖田さんは笑顔を崩そうとしない……。
労咳は、身体に菌が入ったとしても健康であればほとんどの人が発症はしない。それでも、確実な治療法がない以上、今まで通り子供たちと遊べばいいなんて無責任なことも言えない。
けれど、一つだけ自信を持って言えることがある。
俯きかけた顔を上げて、もう一度沖田さんを真っ直ぐに見た。
「私は、労咳になりにくい体質なんです。だから、私で良ければ一緒に遊びましょう。もっと頼ってくだ――」
「はぁ……」
盛大なため息をつかれ、自信満々に言い放ったのが“一緒に遊ぼう”だなんて、さすがに呆れられたのだと後悔した。
そんな私に向かって、沖田さんが困ったように笑いながら言う。
「春くんに触れないようにしていた僕の努力が、全部水の泡じゃないですか」
……へ? と首を傾げれば、冗談ですよ、と説明し始める。
子供たちに勘づかれないよう避けていたことも、必死に咳を堪えていたことも。少し調子の良くない日は私を避け、熱がある時には触れないようにしていたことも。
それらは全部、良順先生以外の人間に気づかれないよう、沖田さんなりに努力していたことなのだと。
「だから本当は、あの日、二人にバレてしまった時点で全部水の泡なんですけどね」
「す、すみません……でも、一人で我慢とかしないでください」
すると沖田さんが、今日一番の……ううん、久しぶりに見る嘘偽りない満面の笑みを浮かべて、うん、と頷いた。
「もう我慢はしません。だから、覚悟しておいてくださいね?」
「か、覚悟……?」
「これからも僕と、たくさん遊んでくれるんですよね?」
さっきまでの眩しい笑みは悪戯っ子のそれに変わっていて、土方さんまで苦笑する。
「遊んでばっかいねぇでちゃんと働けよ。だが、無理はすんじゃねぇ。倒れたら俺の責任にもなるんだからな」
「安心してください。僕は敬助さんの分も土方さんを見張らなきゃいけないんです。そう簡単にくたばるわけないじゃないですか」
素直じゃない二人らしい応酬に頬が緩むのを感じれば、突然、沖田さんが土方さんを無視して私の手を取った。
「春くんを一番組の副組長に任命してあげます」
「えっ!?」
ちょ、ちょっと待って。そんな大役務まる気がしない!
そもそも、各組に副組長なんて役職は存在しないし、土方さんが許可するはずがない!
……と思っていたら、土方さんが半ば呆れながらもまさかの認める発言をした。
「ま、公認ってわけにはいかねぇけどな。組長がふらっとどっか行かねぇよう、見張ってやりゃいいじゃねぇか」
「酷いなぁ〜。時には色々放り出して、甘味屋へ行きたくなることだってあるじゃないですか~」
ねぇ? と私に同意を求めるのはやめて欲しいのだけれど!
頷いた日には、絶対にデコピンが飛んで来るに違いない。一人焦るも、ふと、副長助勤と同格になった日の土方さんとの会話を思い出した。
沖田さんが不調の時は、私が副長助勤として支えて欲しいと言っていたっけ。
非公認といえど“副組長”という肩書は正直荷が重いけれど、そんなことは関係なしに出来ることは精一杯したい。
私よりもほんの少し熱い手を握り返せば、沖田さんが軽く手を引いた。
「じゃあさっそく、一緒に遊んでくれませんか~?」
「えっと……じゃあ、こんなのはどうですか?」
ゆっくりと手を解いて、ひらり舞い落ちる桜の花びらに手を伸ばす。
けれど、惜しくもキャッチとはならなかった。
何してんだ? という二人分の呆れた視線にたえかね、あえて振り向き様に平静を装った。
「知りませんか? 桜の花びらを地面に落ちる前に取ると、願い事が叶うっていうおまじないです」
「餓鬼だな」
「面白そうですね~」
……と全く異なる反応を示した割には、二人仲良く見上げだす。
いい年した大人の男性が、揃って必死に花びらを掴もうとする光景は少し滑稽で、笑うのを堪えて見守っていれば、なぜか沖田さんが抜刀した。
そして、狙いを定める束の間の静寂のあと。水平に薙いだ刀が刃鳴りを響かせた軌道上には、二つに切れた花びらがふわりと小さく舞い上がり、すかさず沖田さんの片手が両方とも掴まえた。
「凄い……」
「こっちの方が早いですし、ほら、数も増えましたよ~」
屈託のない笑みを浮かべながら手を開いた沖田さんが、花びらの片割れを私に取るよう言ってくる。言われた通り一つ摘まみ上げれば、残った方は沖田さんが自身のお守り袋の中へと大事そうにしまった。
同じように、私もお守り袋を引き出し中へ入れれば、沖田さんが私の頭上目がけて片腕を伸ばすのが見えた。途中、僅かに動きを止めるもそのまま撫でてくる。
「それじゃ、そろそろみんなと一緒に飲んできます」
そう言って、足早にみんなのもとへと走り去って行くのだった。
ところで……。
「土方さん?」
振り向けば、いまだ空中に手を伸ばす土方さんと目が合った。
「……うるせぇ」
「まだ何も言ってませんが……」
「あ? こんなのが取れたからって何だって言うんだ。所詮、迷信じゃねぇか」
餓鬼の遊びだな、とわざわざ側へ来てまで吐き捨てられ、つい言ってしまった。
「そういうのを信じられなくなったら、もうおじさ――ッ!」
かわす間もなくデコピンが飛んでくるけれど、その素早さがあって、むしろどうして取れないのか!
痛むおでこを摩りながら見上げるも、二発目が飛んできそうな視線に慌てて一歩後退れば、全部お見通しとばかりに鼻で笑われた。
けれども何か思い出したように、一瞬で表情を変えた。
「そろそろ伊東さんが帰って来る。だから一応訊いておく。誘われたら、お前はどうするんだ?」
「誘われたらって……やっぱり分離するんですか?」
「ああ。近いうちにするだろうな。奴が九州へ行っている間も、ご執心な奴らが分離に向けてせっせと動き回ってるみてぇだしな」
「そうですか……」
中途半端とはいえ、その先の歴史をほんの少し知っているだけに、またしても己の無力さを突きつけられたようで複雑な気持ちになる。
けれど、これだけはハッキリと言えるから、しゃんと顔を上げて土方さんを見た。
「何があっても、私は新選組を出て行ったりしません。どんな窮地に陥ろうと、絶対に逃げたりもしません」
歴史を変えてでも新選組を、みんなを救いたい。その想いは今でも変わらない。
けれど、私の知識ではそれが容易でないことも知っている。
今までがそうであったように、これからも歴史を辿ることになるかもしれないけれど、絶対に目を逸らしたりはしない。
それが……自分の意思でその死を受け入れた芹沢さんとの約束でもあるから。
気がつけば、刀を強く握りながら唇を噛んでいた。
そんな私のおでこを、土方さんが呆れたように笑いながら弾く。
「あのなぁ。まるで新選組が窮地に陥るみてぇに言うんじゃねぇ」
「え、あ……すみません」
「安心しろ。俺の目が黒いうちは、新選組を失くさせねぇさ」
やっぱり、その目は何でもお見通しなのかと見上げれば、土方さんは私の頭をポンとひと撫でして歩き出す。
「飲み直すぞ」
「はいっ!」
さぁっと風が吹き抜ければ、一層桜が舞い散った。
その中を、真っ直ぐに土方さんの背中を追いかけるのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます