229 御陵衛士

 三月の半ば。

 九州から戻った伊東さんが早々に分離の申し入れをしたらしく、今夜は近藤さんと土方さんが話し合いに応じている。

 寝支度を終え、布団に潜り込もうとしたところで、話し合いから帰って来た土方さんが眠気も覚める台詞を言い放った。


「伊東さんの分離が決まった」

「え……」


 確かに時間の問題とは聞いていたけれど……。

 今日は土方さんもこのまま床へ入るらしく、着替え始めたので慌てて背を向ければ、衣擦れの音を響かせながら話の続きをし始める。


 お花見の日、“伊東さんを慕う人たちが分離に向けて動いている”と言っていた通り、裏で着々と準備を進めていたらしく、年末に崩御した孝明天皇の御陵守護を目的とする“御陵衛士ごりょうえじ”を拝命したらしい。

 そのことが、分離許可の大きな決め手になったとも。


 伊東さん曰く、分離の真の目的は当初と変わらず新選組のためらしい。討幕を目論む薩長に、思想の違いで分離したと見せかけ歩み寄り、そこで得た情報を新選組に戻すのだと。

 すっかり佐幕となってしまった新選組とは違い、もともと勤王を謳う伊東さんなら可能なのかもしれない。

 けれど……やっぱり信じきれない。


 だって私の薄っぺらな記憶では、伊東さんは新選組を二分するだけでなく、近藤さんの暗殺まで企む。

 けれども逆に暗殺されてしまい、その死は藤堂さんにも大きく影響を与えてしまうはずだから……。


 今の状況から考えて、伊東さんの分離が新選組を二分するということなのだと思う。

 だとしたら次は……。


 思わず振り向いてしまうも、どうやら寝支度は終えていたようで、丁度布団に潜り込むところだった。

 ホッと胸をなでおろしながら、土方さんの方に向き直る。


「正式に分離を認めたってことは、お二人は伊東さんを信じてるんですか?」

「新選組のために、参謀殿が自ら敵の懐へ飛び込もうってんだ。応援してやらねぇでどうする」


 ニヤリとする顔もその話し方も、明らかに茶化している。本音では、私と同じように疑っているのかもしれない。

 だとしたら、いつもの土方さんらしくてちょっとだけ安心する。


 それに、勤王思想を抱く隊士たちは他にもいて、分離の噂が広がった今となってはそういった人たちにこぞって脱走でもされるより、“思想や方針の違いで分離”という表向きの理由は、新選組にとってもそこまで悪い話ではないらしい。


「でも、一度こんなことを認めちゃったら、今後も分離を訴える隊士が出てくるんじゃないですか?」

「ああ。だから今回限りだ」

「じゃあ、その御陵衛士ごりょうえじ? へ行きたいって言えばいいんじゃ……」


 脱走して切腹させられるくらいなら、いつも反対していた伊東さんのところへ逃げ込めばいいだけな気がする。

 けれど、そんな考えをばっさり切り捨てるように、それはない、と土方さんが言い切った。


「今回、御陵衛士として出て行けば新選組へ戻ることは許さねぇ。当然、その逆もだ」


 新選組と御陵衛士の間で、双方の行き来を禁ずる約束をしたのだという。

 だからこそ伊東さんは慎重に人選をしている最中で、近いうち本当にここを出て行くらしい。


 誰が伊東さんについていってしまうのだろうか。

 弟の三木さんや、伊東さんと一緒に上洛した人たちの顔が浮かぶけれど、ふと、藤堂さんや永倉さん、そして斎藤さんの顔まで過り、慌てて振りほどくように首を左右に振った。

 そして、これ以上考えないようにと、布団をかぶり眠りにつくのだった。






 翌日の夕方、小雨降る中の巡察を終え屯所へ戻ってきた。

 僅かに水滴のついた髪を手で軽く払いながら部屋へ向かえば、途中、外廊下に佇む伊東さんに呼び止められた。


「綺麗な髪が台無しですよ」


 そう言って、爽やかに微笑み手拭いを差し出してくるけれど、男装して適当に結っている時点で、綺麗という単語とは無縁なわけで。

 お気持ちだけで、とその場をあとにしようとするも、どうやら本題は違ったようで、わざわざ伊東さんの部屋まで案内されてしまった。


 西本願寺へ引っ越してきてからも、数えるほどしか足を踏み入れたことがない参謀の部屋は、局長の部屋と同じくらい装飾品の類も飾ってある。

 けれど、壺や花瓶などの置物は無駄な主張をせず、たくさんある書物も寸分の狂いなく積み上げられているせいか、沖田さんの部屋以上にスッキリして見える。


 雨のせいで明るさの足りない部屋は、障子を閉めた途端に一層暗さを増した。

 行灯に火を灯した伊東さんに促され腰を下ろすと、正面で淡い光に照らされる穏やかな顔が、回りくどい話はやめましょうか、と切り出した。


「私と一緒に来ていただけませんか?」

「それは、御陵衛士に、という意味ですか?」

「ええ」


 私の返事なんて訊かなくても想像つくだろうに……と思いながらハッキリ断るけれど、今日の伊東さんはかなり諦めが悪かった。

 様々な人と接触を試みるも新選組の名では相手にされなかったとか、分離を考えていると話せば手応えが全くなかったわけじゃなかったとか。

 訊いてもいないのに、九州での話まで持ち出して私を説得しようとする。


 お互い一歩も引かないまま時間だけが過ぎれば、いい加減埒が明きそうにない状況にも嫌気がさし、苛立ちをぶちまける前に無礼を承知で立ち上がった。


「すみませんが、失礼させていただきます」

「琴月君」


 歩き出そうとした私の動きが止まったのは、名前を呼ばれたからじゃない。伊東さんに手首を掴まれたからだった。


「以前、あなたに言いましたよね? 私はあなたとも仲良くしたい、と」

「……しつこい人と、仲良くしたいとは思いません。離してください」


 あからさまな嫌悪感を表情にも出してしまったせいか、伊東さんは一瞬だけ悲しそうな顔をしてから俯いた。

 けれど、いまだ手も離さず、一方的にそんな態度を取られても困る。それどころか、手に力を込め、顔をあげることなく小さな笑いまでこぼした。

 いつもの爽やかな笑いとは、似ても似つかない。


「嫌われるならとことん嫌われるまで。私とて、泥を被る覚悟は出来ている」

「伊東、さん……?」


 それまでの雰囲気とは一変、恐怖すら感じて咄嗟に手を引いたつもりが、逆に強く引かれてしまい、崩れるようにその場に座り込む。

 すぐさま顔を上げるも視線の高さは逆転していて、伊東さんは強く手を掴んだまま、表情の全てを消して私を見下ろしていた。


「離し、て――」

「あなたが選べるのは二つに一つ。私とともに御陵衛士となるか、このまま近藤局長の所へ行き、ひた隠しにしてきた事を全て暴かれるか」

「い、言っている意味がよくわかりません。隠していることなんて何もっ――」

「そうですか。では、あなたが女性である事も、後の世から来た事も局長は知っている、と?」

「なっ……何の、ことですか……」


 なんで。どこで……いつからバレていたの?

 どうしてごく限られた人しか知らないはずの、未来から来たことまで知っているの?


 ダメだ……あまりにも突然過ぎて全然頭が働かない。

 視線を逸らさないようにするのが精一杯な私とは反対に、伊東さんは思い出し笑いでもするかのようにふっと小さく笑った。


「ある噂を耳にしたのです。昨年、あなたと広島へ行った時に」


 ある、噂……。


 ――未来から来た女が男のふりをして新選組にいる――


 一時そんな噂が流れたのだと、いつだったかバカ杉晋作が言っていた。まさか、こんな時にあの顔を思い出すとは思わなかったけれど。


 どうやら伊東さんが耳にした噂とやらも、同じようなものらしい。

 その時はただの戯言ざれごとと聞き流すも、気づけば私を疑い、いつしか噂を真実だと思えば腑に落ちることが多かったのだと。

 そして、今回の九州遊説中に確信したのだと。


「その様子、やはり近藤局長は知らないようですね」

「ッ……」


 悔しいけれど、伊東さん相手にこの状況から誤魔化すのは無理だ。

 近藤さんにバレてしまえば新選組を追い出されるけれど、それは御陵衛士を選んだって同じこと。

 無言を肯定と受け取ったのか、再び二択を迫る伊東さんの手を大きく振り払い睨み返した。


「言いたければ言えばいいじゃないですか」

「あなたは自身の価値をもっと理解した方が良い。あなたの存在は、御陵衛士にとっても大きな力となる。ひいては新選組のためにもなるのです」

「私は、新選組ここを出ていくつもりはありません!」

「では、腹を切る覚悟がある、と?」

「……え?」


 ちょ、ちょっと待って。腹を切るって……切腹? 何で!?


「まさか、今まで局長を欺き続けてきた事、除名程度で許されるとでも?」

「欺くだなんて、そんなつもり――」

「そんなつもりじゃなかった。そんな言い分が通ると思っているのですか?」

「それは……」


 ……思わない。

 局中法度のせいで、今まで何人もの隊士が亡くなってきたのだから。斬った敵の数より多いんじゃないかと思うほど。

 だから、私だけが許されるはずがないし、許されていいはずがない……。そんなことをしたら、今までの犠牲は何だったのかと一気に瓦解する。


 ……それでも。こんな脅しに屈するのは嫌だ。

 近藤さんにバラすというのなら、私だって伊東さんの暴挙を白日の下にさらすまで。

 相打ち覚悟で開き直ると、伊東さんは一度目を伏せ、小さなため息をついた。


「残念です。あなたを失うのは、新選組にとって大きな損失ですが……」

「あなた……方?」

「ええ。土方副長も同罪、いえ、副長という立場にありながら隠し続けた罪は重い」

「待っ……土方さんは関係ありません! 私がお願いしたんです!」

「やはり、副長はご存知なのですね」


 なっ……してやられた!?

 今さら繕ったところで意味はなく、私一人の責任なのだと必死に訴えるも、伊東さんは顔色一つ変えず無慈悲に一蹴する。


「経緯が何であろうと、局長を欺くなどこれ以上ない反逆行為。士道不覚悟に値する」

「そんな!」

「局中法度に背いた者は副長であろうと切腹です。あなたとて、忘れたわけではないでしょう」


 ……忘れるわけがない。

 それに、山南さんだけじゃない。局中法度を作り誰よりも厳しく武士であろうとする土方さんなら、山南さんと同じく甘んじて受け入れるだろう。

 それだけじゃない。ああ見えて責任感の強い土方さんのこと、私の分まで背負ってしまいかねない。


 自分のせいで他の誰かが犠牲になるなんて、絶対に嫌。自分のことくらい自分でちゃんと責任を取る。


「改めて訊きます。私についてきてくれませんか?」


 私がここで頷けば全部丸く収まること。

 それなのに、ピンと張りつめた糸は今にも切れそうで、俯けばこぼれそうなことに気がついた。

 だから、しゃんと顔を上げ睨むように力を込める。


「……わかりました」


 途端にいつもの爽やかな笑みを浮かべる伊東さんが、片手でポンと私の肩を叩く。


「そう不安がる事はありません。あなたと仲の良い平助と斎藤君も一緒なのですから」

「え……」


 どうして……と、やっぱり……という思いが混在して、気の知れた仲間が一緒だというのに安心という感情には程遠かった。

 とにかく今は早くこの部屋を出たくて、近日中には出ること、早めに荷物をまとめておくことを伝えられると、すぐに部屋を出た。


 すっかり暗くなった空からは、相変わらず雨が降り続いていた。

 今日、土方さんの帰りが遅いことは知っているから、とにかく部屋へと急ぎ後ろ手で障子を閉めた。


「我慢、出来たじゃん……」


 最後の最後。伊東さんの前で泣かなかった事を誉めてあげれば、今になって堰を切ったように溢れてくる。

 今のうちに全部流してしまおうと、部屋の隅へ行き、膝を抱え、雨音に声も気持ちも溶かすのだった。




 いつの間に眠ってしまったのか、部屋が仄かに明るくなると同時に土方さんの驚く声がした。


「おまっ! いるなら明かりぐらいつけろ。座敷童子ざしきわらしでも出たのかと思ったじゃねぇか!」

「座敷童子って……」


 思わず顔を上げてしまったせいで目が合うと、行灯の明かりですらわかるほどに眉間に皺を寄せた顔が、私の目の前に来てしゃがみ込む。


「何かあったのか?」


 答える間もなく目元を強く擦られた。

 相変わらず鋭い。思わず縋りつきたくなるけれど……大丈夫。

 何とか心の整理はつけたから、きっとうまく喋れるはず。


 温かい手を無視して座り直せば、あからさまに怪訝な顔になるけれど、逸らすことなく深呼吸を一つして、ゆっくりと口を開いた。


「私、御陵衛士ごりょうえじに行きます」

「……は?」


 鳩が豆鉄砲を食ったような顔にもう一度告げれば、寝言は寝てから言え、とデコピンが飛んできた。


「くだらねぇ冗談に付き合ってる暇はねぇ」


 そう言い捨てて文机へと向かう背中を追いかけると、書状を手に取るその横に正座する。

 取りつく島もないほど相手にされないけれど、それでも必死に訴えた。


 心と言葉がちぐはぐでも、自分のせいで誰かが犠牲になるなんて絶対に嫌だ。

 最悪の選択肢しかなかったとしても、そこから選び取ったのは私なのだから。


 ようやく聞く気になってくれたのか、土方さんは書状を置きこっちを見た。


「何があっても新選組を離れねぇと言ったよな。あれは嘘だったのか?」

「嘘じゃありません! ……ただ、御陵衛士の活動が上手くいけば、新選組に有益な情報をもたらすことが出来ると思ったからです」

「ふん、どっかで聞いたような台詞を恩着せがましく言うんじゃねぇ」


 一瞬、全部お見通しなのかと焦ったけれど。

 確信に触れるようなことは言わないし、訊いたりもしてこない。ただ不機嫌に怒っているだけだった。


「俺はな、一度決めた事を途中で投げ出す奴が大っきれぇだ」

「はい。すみません……」

「大体、今のお前がやるべき事はそうじゃねぇだろうが。……いや、やめた。わからねぇなら衛士でも何でも好きな所へ行きやがれ」

「……はい」


 チッと舌打ちが聞こえれば、勝手にしろ、というぶっきらぼうな言葉が続く。そして、もうこれ以上話すことはないとばかりに文机に向き直った。

 自分から言い出したのだから、引き留めて欲しいなんてそんな我が儘なことは言わないけれど。

 怒っているとはいえ、思いのほかあっさりと許可されてしまったことが少し悲しくもあった。




 その後、布団へ入る頃になっても土方さんと会話をすることはなかった。


 ――衛士でも何でも好きな所へ行きやがれ――


 冷たく突き放された言葉が、頭の中をぐるぐると回る。

 案外、厄介払いが出来てせいせいしているのかもしれない……そう思ったら何だか無性に悲しくなって、これでもかと布団を引き上げた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る